「逃げる勉強法」のススメ〜「発音の苦手な人」編
はじめに
こんにちは。翻訳家の平野暁人と申します。
今年最初の投稿に思いがけず大好評をいただき浮かれてくるくるまわっているうちに気づけばもう2月。受験シーズン到来!F○CK!(←なんか色々思い出した)
さて、前回の投稿には多くの反響をいただくことができ、とても嬉しく、ありがたかったです。こんな無名の人間の個人史なんて誰も興味ないよね……と生まれたての子鹿のように(当社比)震えながら書いたので、ほっと胸を撫でおろしました。
「意外な視点に驚いた」「フランス語の発音至上主義には共感」「どうやったら通知表に0がつくんだ」など様々なご感想をいただきましたが、中でもいちばん嬉しかったのがやはり「私も自分に合った言語を探してみようと思った」という声。
前回の最後で「できそうな言語の具体的なみつけかたはまた次回」と予告してしまったことですし、ここはひとつ責任をもって、多様な学習者の個性に応える多様な「できそう」の形について、なるべく自由に思考実験してみたいと思います。
……じ、実験だからね! 失敗は付きものですよ!(弱気)
「発音が苦手な人に向いていそうな言語」を考えてみる:その1
前回の記事では「発音の良さという取り柄があったおかげで挫けずにフランス語を続けられた」という私の経験談を綴ったわけですが、それでは発想を逆転させて、発音が苦手な人でも学びやすい言語には果たしてどんなものがあるのでしょうか。
まず誰でも思いつくのが、「発音自体があまり難しくない言語」です。
以前の記事でも述べましたが、日本人が英語やフランス語の発音に苦戦するのは「RとL」のように日本語には無い音が多く含まれているため。そうした音を聴き分けたり再現したりすることが大人の学習者の耳や口には極めて難しいんですね。
それなら、そもそも難しい音をあまり含んでいない言語を選べばよいのでは?
「ぼんじゅーる」より「ぼんじょーるの」
その代表格としてすぐに思い浮かぶのはやはりイタリア語でしょう。伊語の単語は僅かな例外を除き日本語と同じ「子音+母音」で構成されていますから、日本語を母語としている人なら簡単に発音することができます。ローマ字さえ読めれば知らない単語だってすらすら読めちゃう。
なんせローマ字っていうくらいだからね!
強いて日本人が苦労するポイントを挙げればやはり「巻き舌(R)」でしょうか。そう、「risotto(リゾット)」にも「formaggio(フォルマッジョ)」にも入っている、伊語を象徴する「R」です。
……おなかすいてきたな。生ハムもあるしワイン開けようかな(現在PM2時☆)
でも、別にこれがうまくできなくたって大丈夫。確かに巻き舌が綺麗に決まるとイタリア語らしさが倍増するのは否めませんが、イタリア人は(どこかのクロワッサン野郎と違って)細かな発音の欠点をそこまで気にしませんし、なにより「R」が巻けなくても意思の疎通レベルで支障をきたすことは殆どありません。
それに意外なことに、実はイタリア語母語話者の中にもこの「巻くR」の音が綺麗に出せない人がいるのです(興味のある人は「R moscia」で調べてみてね!)。それを思えば、非母語話者である日本人にできない音があるのは当たり前。それにイタリア人はどこかのクロワッ(以下省略)。
パスタと粉モンと陥穽
ただし、そんな日本人話者に易しく優しいはずのイタリア語にも、ちょっと厄介な点がひとつあります。それはリズム&イントネーションが非常に重要であること。
わかりやすくいうと、いくら単語ひとつひとつの発音が正確でも、大きなストロークでたっぷりと抑揚をつけながらテンポよく喋れないと、イタリア語のもっている音楽性が十分に発揮されず、魅力が半減してしまうんですね。
