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自治体DXという意識改革

自治体DXの考えを整理したい。なぜここまで自治体DXが必用とされているのか、その本来の目的とは何なのか。デジタル田園都市まで出てきて一層混乱する自治体DXという概念を整理する。

法定DXと自主的DX

自治体DXが注目されている。しかしその定義は曖昧で、取り組みに苦慮するとの声も多い。そこで、自治体DXを体系的に理解するため、法定DX自主的DXに分けて整理することをおすすめしたい。自治体DXには法で対応が義務付けられているものと、個々の自治体が自主的に取り組むことが求められているものがあるからだ。今ちょうど改訂作業が進んでいる総務省の「自治体DX推進手順書」では、法定DXについては具体的な”手順”が示され、自主的DXについては”考え方”が示されている。

自治体DXと言ってもその範囲は多岐に渡る。当然、自治体に求められる取り組みも多様だ。そのことが全体像の理解を難しくし、しばしば「何をしたら良いのかわからない」という混乱を招いている。

そこで、自治体DXの内容を「法定DX」と「自主的DX」に分けてみよう。法定DXとは、自治体業務システム標準化のように、法律によって取り組みが義務付けられているDX。一方、自主的DXとは各自治体がそれぞれの実情に合わせ、創意工夫しながら進めるDXである。

どちらの取り組みも、目指すゴールは自治体事務をこれからも持続可能で、十分な住民サービスを提供可能なものとすることだ。このゴール達成には全国一斉に、あるいは一律に対応することが重要な物がある。これらについは法定DXの形で対応それ自体が制度化されている。また、地域の差別化要素として独自に取り組みたいDXや、各地域の特性によって必要となるDXもある。これらは自主的DXとして積極的な取り組みが推奨されており、その究極の形がデジタル田園都市とも言える。

現在、総務省で改訂が進んでいる「自治体DX推進手順書」は三部冊になっており、法定DX、自主的DXに対応できる形となっている。「自治体情報システムの標準化・共通化に係る手順書」(以下、標準化手順書と言う)と「自治体の行政手続のオンライン化に係る手順書」(以下、オンライン化手順書と言う)が法定DXに対応している。そして、「自治体DX全体手順書」(以下、全体手順書と言う)が自主的DXに対応している。

法定DXについては、すべての自治体が着実にDXを推進できるよう、それぞれの手順書において具体的な”手順”が明記されている。標準化手順書には「地方公共団体情報システムの標準化に関する法律」(以下、標準化法と言う)によって義務付けられた情報システムの標準化に対する作業項目や手順が示されている。オンライン化手順書ではいわゆる「デジタル手続法」によって地方公共団体においては努力義務とされた行政手続きのオンライン化について取組方針や作業手順が解説されている。

自主的DXについては、全体手順書においてその”考え方”が述べられている。自主的DXはこれをやればよいという性格のものではない。そこで、作業手順を示すと言うよりどのような考え方で、どのようなステップを踏みながらDXを実現してゆくのかが解説されている。そしてその中で、後半で詳しく説明するが、DXにおいていかに意識改革が必要であるかが記述されている。

着実な実施が大切になる法定DX

法定DXについて改めて見てみよう。法定DXは法によって対応が義務付けられたDXである。なぜ法定義務化するほど強権的にDXを推進しなければならないのだろう。法定DXを理解するには背景を正しく知る必要がある。その根底には人口減少社会に対する大きな危機感がある。人口減少社会を乗り切るために不可避な法定DXについて理解しよう。

法定DXの目的は、人口減少社会という全国的な課題に対して、すべての自治体が足並みをそろえ、一律に、一定のDXを実現することにある。ポイントは足並みをそろえ、一律に、一定の、という点に尽きる。

人口減少社会についての課題意識が明示されたのは、総務省の「自治体戦略2040構想研究会」報告書である。2018年7月に公表された第二次報告では、2040年に予測される人口減少のなか、現在の”半分の職員数”で自治体事務を実施する必要があると述べられている。そして、その実現手段として”スマート自治体”への転換が必須であると結論づけている。

