地力を涵養することが肝要

中学受験の勉強を見ていると、どうしても目の前の点数を(特に親御さんは)気にしてしまう。
これは多分、それ以外に勉強の力を測る尺度がないからだろう。
テストの点数は、氷山の一角というか、その時本人が持っている力の一部の現れに過ぎない。
当然だが、本人の持っている力(地力)を涵養しないことには、点数は上がらない。
そして、テストの回数を積むだけでは、地力は涵養されない。テストは、理解できたかどうかを切り取りはするが、理解力を育てることはしない。

地力の涵養とは、本人が変わることである。
例えば、1000の語彙しかないまま、いくら何度もテスト(模擬試験であれ過去問であれ)に取り組んでも、結果に変化が出ないことは自明だ。結果に変化を出したければ、一旦は点数を追うことを諦めて、1000の語彙を10,000に増やすしかない。時間もかかるし、増えるまでの間、点数はずっとパッとしないままだろう。

とりあえず簡単に「語彙を増やす」と表現したが、単純に書き取りを繰り返したり辞書を写したりすれば良い、という話ではない。
例えば、ある説明文に「古代エジプト文明は、"死"を軸に発展した」という記述がある。
古代エジプト文明、軸、それぞれ辞書を引く。それでもまだ、その1文の意味内容を自分で簡単に言い直すことが出来ない。つまり、掴めていない。何が原因か?

多分、独楽を回して遊んだ経験がないのか、軸は固いモノでなければ上手く回転しない、という大人からすれば当たり前の事がわかっていない、と本人とやり取りする内に判明した。
ハンカチを軸にできる、とその子は恐る恐る答える。だから、ハンカチを出して、くにゃっとなってしまって上手く回転しない事を、目の前でやって見せる。次に、柔らかめの消しゴム。まだ上手く行かない。短い鉛筆。これは回転する。軸は、回転の中心で、固いモノでないと用を成さない。そこから「軸がブレない=ずっと変わらない」という事になり、古代エジプト文明の、ミイラやピラミッドの中の壁画が、ずっと「死」をテーマに表現されている、その事が変わってしまうことは無かった、と初めてすっきり掴むことが出来た。

子どもの語彙を1000から10,000に増やすには、単純な漢字練習などではなく、時に日記を書かせたり、分かり易い手塚治虫や藤子不二雄などの漫画のあらすじを書かせたり、受けた試験問題を音読させて内容の言い換えを求めたり、手を替え品を替え、本人の感覚的なイメージと言葉の結びつきを開拓すること。それが、遠回りだけれど、結果を生む。自分はそうやって子どもの地力を涵養し、結果を出してきた。

学ぶことは、変わること。
変わるには、とにかく手間暇かけること。
ふんだんに「材料」与えて、対話し、育てること。

スマホにアプリをインストールするのとは訳が違うのだ。

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