そしてこの「リズム&イントネーション」が苦手な日本語話者は、実はとても多い。それもそのはず、日本語、とりわけ東京を中心に用いられる標準語は、概して抑揚の少ない、全体に平板な響きをもつ言語だからです。
一方で、日本語の中でも関西弁のような、抑揚に富んだテンポの良い言語を母語とする人はイタリア語との相性が標準語話者よりも良い可能性も。逆に、伊語をはじめ、抑揚の豊かな言語の話者は標準語より関西弁の方が学び易いかもしれません。
まあこれはあくまでも雑な仮説なので深入りしないでおきますが、ミラノの市外局番は06です(ボソッ)。
それに、イタリア語の方だってヴェネツィアとフィレンツェとローマではぜんぜん違うし、ナポリやシチリアの方言に至ってはもはやほとんど別の言語ですからね。
以前ローマの演劇祭でナポリ方言とシチリア方言を駆使した作品を観たとき、あまりにわからないので隣のお客さんに「これ、イタリア人ならわかるんですか?」と尋ねたら「私達も字幕が欲しいです(笑)!」と返されたことがあったくらい。
ともあれ、このように一見すると「発音が簡単」と思われがちな言語でも意外な落とし穴があり、またひとくちに「発音」といっても実際に話す(≒フレーズを発する)際には単語の発音に留まらず複数の要素が関係してくるのが普通なので、本当に自分に合っているかどうかを判断するにはなるべく多角的な検討が必要です。
それにしてもこの生ハムうまい(←なにかを開けた)。
「発音が苦手な人に向いていそうな言語」を考えてみる:その2
次に考えてみたいのは、「良い発音」という規範意識が弱い言語です。
あのですね、そもそも論になりますが、発音の良し悪しというのは初めに「正統的な発音とはこうあるべきだ」という明確な規範意識ありきであって、だからこそ、それに照らして近い(≒良い)か遠い(≒悪い)かで評価されるわけですよね。
ここで大切なのはこれが「規範」というより「規範意識」である点です。
規範意識と多様性
本来、言語というのは生きものですから、話者がいる限り絶えず変化し続け、地域、時代、世代などによってもどんどん違いが生まれてゆくもの。先ほどイタリア語の例でも見た通り、同じ国の北と南で全然違うなんてことも珍しくありません。
「フランス語圏」にしても、たとえばフランスとスイスとベルギーとカナダ(カナダにはケベック州というフランス語圏が存在します)とセネガルでは発音やリズム&イントネーションに大小様々な違いがみられます。その多様性に鑑みれば、一概に「良い発音/悪い発音」といった二項対立による評価はできないはずなんです。
それなのに、フランス語に関わる人達の多くが「発音至上主義」とすらいえるほど発音の良し悪しに拘泥するのは、「正しくうつくしい発音とはこうである」という強い規範意識を、教える方も学ぶ方も共有している証拠ではないでしょうか。
だからフランス語大好きな奴は大抵いけすかなくて昔っから気が合わな……
なんでもないです。
前置きが長くなりましたが、「正しい発音」「良い発音」という規範意識が強いほど発音の良し悪しが問題にされるなら、逆に考えれば、そういう規範意識が弱い言語であれば、発音が苦手な人でもあまり気にせずのびのびと学べるのでは?
君はフスハーを知っているか
さあ、そこで今回みなさんにおすすめしたい商品、じゃなかった言語はこちら!
アラビア語です!
あっ。
まだです!
まだ絶望しないで!
聞こえる……アラビア語というだけでいろんな人の心がバッキバキに折れてゆく音が。「あの呪文みたいな」「右から左に書く」「一生かかっても分かる気しない」みなさん、アラビア語をすごく難しい言語のように思い込んでいませんか?
でも実際はですね、アラビア語はすごく難しい言語です。
難しいのかよ!
