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外国語を学ぶ人が絶対に知っておくべきこと〜あなたは英語から降りてもいい

はじめに:日本人と英語コンプレックス

こんにちは。翻訳家の平野暁人と申します。先日めがねを失くしてしまい、仕方なく屋内でも度入りのサングラスをかけて過ごす日々です。世界のすべてがブルーグレー。いまの心の支えはタモリとみうらじゅんです。うそです。

さて、先日の「アレ」の話も多くの方にお読みいただくことができ、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

ただ、ひとつとてもびっくりすることがありました。なんと、私の身の回りにも被害者(!)が、それも1人ならずいたのです。ある人はLINEで、またある人はDMで、「じつは」と告白してくれました。なんてこった……!

前回も書きましたが、誤った根拠に基づいて誇大な広告を展開し高額な教材を販売するのは悪徳商法であり、その種の業者は厳しく批判されるべきです。つまり、騙す方が悪い!200%悪い!

とはいえ「聞き流すだけである日とつぜん口から英語が飛び出す」などと謳う教材がそんなに売れるというのはやはり見過ごせない問題です。というのも先述の通り、ああいうものは概して高額。「楽してできるようになりたーい☆」というノリだけで気軽に手を出す人も、出せる人も、それほど多いとは思えないからです。

やはり、いい大人になってからも英語に深刻なコンプレックスを抱えたまま社会生活を営んでいる人たちが、どこか強迫的な気持ち(=いまどき英語もろくにできないようではみっともない、半人前だ)に苛まれて手を出してしまうケースが多いのではないでしょうか。

とても大事なことその1

実際、高額な教材に手を出すまではいかないにしても、少なからぬ日本人が英語コンプレックスを抱えているのは否定し難い事実だと思います。英語学習ビジネスが紙媒体から動画やアプリへと舞台を移しながらも一向に衰える気配をみせないのも、そうした慢性的なコンプレックスに突き動かされた人たちが買い支えているからに他ならないでしょう。

そこでわたくし、語学のプロとして、いまからとても大事なことを言います。

いいですか、よーーーーーーーーーーく聞いてください。

みんな、英語に無駄なコンプレックス持ち過ぎだから!!!!!!!!

よし、言った。

あーーーーーすっきりした。はっはっは。

「日本人は英語ができない」は本当か

さて、わざわざ太字で叫んでおいてなんですが、これはいったいどういう意味でしょう? 

私たち日本人はとかく「日本人は英語ができない」と思いがちです。また、「中高で読み書き偏重の教育を行なっている弊害だ」という批判もたびたび耳にします。でも、もしかして実際の日本人の英語は自分たちが気にするほどひどくはない、だからコンプレックスを抱く必要はない、ということでしょうか?

いいえ。

残念ながら、大部分の日本人は実際にかなり英語が下手です。

下手なのかよ!!!

はい。正直に言って下手だと思います……(しょんぼり)。私はよく国際演劇祭や芸術祭、国内外の劇場などで通訳の仕事をするのですが、そうした特殊な場所ですら、通訳者以外の日本人(アーティスト、技術者、制作者など)の英語力には概してかなり厳しいものがあります(通訳でお世話になっている人間がこんなこと書いてごめんなさい)。

また、飲食店や家電量販店の店員さん、駅員さんやタクシー運転手さんなどなど、昨今は非日本語母語話者に対応する機会がかなり増えていると思われる職種の人たちを見ていても、ごく簡単な定型フレーズが言えれば上出来、というレベルの人が多いように感じます。

「日本人は英語ができない」というイメージは、やはり大筋で事実だと認めざるを得ないのではないでしょうか。うう。つらい。つらいぜ。

「日本人は諸外国の人々よりも英語ができない」は本当か

では、諸外国の人たちと比較した場合はどうでしょう。日本人の絶対的な英語力が総じて低いのは事実だとしても、はたして相対的な英語力は? 

他の非英語圏の人たちと比べても、日本人は特別できない方なのでしょうか?