自治体戦略2040構想研究会が求める”スマート自治体”とは、一言で言えば、職員の事務作業を可能な限りコンピュータに代行させる自治体像である。職員数半減という事態を乗り切るには人手の処理を減らす以外に手段はないということだ。職員がパソコンを操作し、処理しなければならない作業はRPAに代行させる。職員が考え、判断しなければならない作業はAIに代行させる。第二次報告ではRPAやAIといった技術を”破壊的技術”とよび、これらを活用した今までと違った発想の自治体事務の実現を求めている。これはまさに自治体DXである。

スマート自治体への転換は、一部の先進的自治体だけが実現しても十分な効果が発揮できない。そもそも人口減少は全国的な課題である。また、住民の生活や企業の活動にも効率性が求められていく中で、自治体ごとに実現レベルがばらつくことは非合理だ。例えば、同じ手続なのにオンラインで手続できる自治体とできない自治体が混在するといった状況は避けなければならない。

そこで、法定DXとして、例えば手続のオンライン化なら「デジタル手続法」で対応を努力義務とし、対応手順はオンライン化手順書に示すことで、足並みを揃えた対応を実現しようとしている。すべての自治体に期限内での確実なDXを求める。自治体の対応状況を一律、一定に揃えることでDXの効果を最大化しようとする取り組みである

全国の自治体で足並みを揃えることのもう一つの意義は、国による全国サービスの早期展開を可能とすることである。デジタル社会では様々なサービスがネット経由で提供可能だ。全国民に提供すべきサービスは国が一元的に提供する、あるいは提供の仕組みをまとめて準備することが可能になってきた。自治体職員の減少という状況を考えても、地域性のないサービスについては国が仕組みを提供する形が主流となりうる。

国による全国サービスが期待されると、自治体ごとに整備されているサービスとの連携が課題となる。地域性のあるサービスや制度上自治体ごとに実施すべきサービスは当然残る。結果、国によるサービスと自治体ごとのサービスの連携が必要となる。コロナ禍における特別定額給付金への対応で、マイナポータルと自治体の住民記録システムとの連携に問題が生じたことは記憶に新しい。

国によるサービスと自治体ごとのサービスがうまく連携するには自治体側の足並みを揃える必要がある。自治体側が多様な状態で、国側にそれら全てに対応せよ、連携可能とせよと求めるのは無理がある。また、自治体側に連携手順を示すにしても、現状がまちまちでは汎用的な手順の整理が難しい。法定DXの一角である標準化法が求める“自治体業務システム標準化”の大きな意義はここにある

スマート自治体への転換も国による全国的なサービス提供も2040年の人口減少社会に対応するために必要不可欠である。職員数半減という難局を乗り切るため、法定義務化という強権的とも言える対応を取らざるを得ない状況を理解する必要がある。考えてみてほしい、住民が減ることで提供するサービスの絶対量は減るかもしれない。しかし、サービスのバリエーションは変わらない。今の半分の職員ですべての事務を分担する組織改編を検討してみれば、事態の重大さがわかるはずだ。法定DXはできるものだけがやれば良いDXではない

法定DXにおいて重要なことは、端的に言えば、悩むより進むことである。標準化手順書、オンライン化手順書で対応の段取りが示されている。対応時期についても工程表が明確である。決して簡単な取り組みではない。しかし、2040年を乗り切るためには不可避の対応である。だからこそ、法を持って義務付けられている。ここは覚悟を決めて取り掛かってほしい。

DXの本質は意識変革

自主的DXについて考えるまえに、そもそもDXとはなにか、その本質について整理したい。DXとはデジタル技術の活用を指すのではない。DXとは意識変革である。

DXすなわちDigital Transformationにおいて重要なのはDigital(デジタル技術)ではなくTransformation(変革)の方だ。デジタル技術をいかに活用するかではなく、いかに変革をするかが要点である。技術に関しては、変革の結果としてデジタル技術を活用すべき”場合”があるに過ぎない。

この変革は、「デジタル社会という新たな常識に対応するよう意識変革すること」と整理できる。自治体DXにおける変革とはなんのため、何に向かっての変革なのか。それは一人ひとりの職員のデジタル社会に向けての意識変革なのだ。

DXが職員の意識変革であるとは、DXは”人”の問題と言うことだ。例えば、よく重要視される”デジタル人材”を、単にデジタル技術に長けた人材と考えてしまうと不十分だ。プログラムが書けたり、データ分析ができたりすることがデジタル人材の本質ではない。あくまでデジタル技術は必要に応じて利用するだけのもの。デジタル人材とは、デジタル社会への意識変革を達成している人。いわばデジタル悟りを開いた人のことを言う

