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大前暁政著「本当は大切だけど、誰も教えてくれない 授業デザイン 41のこと」(明治図書)

授業デザインに関して,0から100まで,全て網羅した書籍です

特に,子ども主体の学習をつくりあげるための「授業デザイン」が役立ちます。

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子ども主体の「学習」をつくるには,教師の「授業」のデザイン力が必要。

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このことを,これでもかと実例が出てきて,気付かされます。


あるところに,次のような考え方の教師がいました。

「子どもは優秀な学び手なのだから,ほうっておいても,勝手に学んでくれるはずだ」

「子どもは優秀な学び手なのだから,4人ぐらいで協力させれば,難しい問題も解決できるはずだ」


そして,その教師は,「教師の授業なんてこれからは必要ない。子どもの学習を見守るのが教師の役割だ」と主張していたのです。

しかし,その教師の教室は大混乱状態でした。

「次は算数の時間ですよ」

そう教師が言っただけで,「嫌だ!算数したくない!」の大合唱。

私はたまたまその教室にそのとき用事で入ったので,子供達が,「算数おもしろくない!」,「勉強嫌だ!」,「遊ぼう!ドッジを外でしよう!」,「プールで泳がせろ!」と大騒ぎになっているのを見て,愕然となりました。


しばらく茫然自失して,状況を理解できなかったぐらいです。

結局,その学級では教師のお説教で大半の算数の時間が失われたのでした。

(みなさんも経験ありませんか。お説教で大半の授業がつぶれた経験が・・。)


子どもの自主性・・・。
良い言葉です。

子どもには自主性があります。


子どもは優秀な学び手だ・・・。
良い言葉です。

たしかに,子どもは優秀な学び手です。

だからといって,教師が授業を何もデザインできないのだとしたら,そこに待っているのは,「授業がおもしろくない!」の大合唱なのです。

皮肉なことに,「教師が授業の力をつけるから」,

「子どもの主体的な学習」が実現するのです。


授業力と,子どもの学習の充実がリンクしているというわけです。


このことは現場の教師なら,全員がわかりきった「自明」のことです。


現場を知らない,知ろうとしない,もしくは現場から離れた人が理想論として,「教師が何もしなくても子どもは自分で学ぶよ」というのなら,100歩譲ってわかるのです。


でも,教師が本当に,「授業行為を放棄しても,子どもは学ぶ」と信じていて,授業行為を放棄しているなら,それは「教育の放棄」です。


そもそも,心ある教師ならば,授業に関していろいろな疑問をもっているものです。

大前暁政著「本当は大切だけど、誰も教えてくれない 授業デザイン 41のこと」(明治図書)

「子ども主体の授業をつくるには?」

「協働的な学びをつくるには?」

「授業を0(ゼロ)からデザインするための方法は?」

「個別最適化を取り入れた授業をつくるには?」

「主体性を高めるためには?」

そんな様々な疑問に対して,具体例を示してくれる本です。

具体的な授業記録が多くあります。

授業方法の詳細な説明もあります。

子供の学びをつくっていくための環境づくりの工夫もあります。

具体的な授業記録とともに,解説が入るので,理解がしやすいはずです。

「授業をデザインするためにどうしたらいいのか?」

教師の具体的な悩みに応えてくれる書です。

本屋で品薄になっているので,見つけたらラッキーです。


大前暁政著「本当は大切だけど、誰も教えてくない授業デザイン41のこと」(明治図書)より

明治図書のホームページ

著者による解説

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