試しに、私のよく知っているフランス人やイタリア人を例に考えてみましょう。フランス人の英語嫌いは「フランス人は英語で話しかけてもフランス語で返事をする」などといわれるくらい有名ですし、イタリア人なんてどうせいつも服と食べ物のことしか考えてないし。あとサッカー。ご、ごめんなさい。言い過ぎてません(はんせいしない主義)。

日本人の英語力も、そんな彼らと比べれば意外に50歩100歩だったりするのでは?

いいえ。

残念ながら、日本人の平均的な英語力はあのラテン野郎どもよりさらに低いです。

低いのかよ!!!

はい。率直に言って低いと思います……(遠い目)。確かにフランス人もイタリア人もヨーロッパではかなり英語が苦手な部類の人たちなのですが(なんと欧州の英語力ランキングで万年最下位グループ)、そうはいっても平均的な日本人よりはだいぶマシです。最低限の旅行会話もままならない、という人の数はあきらかに日本人より少ないといっていいと思います。

ですから私など、日本に来るフランス人やイタリア人から「日本てぜんぜん英語通じないよね?」「なんでみんなこんなに下手なの?」「うちらフランス人もかなりひどい方だけどここまでじゃないわ〜」などとよく言われます。それはもう日常的に言われています。

ちなみに今まででいちばんムカついたフレーズは「日本は義務教育で英語やらないの?」です。あの時はさすがにこいつぶってもいいんじゃねえかなと思いました。ぶたなかったけど(えらい)。

とても大事なことその2

というわけでここまで、日本人の英語力が絶対的な意味でも相対的な意味でも低いことをわざわざ確認してみました。ちょっと前に「無駄なコンプレックスを持ち過ぎだ!」と、しかも太字で叫んでおきながら、いったいなんの嫌がらせでしょう。これでは「無駄」どころか、コンプレックスを抱いて当然としか思えませんよね。

でも、無駄なのです。

日本人は英語ができなくてもコンプレックスなんか持つ必要はないんです。それはもう、これっぽっちもないんです。なぜでしょう。

ではわたくし、語学のプロとして、いまからとても大事なことを言います。

いいですか、よーーーーーーーーーーく聞いてください。

だって、日本語と英語はぜんっぜん違う言語だから!!!

あっ。

また当たり前のこと言った……(しかも太字で)。

文字と文型

さて、先ほどの太字(2度目)を読んでも呆れずに続きを読んでくださっている心優しいみなさん。ありがとうありがとう(笑顔で手を振る)。でも、みなさんはこの当たり前の事実を、まじめに考えてみたことがあるでしょうか。

思い出してください。試験前に追い詰められて「だいたいなんで日本人が英語なんか勉強しなきゃいけないんだよ!」「アメリカ人が日本語やれや!!」とか愚にもつかない逆ギレを起こした中学、高校時代の日々を。え、そんな経験ない? そういう感じの悪い人はもう読まなくていいです。うそです読んでください(懇願)。

なぜ日本人が英語を勉強しなくてはいけないのか、というテーマはちょっと大きくなり過ぎるので稿を改めたいと思いますが、ともあれ日本人にとって、英語というのは本来、とても遠い言語です。だから、苦手で当たり前なんです。

だってね、考えてみてください。

オレたち漢字と仮名の国の人だし。

いまこれを読んでくださっているほとんどの方の母語は日本語だと思うのですが、ご存知の通り(現行の)日本語はそもそも「漢字仮名まじり」で表記されるものです。つまり、アルファベットにかすりもしない、根源的に異なる文字体系をもった言語なのです。まず、この点がひとつ。

しかもSVO族でもないし。

そう、文字の違いに加えて、日本語と英語とでは文型(=言葉の基本的な順序)も全く異なります

たとえば英語の基本文型は、

「S(主語/私は)+V(動詞/食べる)+O(目的語/ごはんを)」

ですが、日本語では、

「S(主語/私は)+O(目的語/ご飯を)+V(動詞/食べる)」

のように、動詞が最後に来ます。そのうえ日常の日本語では、

「O(目的語/ご飯を)+V(動詞/食べる)」

のように、主語を省略する場合も多くみられます。こうした主語の省略は(イタリア語では頻繁に行われるのですが)英語やフランス語ではほぼ不可能です。

(※なお、日本語学の世界では「日本語にはそもそも主語が存在しない」という議論がありますが、ここでは便宜上省略します。興味のある人は調べてみてね!)

