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6 五箇条の誓文から廃藩置県まで

本時の問い「五箇条の誓文で掲げた方針は実現したのか。」

第6回目の授業では新政府が戊辰戦争のさなかに五箇条の誓文という政府の方針を発表し,その後政治的統一をめざして版籍奉還,廃藩置県をおこなったという,1868~1871年までを授業の大枠としました。
本時の問いは「五箇条の誓文で掲げた方針は実現したのか。」としましたね。

五箇条の誓文のなかで新政府はどのような政治をめざしたのか

五箇条の誓文です。最初に教科書の記述から,明治政府が出発した頃,政府に参加したのはどのような人だったのかについて考えてもらいました。薩長に限らず全国から徴士という有能な人材を集めたというのがポイントでしたね。武力倒幕に最も貢献した薩長だけでなく,全国から有能な人材を集めて政府が組織されたのはなぜなのでしょう。

次に五箇条の誓文の内容のポイントである公議世論の尊重について考えました。福岡孝弟が作ったものを由利公正や木戸孝允が修正して発表したのですが,特に「列候会議」から「広ク会議ヲ」と書き換えたことにはどのような意味があるのかを考えてもらいました。

また,五箇条の誓文の「旧来ノ陋習ヲ破リ」の「陋習」とは何かということも考えてもらいましたね。

版籍奉還のねらいと成果

次に版籍奉還です。新政府は天皇が全国を直接に統治するという理想を実現するため,藩主に領地と領民を返上させました。これによって藩の組織が公的な部分と私的な部分に明確に分けられるようになりました。成果をあげた版籍奉還でしたが,中央集権をめざすという意味では問題もあったのでしたね。その問題点が何かを考えてもらいました。

廃藩置県で中央集権化を徹底させた

その問題点を解決すべく廃藩置県を実施します。教科書では「こうして,日本は明治政府の官吏が全国を画一的に支配する中央集権国家にかわったのである。」とその意義を説明しています。教科書を読むときには,「こうして・・・」に注目しようという話もしましたね。

廃藩置県後の政府は藩閥政府と呼ばれた

最後に廃藩置県後の政府組織について考えました。廃藩置県後,太政官三院制となります。その主要官職にどのような人物が就任しているのかを見ていくと,廃藩置県後の政府の性格が見えてきます。そのことについて考えてもらいました。キーワードとしては藩閥政府です。明治の政治史を見ていくときに,この後もカギとなる用語なので,この言葉は説明できるようにしておきましょう。そして,藩閥政府が説明できるようになれば,五箇条の誓文で掲げた政治の方針が,廃藩置県後の段階で実現しているのかを考える手掛かりになります。実際は五箇条の誓文の方針がどのような形で実現するのかは,これからの授業の中で追いかけていかなければいけないことですが,今の段階でどうなのかについて考えてみてください。

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