ていうか今回も懲りずにこの芸風なのかよ!(まだ懲りてません)
まあ「あらゆる言語は等しく難しい」が私の信条なのでご容赦いただくとして、今回はあくまでも「発音の良し悪しをめぐる規範意識」という角度からの話です。
「フスハー」と「アーンミヤ」
全世界に推計2〜3億人もの話者を有し、1973年には国連の公用語にも追加されているアラビア語。ですが、日ごろ私たちがざっくり「アラビア語」と呼んでいる言語は、実は大きく2つの種類に分けることができます。
ひとつは「フスハー」と呼ばれる、全アラビア語圏で用いられる共通語です。新聞、書籍といった文字媒体をはじめ、テレビのニュースや式典、講演、国際会議といった公的な場ではこちらが使用されています。
もうひとつは「アーンミヤ(アーンミーヤ、アンミーヤなどとも)」と呼ばれる地域口語で、日常生活ではこちらが用いられるのがふつうです。それどころか、普段の生活でフスハーで話したら笑われるか仰天されるかの二択といってもいいほど。
ところがこのアーンミヤ、「地域口語」というだけあって、国や地域によって違いがとても大きい。たとえばサウジアラビアとチュニジアはともにアラビア語圏ですが、お互いが自国のアーンミヤで話してもぜんぜん通じなかったりする。
ですから、いかに堅苦しくても、不自然でも、アラビア語圏で広く意思の疎通を図るには共通語であるフスハーの存在がとても重要なんですね。国連の公用語として定められているのももちろんフスハーです。
さて、唐突にアラビア語の基礎知識を延々読まされて投げ出しかけているみなさん!お待たせしました(か?)。 ここから発音との関連に戻りますよー!
共通語の孕む逆説
アラビア語圏を横断する共通語がフスハーしかない以上、リビア人の友人ができた、イエメンへ赴任する、ソマリア人と結婚する、といった特段の事情がない限り、我々外国人がアラビア語を学ぶ場合にもフスハーを選択するのが一般的です。
ただし、いくら共通語といっても言語である以上はやはりナマモノ。あらゆる地域で発音もリズム&イントネーションも完全に同一のフスハーが話されているということはありえないわけで、地域によって自ずと少しずつ違いが見受けられる。
そうです。
共通語も、いえ共通語だからこそ、地域毎に「訛る」という現象が起きるのです。
また、先述した通り日常会話のほとんどは地域口語であるアーンミヤで行なっているので、フスハーを完全な母語として操る人は普通に考えれば存在しません。みんな自分の脳内引き出しからフスハーを引っ張り出し、がんばって喋るのです。
つまり、厳密な意味でのネイティヴが地球上に存在しない!
こ、ここここれは実にたいへんな朗報ですよみなさん(興奮)!
だって、考えてもみてください。フランス人が(たまたまフランスに生まれ育っただけのくせに)「正しくうつくしい発音」をドヤ顔で誇示しやがるのは、自分たちこそが正統フランス語ネイティヴだという強い自負心があるからです。
けっっっ。
一方、アラビア語のフスハーにはそもそも厳密な意味でのネイティヴが存在しません。だから唯一無二の正統性は規定できない。エジプトにはうっすらエジプト寄りの、レバノンにはうっすらレバノン寄りのフスハーがあり、どれも正統なのです。
ですから、どこ寄りのフスハーを話すかによって「あ、モロッコの人だ」「シリア方面ですか?」と言われることはあっても、そのせいでバカにされたり、訂正されたりするようなことは(人種差別的な意図を含む場合を除いて)ありません。
ということは我々外国人学習者も「唯一無二の正統な発音に少しでも近づけよう」「日本人的なカタカナ発音は恥ずかしい」といった強迫観念から解放され、のびのびと自分なりに学ぶことができるのではないでしょうか。
ネイティヴ≒ストレス源の超克
「いやいや、書き言葉なんて学んでもふだん使えないじゃん!やっぱりどこかの地域口語をやったほうがその土地の人と会話できて楽しいよ〜」という、アラビア語話者(そうそういないと思うけど)の反論もあるかもしれません。
まあアレです、今回はあくまでも思考実験なので大目にみてください。それになにより私自身、先述のようなスタンスで気楽なアラビア語学習を続けています。なんせCDに入ってるネイティヴの発音にも人によって違いがあったりするんだもーん。
少なくとも「うわ、その発音、もしかしてベルギーで覚えたの?(苦笑)」とか「今度ケベック人と仕事するんだけど通訳つけてもらわないとな(嘲笑)」みたいな台詞をお吐きになられる方々に悩まされることなく勉強できるのは確かです。
決して誰とは申しませんけど。
ともあれそんなわけで、「発音至上主義」にトラウマがある方、発音コンプレックスで口が重くなりがちな方は、アラビア語のように、そもそも「絶対的な意味での良い発音」という規範意識が弱い言語に挑戦してみるのも一興です。
表音文字だし、文字のつなげ方にも規則性があるのでイメージほど難しくないんですよ〜。簡単な文なら動詞を使わなくても作れちゃうしね!
