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授業デザインとは?

大前暁政著「本当は大切だけど,誰も教えてくれない授業デザイン41のこと」(明治図書)


大前暁政著「本当は大切だけど,誰も教えてくれない授業デザイン41のこと」(明治図書)

授業をする上で,何が必要なのかを考えてみます。



授業に何が必要なのか。

子供が乗ってこない授業には,何が足りないのか。


それを考えてみたいのです。




教師以外の人が,学校で授業をすることがあります。

ゲストティーチャーなどで,授業をするわけです。

例えば,大学の研究者です。

例えば,スポーツ選手や,芸能や文化で賞をとった著名人です。

学校の授業をあまりしたことの無い人が授業をすると,どういうことになるでしょうか?

どんなに優れた研究者であろうとも,

どんなに人前に立った経験をもつ著名人であっても,

子ども主体の授業をつくることはできないことがほとんどです。

いえ,子ども主体の授業をつくるなどというような高尚な次元ではありません。

むしろ,普通の授業すらできない状況に陥ることがほとんどです。

子供達は眠そうに,退屈そうにしています。

授業が終わっても,何の力も,姿勢も身に付かないままです。

この1時間は何だったのだろうと思えることがしばしばあります。

研究者ですから,その道の知識は学んでいるはずです。

教える内容に関する知識は膨大に持っているはずなのです。

しかし,授業をすると小学生,中学生,高校生は退屈で眠そうになってしまうのです。

人前にいつも出ている著名人は,話す力やプレゼンの力はあるはずです。

しかし,授業をすると小学生,中学生,高校生は退屈で眠そうになってしまうのです。

教える知識が豊富でも,授業は下手。

話すのが上手でも,授業は下手。


つまり,授業をするには,授業をするための特別な,専門的な知識を学ばないといけないのです。

これこそが,教師がもっているべき「専門的な授業の力」となります。


問題は,この「専門的な授業の力」を,基礎から教わったかどうか?です。

「授業デザイン41のこと」には,この「専門的な授業の力」が,カテゴリー別に示されています。

以下の質問に答えられるならば,基礎から学んだと言えるはずです。


問1「授業方法のカテゴリーを4つ答えなさい。」

問2「4つのカテゴリーの中で,大きな知識と小さな知識の違いを述べなさい。」

問3「エピステミックな知識とは何か。それを育てる授業例を言いなさい。」

問4「Blindもしくは,Scotomaの意味を説明しなさい。授業において子供主体の学習をつくるために,この言葉がどう活かせるかを述べなさい。」

問5「主体性の2つのカテゴリーを述べた上で,力と姿勢の違いと,育成法の違いを具体例を基に述べなさい。」

問6「授業のゴールの4つのカテゴリーと,その階層構造(hierarchical structure,priority structure)を述べなさい。その上で,学級経営との関連を述べなさい。」

問7「世界で共通している授業のゴールの4つのカテゴリーを述べなさい。カテゴリー別に,授業方法の違いを述べなさい。」

問8「協働的な学びと,学びの個性化の両立させる理論と実践例を述べなさい。」

問9「自己肯定感と自尊感情と,モチベーション,自己評価,エフィカシーの違いを述べなさい。授業で育成する方法を述べなさい。」

問10「授業デザインを0(ゼロ)から行う手順を述べなさい。」

ざっと10問挙げました。

この10問,答えられる人は,授業デザインに関して,基礎から学んだ人と言えます。

「授業デザイン41のこと」には,その答えが書かれています。

しかし,この10問は,知っている人は知っていて,知らない人は何だこれ?という感じになることでしょう。

「授業デザイン41」のことに書かれているのは,全部で41問あるということです。

41問中の上の10問がいくつ答えられるのか?

そして,残りの31問も答えられるのか?


自分の教師としての「専門的な授業の力」がどれほど高いかが自己判定できると思います。


ところで,以前,「子供は勝手に成長する」,「子供は優れた学び手だから,教師があれこれ言わなくても,自然と学ぶことができる」と主張する教師の教室を参観したことがあります。

参観者50名の研究授業で,子供が何と言ったか。

小学校5年生の子が口々に,「今日はもう疲れたから(5時間目だった),もう勉強はしたくない。外でサッカーをしよう!」と発言したのです。

授業は収集がつかなくなりました。

そこで教師が「今日はこの授業をします!!」と大きな声で言いました。

無理矢理,力業で,授業の本筋に戻したわけです。

ところが,子供は反発して,授業に参加しなくなりました。

何と,教師が指名して発表させようとするのを,ほとんどの子が「断った」のです。「嫌です。疲れているので発表しません」と。

自主性を大切にする研究会での出来事です。

あまりのことに,参観者は言葉を失いました。


自主性・・・。よい言葉です。自主的なのが一番だと思います

「子供は自然と学ぶ」とてもよい言葉です。

もちろん,子供は優れた学び手です。

自然と学びます。

しかし,教師に授業デザインの力がなければ,それとはまったく正反対の状態が授業で生まれてしまったのです・・・。

私たち教師は,素人ではありません。

私たち教師は,教師以外の人とは,まったく異なる専門性をもっているはずです。

教師以外の人が,どれほどその道で専門家であろうととも,私たち教師はその専門家に勝る授業力をもっているはずなのです。


かつて,ギリシャの数学者ユークリッドが,エジプト王プトレマイオスに「もっと簡単に幾何学を学ぶ方法はないのか」と聞かれ、「幾何学に王道なし」と述べたように。

アリストテレスも同じようなことを言ったという逸話が残っているように。

やはり,専門家としての道に近道はないのです。

基礎からコツコツと学ぶしかない。それができるのが教師なのだと思うのです。

大前暁政著「本当は大切だけど、誰も教えてくない授業デザイン41のこと」(明治図書)より

明治図書のホームページ

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