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エッセイ| 自分でつくる

春がちかづくと気もちが浮き足たつのはミモザのせいかもしれない。

ミモザのリースを飾りたいとみてみると3000円…5000円…と値が張って、たったひと月と思うと足踏みをした。

一か八かで作れるかも、失敗してもSwagにすればいいと花屋さんへ向かう。

店先の花たちは春めいて初摘みの野薔薇に似た蒼くフレッシュな薫りがやさしく漂った。

ミモザがほしい旨をつたえると花瓶いっぱいの中から「お好きなのをどうぞ」といわれて気に入った枝ぶりのものを選んだ。

花を買う時の何ともいえない高揚感が好きだ。

揺れる度に真新しい包みから薫る束を大事に抱え家路に急ぐ。

今晩、夫がWEBミーティングのあいだおすすめの曲とともにリースを作ろう。

最近になってクラッシックを聴いてみたいと熱望した。

とはいえ、右も左もわからない。

クラッシックのクもシもまったくチンプンカンプン。

そんな時、クラオタの師匠に出会った。

色々とご教授いただきながら、おすすめを教えていただいた。

師匠はどんな曲が好みかを伝えると私好みの曲を紹介してくれる。

それは何もかもわかってしまうソムリエが蔵の奥からそっと出してくれる年代物のワインのようだ。

私はYouTube動画で曲を聴きながら瑞々しい枝に鋏を入れて100均で買ったリースの土台に添わせていく。

贅沢な時間だと思う。


爽やかな薫りを
リビングいっぱいにしてくれるユーカリ

昨年まで病いに煩わされて半世紀を過ぎて「このままでいいわけがない」と思った。

これからは「よいことしか起きない」と決めて調べてたくさんのことを試してきた。

その甲斐あってか暮れから体調が少しずつよくなっていった。

時々疲れてしまうことはあるし、お昼寝は欠かせないが心身ともにずいぶんと身軽になった。

まぶしくて閉じていたスクリーンを上げて陽の光を感じる。

鍋だって重くない。

呼吸がしやすくなり、何キロ歩いても疲れなくもなった。

そういえば物をもって階段を使うとき「ヨイショ、ヨイショ」といっていたのに口グセもいつの間にか消えた。

恥ずかしいくらいのささやかなこと、できなかったことができるようになった。

普通の人の当たり前が私には10倍にも20倍にも感じて、巨人の国に住む小人のようだったが等身大に感じられるようになった。

周りの人と同じように過ごしたいだけなのにどうしてふつうに過ごせないのだろうか…と悩んだし、遺伝なのか過敏な神経を呪いたくなった。

日常生活を臆することなく送れる。いまは、当たり前ができるようになって、こんなにもうれしいことはない。


マイナス面はかりをこぼしてしまったが、悪いことばかりではなかった。

たとえば自粛生活はまったく辛くなかった。

身体がままならない私は人に会わない生活も自宅で工夫しながら過ごす時間も快適だった。

小さな幸せも当たり前なことも誰よりも感動しながら暮らせた。

それは病気やお金の苦労が多い生活のおかげでもある。

生活の工夫と好奇心。

何を見てもはじめましての感動がある。

お金をつかわなくてもいまの私は何もかもが楽しい。

工夫をすれば愉しさは何倍にも膨らむ。

人生の課題に片っ端から相撲をとってがっぷりぶつかり稽古。

誰にも平等に終わりがくる。
そして人生は、思っているよりずっとずっと短い。

どうにかなりそうなことにはトライして、どうにもならないことや他人様のことは放おっておこう。

幸せか否かは、オトナになってしまえば、たいていは自分でつくれると信じてる。

普通に暮らせることは当たり前ではなくて
不満をいったら何万光年あっても足りない。

そんな時間はつまらない。

私は私の幸せもつきあう人も暮らしもみずから選んでつくっていきたい。


春の訪れを告げるミモザの
手づくりリース700円
プライスレス。



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