「良妻賢母」「母性神話」は作られた伝説。

女性活躍推進、男女共同参画が叫ばれる時代ですが、「子育ては母親の役割」とか「母親には母性が備わっている」という“常識”は、いまだ多くの人の意識の奥底に宿っている気がします。

男性と女性とが出会い、将来を誓って結婚し、幸せな子宝に恵まれると、人々は暗黙のうちに、「夫は仕事へ」「妻は子育て」という“昔からの”テンプレートに押し込められることになります。

このような構図の中で“一家の大黒柱”として家計を支えた夫のプレッシャーは相当のものだったと思いますが、この点は今は昔。

もはやダブルインカムが当然の社会となり、都会だけでなく地方でも、「結婚しても仕事を辞めない」「子どもができても復職する」のが当たり前の時代になりました。

なのに変わらないのは、妻に対する役割意識。子を産む性にのみ宿る母性を発揮して、子育てにすべてを捧げるべき。このような観念は、令和の時代になっても違和感なく多くの人に共有されています。

「イクメン」とも称される男性の育児参加が推奨され、社会を取り巻く環境の変化によって、子育てや家事に対する夫の役割意識は大きく変わりました。

しかし、「母が子どもを育てる」という妻の役割意識は、ともすれば「母性本能」と受け止められ、あたかも生物学的に備わった固有の機能だと理解される向きがあります。

だから、世の中の移ろいにしたがって、父(夫)の役割は変わることはあっても、子を産む母(妻)の子育ての役割は普遍的なもの。そのように考える人も少なくありません。



このような偏見に対して学術的な観点から異論を唱えてきたのが、発達心理学の大日向雅美氏です。

『母性の研究』『母性神話の罠』などの研究で知られる大日向氏は、“母性神話”には生物学的な根拠はまったくなく、かつて大正時代の半ばに国家による政策誘導で生み出されたものだと指摘します。

江戸時代から明治にかけての村落共同体では、子を持つ母親は貴重な働き手であり、夫と妻とが力を合わせて家業を支え合うのが常識でした。

「良妻賢母」「母性神話」は、いわば作られた伝説だった。このような学問的に蓄積された理解が、もっともっと世の中に広まっていくことを期待します。

少子高齢化や生産年齢人口の減少が加速する中で、男性と女性とが尊重し合いながらともに活躍できる社会が目指されていますが、その視点はあくまで従来男性が分担してきた生産労働についての議論が中心であり、母親が果たしてきた役割についての根本的な議論には結びついていないように思います。

『母性の研究』などの成果に真摯に学ぶことによって、これからの私たちの向かうべき社会の方向が正確に理解されるのではないでしょうか。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。