ではなぜ、そこまで意識変革が必要なのか。デジタル社会に対応することと意識変革にはどんな関係があるのか。技術や社会の進歩は常にあるのに、なぜ今起こっている進歩には強い意識変革が求められるのか。次項で詳しく説明しよう。

デジタル社会という新たな常識

デジタル社会への変容を第四次産業革命と呼ぶ人がいる。デジタル技術によって”できること”が大きく変わった。できることが変われば人々の生活や社会の常識は変化する。デジタル技術による”できること”の変容は非常に大きい。よって、それは常識を大きく変化させた。行政もこの変化を無視していられる状況ではなくなっている。

産業革命とは、ある産業技術の成立が社会に革命的とも言える変化をもたらすことを言う。たとえば、第一次産業革命では蒸気機関が発明され、蒸気機関車が走るようになる。それまで遠くに多人数を移動させることは大変な時間とコストを要していた。それが、短時間に低コストで実現できるようになる。すると、”できること”が変わったことで常識が変わり、”団体旅行”というサービスが生まれる。

デジタル技術によって”できること”が劇的に変化した状況もこれになぞらえ、第四次産業革命と呼ばれる。デジタル技術は人と人がつながること、個人が新しいものを生み出し、それらを広めることに劇的な変化をもたらした。今まで、遠く離れた人どうしが繋がり続けるには大変なコストが必要だった。デジタルでは当たり前のように人と人、時には物が常時繋がり続ける。新しい何かを生み出し、それを広めるには大変な労力、人手、コストが必要だった。デジタルでは一個人が高い生産性で何かを生み出し、簡単に世界中に広めることができる。

”できること”が変われば人の生活や社会の常識は変化する。すでに人々はデジタルでできることを前提に暮らしている。たとえば、今の若者は”待ち合わせ”をしない。それどころか、”約束”もあやしい。SNSでカラオケに行く話が盛り上がる。それだけ。大体の場所と時間が共有されれば、あとは三々五々集合する。明確に参加を約束することもしないので、縛られることもない。デジタルで常につながっているのだから「待ち合わせ」は不要なのだ。デジタルで常に意思決定、共有が可能なのだから「約束」によって変化を妨げられることより、臨機応変であることが優先される

デジタルの新しい常識感の一つは、”臨機応変”であることだ。すでに様々なサービスはこの変化の流れの中にある。シェアライドというシェアリングエコノミーのサービスがある。車に乗るときにネットで募った希望者を空席に同乗させてあげるサービスだ。このサービスも、もし事前予約制だったらみんな使うだろうか。 日曜日にショッピングセンターまで同乗させると約束してしまったら、当日買い物の予定がなくなっても絶対に乗せなければならないとしたら。たまたま空いている座席に乗せてあげる、乗せてもらうという臨機応変さがこのサービスの肝と言えるのではないか。

もう一つの常識感は、”個人の生産性の高さ”だ。個人レベルで大変な生産性を発揮できることがデジタルの強みである。上でも触れた、コロナ禍における特別定額給付金の事務処理に様々な混乱が生じたことは行政のDXを推進する大きなきっかけになった。このときの問題を単に”デジタル技術の遅れ”と捉えると不十分だ。これもデジタル社会における常識感、特に高生産性という常識の変化と捉える必要がある。

実は、マイナポータルを利用して特別定額給付金の電子申請を受け付ける仕組みは二週間足らずで構築されている。特別定額給付金について閣議決定されたのが2020年4月20日でシステムが稼働したのが5月1日である。5月の末ころには8割ほどの自治体がオンラインでの受付を開始していた。

このスピード感は従来の行政サービスでは常識はずれだろう。いかに新型コロナウイルスに関する対応が緊急を要したといえ、この短期間でサービスを稼働させよという発想は考えられない。しかし、あるいみ当たり前のごとくこれが求められた。できて当然という価値観のもと、不具合についてマスコミは大きく批判した。諸外国と比較し、日本のデジタルは遅れていると言われた。ついにはデジタル敗戦などという言葉さえ生まれた。