そして文型が違うということは人間にとって、実は文字が違う以上に大きなことなのです。

母語と生理

いうまでもなく、私たち人間はみな言葉を使ってものを考え、言葉を介して他者と交わり、言葉を駆使して社会生活を営んでいます。

ということは、言葉の基本的な順序(=文型)が違えば、ものを考えるときの順序だけでなく、感情の表しかた、対話の作法やリズム、自己主張のタイミングやその程度など、いわば生きものとしての行動様式に至るまで大きく違ってくるはずです。

実際、昔流行った「Noと言えない日本人」というフレーズが象徴しているように、言語が違うだけで言えることと言えないことまであったりする。たとえば私なども、フランス語で話しているときなら「嫌です」の一言できっぱり断れることが、日本語になると「うーん、ちょーっとそれはあのー、難しいかなーっていう、アレは、まあ、正直ありますかねー」とか抜かしたりするのです。なげーよ!!!

ともあれ、母語の生理感覚とは、何語であれ、それくらい強力なものなんですね。

SOV族の悲哀

ところが日本人は英語を学ぶとき、そうした生理的な語順を英語の文型に即して並べ替えるところから始めなければなりません。

「ごはん食べる→食べるごはん」「学校行く→行く学校」「明日電話してもいい?→いい私電話してもあなたに明日?」という具合に、自分の中の生理的な言語感覚を大いにねじまげ、ねじ伏せる努力を余儀なくされている。

そう、英語を学ぶ日本語母語話者は常に無理を、それもものすごい無理をして、生理感覚に負荷をかけまくっているのです!

こんなに当たり前のことなのに、私たちは日頃そのことを忘れがちです。映画や音楽、食べ物にファッションなどなど、英語圏の文化は日常的に摂取している人が少なくないですし、大人になれば仕事で必要になる局面も増えてきます。なにより「義務」教育のカリキュラムとして当たり前にやらされたせいで、「本来はできなくてはいけないもの」と意識に刷り込まれているのでしょう。

まったくもってとんだ災難です。

SVO族の傲慢

「そんなの、外国語を学ぶ人はみんなそうじゃん」「フランス人だってイタリア人だってがんばって文法を学んで、単語を覚えて、発音を訓練して、すこしずつできるようになるんでしょ」

もしかしたら、そんな風にお思いの方もいるかもしれません。確かに努力はみんなしています。ラテン野郎だってしています。サッカーしたりパスタをゆでたりする合間にしています(←しつこい)。でもラテンの人たちは、生理的な無理はしていないのです。

だって、フランス語もイタリア語も、英語と同じインド・ヨーロッパ語族だから

もうすこし簡単にいうと、フランス語もイタリア語も英語と同じSVO族だから。

だから、感覚をねじまげることなく、母語の生理に則ったまま学習できるのです。それどころか、綴りや発音がそっくりな単語や、ほとんどそのまま置き換えれば翻訳できてしまう共通の成句などもたーくさんあるのです。

外国語を学ぶうえでこれほど大きなアドバンテージはないと思いませんか?

ですから、フランス人やイタリア人と日本人とでは、同じ「英語ができない」でも意味するところがぜんっぜん違う。日本人がもともとすっごく、すっごく無理をして、できない努力をして、二度とは戻らない思春期の時間を費やして英語を学んでいるのに、SVO族の人たちはその何万分の1の努力しか必要としないわけだから

マラソンにたとえるなら「ゴール(=英語の習得)」までの距離こそ同じ42,195Kmでも、SVO族の人たちはいきなり40km地点から出発して、残りの2,195だけを走ればいいようなもの。大げさでもなんでもなく、母語の生理を捻じ曲げることなく学べるというのはそれくらい有利なことなのです。

さあ、ここまで説明すればみなさんにもわかっていただけるのではないでしょうか。「日本人てなんでこんなに英語できないの?」とか抜かすフランス野郎に心底ムカつく私の気持ちが!!そしてぶたずにこらえる私のえらさが!(←しつこい)

ちなみにですね、そういうときはにっこり笑って、

あのね、僕たちはアルファベットの国の住人ですらないの。文字すら共有してない外国語を、しかも義務教育で学ばされるっていう状況、君たち想像つく?

