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フランスの画家アリ・シェフェール

本日は、オランダ、ドルトレヒト出身のフランスの画家アリ・シェフェール(アリ・シェーフェル、Ary Scheffer, 1795年2月10日 - 1858年6月15日)の誕生日ですので、ご紹介いたします。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、彼の生涯として次のように記載されています。

生涯

ドイツ出身でオランダで働いた肖像画家の息子に生まれた。弟に画家となったアンリ・シェフェールがいる。1809年に父親が亡くなって、1811年に画家でもあった母親とシェフェールはパリに移った。ピエール=ナルシス・ゲラン(Pierre-Narcisse Guérin)の工房に入った。シェフェールがゲランの工房を出た頃、フランスではグザヴィエ・シガロン(Xavier Sigalon)、ウジェーヌ・ドラクロワ、テオドール・ジェリコーといった画家たちによるロマン主義が流行していた。しかし、シェフェールはロマン主義に関心がなく、「冷たい古典主義(classicisme froid)」と呼ばれる独自のスタイルを発展させた。

シェフェールは文学、とくにバイロンやゲーテの作品を題材にした絵をよく描いた。人気のあった『ファウスト』テーマの作品には、『糸車のマルガレーテ』、『疑惑に苛まれるファウスト』、『サバトのマルガレーテ』、『教会を去るマルガレーテ』、『庭園の散歩』、『井戸辺のマルガレーテ』などがある。1836年には、ゲーテ作品のヒロイン、ミニョンの絵を2枚と、ほぼ同時期にフランチェスカ・ダ・リミニを讃える絵を描いた。
それから宗教的なテーマに転じた。『慰める者キリスト』(1836年)に始まり、『報いる者キリスト』、『星に導かれし羊飼いたち』(1837年)、『王冠を置く東方の三博士』、『オリーヴの庭のキリスト』、『十字架を運ぶキリスト』、『埋葬されたキリスト』(1845年)、『聖アウグスティヌスとモニカ』(1846年)が続けて描かれた。
シェフェールは熟達した肖像画家でもあった。描いた人物には、フレデリック・ショパン、フランツ・リスト、ラファイエット、ピエール=ジャン・ド・ベランジェ、アルフォンス・ド・ラマルティーヌ、マリー・アメリー・ド・ブルボン、チャールズ・ディケンズ、シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールらがいる。

1846年以後、シェフェールは出展を止めた。王族との強い結びつきは、1848年のフランス第二共和政発足後にシェフェールの人気を失墜させた。シェフェールはアトリエに籠もり、多くの絵を描いたが、それが展示されたのは死後のことだった。シェフェールは1858年6月15日にアルジャントゥイユで没し、遺体はモンマルトル墓地に埋葬された。
死後に展示された作品の中には、『大地の不安』と、未完成のまま残された『復活を告げる天使』がある。亡くなるまでの間にその名声は地に堕ちていたその魅力と腕前は讃えられたが、色使いの貧しく、作品には生気がないと非難された
シェフェールはボードラン将軍の未亡人と結婚した。1798年9月27日にデン・ハーグで生まれた弟のアンリも多作の画家だった。シェルフェールは1848年、つまりサロンから完全に引退した後に、レジオンドヌール勲章のコマンドールを叙勲した
わが国には《戦いの中、聖母の加護を願うギリシャの乙女たち 》(1826)が国立西洋美術館に所蔵されている

作品

『自画像』 グルノーブル美術館所蔵

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『ミニョン』(1836年)ドルトレヒト美術館所蔵

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『キリストの誘惑』(1854年)

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『パオロとフランチェスカ』(1855年) ルーヴル美術館所蔵

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