あ、その先の動詞の活用とか名詞の格変化とかは……主に根性でお願いします。
「発音が苦手な人に向いていそうな言語を考えてみる」:おまけと本旨
さて、イタリア語で無難に始まったと思ったらいきなりまさかのアラビア語を突きつけられて面食らっているみなさん!
先ほどの「その2」では「正しい発音」という規範意識の弱い言語を選ぶことで不毛なネイティヴ信仰から脱却するという、脱権威主義的な路線を目指してみました。アレです、いわばパンクです。ろっくんろーる!! YEAH!!!
で、このパンク路線をさらにゴリゴリに突き詰めてゆくと、自ずとさらなる高みに到達します。それは「正しい発音を知っている人が誰もいない言語」です。
誰も正しい発音を知らない言語とは
え、そんな言語あるの?
なんて、このnoteをわざわざ読みに来てくださるみなさんなら先刻ご承知ですね。そうです、いわゆる「死語」と呼ばれる、既に地上から話者の絶えた言語です。
代表的な例としてはやはり、ラテン語や古典ギリシア語でしょうか。いやあ、こうして並べて書くだけで既に迫力がありますね。なんだろう、ラスボス感あるよね? むしろエモいよね? ごめんなさいすごく適当なこと言いましたエモくはないです。
ここまで書けばこの先の展開もおおかた察しがつくでしょうか。
そう、アラビア語のフスハーにはまだ「準ネイティヴ」が存在しますが、ラテン語のように話者の絶えた言語、後世に復元された発音でしか知ることのできない古語なら、もはや発音の美醜なんて概念から完全に解放されるじゃないか!という……
……という話を、しようかと思ってたんです、さっきまで。
反省と撤回
でもね、やめておきます。
だっておら、ラテン語のことなんにも知らねえだ。
知らないのかよ!(←このくだりは一応やる)
はい。知りません。ごめんなさい(←素直でえらい)。
アラビア語は最低限の読み書きや基礎構文は知っているし、ちゃんと継続して勉強しているけれど(どさくさにまぎれて自慢)、ラテン語や古典ギリシア語のことは本当になにひとつ知りません。
それに、先ほどは広義の「死語」という定義を使いましたが、実際にはラテン語は学術研究の世界で今も用いられていますし、ローマ法王はいまでもラテン語で演説しますし、ていうかいちおうまだバチカン市国の公用語(!)でもあります。
なにより、ロマンス諸語(フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語等々)の源流としていまなお世界中に熱心な学習者を擁する、ある意味もっとも特別な言語に下手に言及すると叱られ……失礼だと思ったからです。
というわけで、約6000字を費やして展開してきた「思考実験」ですが、今回はこのあたりにしておきたいと思います。
逃げる実験
ところで、日本語で日本の読者に発信するのに、イタリア語はともかくとしてわざわざアラビア語だのラテン語だのを持ち出すなんて、荒唐無稽だと思われた方もいるのではないでしょうか。
でも、今回の「実験」は、なにもイタリア語やアラビア語を学ぶようお勧めするのが目的ではないのです。いえ、もちろん本稿を読んで興味を持ってくださったらこんなに嬉しいことはありませんが、実験である以上、真のテーマは他にあります。
今回の思考実験のテーマ、それは「逃げる学習法」です。
逃げる?