と言ってやればたいてい黙ります。なにしろ奴らの大半は外国語といっても同じアルファベットの言語しか学んだことがないですから、この「文字からして1ミリも共通点のない言語」という説明がいちばん効果的なんですね(文型の話はややこしくて時間がかかるわりにピンとくる人が少ないのでお勧めしません……)。

おわりに:あなたは英語から降りていい

さてみなさん、今回もこんなふつうの話に長々とお付き合いくださりありがとうございました。気づけば5000字を超えているので、最後にもうひとつだけ、3つめの「とても大事なこと」を言って終わりたいと思います。

いいですか、よーーーーーーーーーーく聞いてください。

英語はできなくて当たり前だから、そんなに気にしちゃダメ!!!!!!!!

よし、言った。確実に今日いちばんいいこと言った(自画自賛を惜しまない主義

ここまでご説明してきた通り、英語という言語はそもそも日本語からすごく遠い、縁もゆかりもない言語です。だからとっても難しいし、がんばってもなかなかできるようにならなくて当たり前なんです。

できるようにならなくて当たり前、ということはまた、ちょっとでもできればじゅうぶんすごい、ということでもあります。英語がとてもよくできるフランス人よりまあまあできる日本人の方が10倍すごいし、英、仏、西、伊の4ヶ国語でビジネス会話ができるスイス人より、英語で会議通訳ができる日本人の方が1000倍すごくて、かっこいい。

ですから言語能力の高低というのは本来、それぞれの言語の特性に鑑み、正当な評価基軸に照らして慎重に判断されるべきものです。にもかかわらず、「世界中の人々が義務教育で学んでいる言語すらロクにできないなんて、日本人は情けない」というような、表面的な比較だけでコンプレックスを抱え込んでしまうのは、百害あって一利なしではないでしょうか。

そして私がなにより問題だと思っているのは、「英語もできないのに、まして他の言語なんてできるようになるはずがない」「自分には言語のセンスがないんだ」と思い込んでしまっている人が多いこと。すくなくとも、私のところに相談に来てくれる人のなかにはそういう人がとても、とてもたくさんいます。

でも、これは非常に残念な考えかたです。だって、世界中には約7000の言語があって、SVO族以外の言語はいくらでもあって、そのなかには自分に向いている言語や、夢中になれる言語、うつくしい音や魅惑的な表記の文字をもつ言語が隠れているかもしれないじゃないですか。

それなのに、たかが英語ひとつができないくらいで悲観して、言語の豊かさにふれる機会を逸してしまうのは、あまりにもったいない話だと思うのです。

あなたは、英語から降りてもいい。

これは決して嫌味でも憐れみでもありません。

なぜって、私も英語がとても苦手だからです。英語があまりにもできなくて、志望校にぜんぶ落ちて、一浪してひっかかった夜間大学の仏文学科で仕方なくフランス語を始めたら夢中になって、いつの間にか仕事になっていた人間だからです。

ここまで読んでくださったみなさんが、英語コンプレックスという義務教育の呪いから解放され、あらたな気持ちで、楽しみながら英語学習に取り組めますように。

あるいはまた、いつか心から好きだと思える言語にめぐりあい、自分なりの豊かな言語生活の在りかたをみつけることができますように。

そしてそのついでに、心からでなくてもいいので「スキ」をぽちっとしてから画面を閉じてくれますように。

YES! YOU CAN!!

古っっっ!!!

平野暁人


訪問ありがとうございます!久しぶりのラジオで調子が狂ったのか、最初に未完成版をupしてしまい、後から完成版と差し替えました。最初のバージョンに「スキ」してくださった方々、本当にすみません。エピローグ以外違わないけど、よかったら最後だけでもまた聴いてね^^(2021.08.29)