なにから?
確定申告?
などと大人っぽい時事ボケをかますのはやめて、本稿を振り返ってみましょう。
私が今回、「発音が苦手な人に向いていそうな言語を考えてみる」として最初にイタリア語を挙げた理由は、日本人にとって難しい音の少ない言語だからでした。
その次にアラビア語のフスハーを挙げたのは、完全なネイティヴ不在の言語であり「正しい発音」という規範意識が弱いため、そもそも発音の良し悪し、美醜をあまり気にせずのびのびと学べるのではないか、という理由からでした。
そして、未遂に終わったとはいえラテン語や古典ギリシア語まで持ち出した背景には、(いっそ話者の絶えた言語なら正しい発音なんて究極的にはもはや誰も知らんじゃろ)という開き直りがありました。
つまり、どうすれば苦手なことを要求されずに勉強できるか、自分の弱点を無効化したうえで学ぶことができるかだけを徹底的に考えてみた結果として行き着いたのが、楽なもの(イタリア語)、苦手でも気にしなくてよさそうなもの(アラビア語)、そもそも正解を知っている人がいないもの(古典語)だったのでした。
ね?
逃げて、逃げて、逃げまくってるでしょ?
快楽主義的外国語学習のススメ
こんなことをいうと怒る人が確実にいると思うのですが、私は一貫して「人は苦手なことからは逃げればいい」という信念に則って生きています。自分の苦手なことは得意な人が他にきっといるから、無理して自分が手を出す必要はない。
苦手なことや嫌いなことにいちいち立ち向かっていられるほど人生は長くないし。
苦手なことや嫌いなことにいちいち立ち向かってもがいている内に死ぬのやだし。
とはいえ、苦手でも放置しておくと社会生活に著しく支障をきたすこともありますよね。確定申告とか。
で、そういうときは確かに多少の無理もやむを得ないと思います。大人だし。
でも、外国語なんて別にやらなくたって生きていけるしー。
特に英語以外の言語なんて、義務教育を終えた大人のほとんどにとって不必要な勉強の最たるものだしー。
それでもわざわざ、未知の言語をなにかひとつ、学んでみたいと思うのなら。
そうしてどこか遠く異世界の人と文化に連なってみたいと望むのなら。
リスクとストレスを徹底的に低減すべく弱点から逃げまくる、いわば「ポジティヴな消去法」という発想があったっていいじゃないか!と考えてみたのでした。
おわりに:もっともっと自由な外国語学習を求めて
やれやれ、なんだか今回はやけにまじめな話ばかりしてしまった気がします。
あ。
いま「どこが?」と鼻で嗤ったあなた!
不快な思いをしたので謝罪してください!(唐突な関係妄想)
ともあれ、とかく「日本人の苦手な〇〇を徹底特訓!」「△△方式で弱点克服!」といったマゾヒスティックな文言が散見される外国語学習論において、一定のアンチテーゼは示せたかな、と自負しています。
みなさんも苦手なことに苦しむのはいったんやめて、弱点からは目を背けて、なるべく自分に易しく優しい選択肢を探ってみませんか?
そしてついでにそっと「スキ」を押して、私にも優しくしてみませんか(便乗)?
本稿がみなさんにとって、外国語学習をより自由な視点からおもしろおかしく考えてみるきっかけになってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。
これまでとは打って変わって堅くて肩の凝る(当社比)長文を最後まで投げ出さずに読んでくださって、どうもありがとうございました。
平野暁人
訪問ありがとうございます!久しぶりのラジオで調子が狂ったのか、最初に未完成版をupしてしまい、後から完成版と差し替えました。最初のバージョンに「スキ」してくださった方々、本当にすみません。エピローグ以外違わないけど、よかったら最後だけでもまた聴いてね^^(2021.08.29)