これはデジタル社会の常識感である。新しいサービス立ち上げには数週間で十分という常識感。行政もデジタルの常識感と無縁ではない証拠だ。むしろ民意は行政がデジタルの常識感についていけないことを一切許さない

自主的DXでは、この常識感の変容に対応するとの意識が不可欠であり、それこそが”意識変革”なのだ。全ての職員がデジタル社会の常識感を持たなければならない。たとえ納得いかなくとも理解はしなければならない。人々の動きはより臨機応変となり、計画に縛られることより変化に対応することが優先される、無計画社会となる。個人の生産性や発信力は高く、組織力より個人間の繋がりが重要な、個人中心社会となる。その常識感をもって行政サービスをデザインしなければならない。

デジタル社会への対応が求められる自主的DX

自主的DXとはデジタル社会の新しい常識感をもって行政サービスをデザインすることである。そこにはまだ明確な正解はない。個々の自治体がそれぞれの状況をしっかり見つめ、デジタルの常識感に則って課題を理解し、解決策をデザインする。その積み重ねが自主的DXの答えを作ってゆく。

自主的DXにおいては、新しい行政のデザインを担う人材が重要となる。自治体DX推進手順書の全体手順書を見ると、その大半が人材と組織体制についてである。これはまさに自主的DXが人材の問題であることを表している。デジタル社会の常識に対応しようという意識、いわゆるDXマインドセットをもつ人材を確保することが自主的DXの要となる

それにはまず、内部での人材育成が肝要だ。人材確保は大きく分けて内部で育成するか、外部から登用するかになる。しかし、内部の人材に全くDXマインドセットがないところに、意識変革を終えた外部人材を単に投入してもうまくはいかない。常識感のズレは軋轢をうむだけだ。外部人材を登用するにしても、まずは内部の人材育成、意識変革を一定水準まで進めておく必要がある

DXマインドセットを持った人材がいれば、自然と自主的DXは進んでゆく。自ずと変化が始まる。なぜなら、既存のやり方が常識感に合わないからだ。DXは手段である。手段が目的化してしまい、意欲ないところに強制的に自主的DXを検討させても良い結果はでない。DXマインドセットを持った職員から必然的に生じるDXこそが真の自主的DXと言えるだろう

さらに自主的DXを推進するには、課題の具体化が欠かせない。課題を持つこと、問を立てることは時に解決策を作ることより難しい。DXのマインドセットをしっかり持ち、現状を正しく観察・共感し、分析的に課題を整理する必要がある。職員それぞれの心に浮かぶ違和感、引っ掛かり、問題意識を可視化する必要がある。解決すべき課題として具体化するプロセスが重要になる。

DXでよく行われるワークショップはDXマインドセットの醸成と課題の具体化を同時に実践できる有効な手段だ。よく整理されたワークショップは参加者にDXへの気づきを与える。さらに、課題整理手法の理解と実際にいくつかの課題を可視化する機会を与える。自主的DXを進める上で良い解決策になるだろう。

加えて、自主的DXには多様性が不可欠である。自主的DXの対象は地域の課題だ。自治体職員だけではなく、地域の様々な主体と開けた議論を行う場が求められる。ワークショップも官民共同で行う意義は大きい。もし、一人の人間にDX検討を委ねるなら、できるだけ広い見識を持ち、様々な経験を有する人材に頼みたいと思うだろう。チームで検討するならば、この多才な一人の人間に対応するのがそのチームだ。できるだけ多様な人材、異なる背景をもつ人材を集めてチームを作ることが有効であることが理解できると思う。

新しい行政を目指して

デジタル社会という新しい常識に対応した行政サービスを目指さなければならない。そのためには、すべての自治体が足並みをそろえ、協力しあって前に進むべき部分がある。同時に、それぞれの自治体が個々の状況を見定め、創意工夫し、あるべきサービスを臨機応変に、素早く提供し続ける必要もある。

新しい行政においては国と自治体の役割分担は変化するだろう。人口減少社会、デジタル社会では国がまとめてサービス提供する方向性は確定的だ。自治体は地方自治としての多様性を維持しつつ、国と効率的に連携すべく”一律”であることも求められる。このバランスを追求することが自治体DXの一つのゴールだろう。

また、新しい行政は変化し続ける。デジタル社会の常識感が臨機応変さにあり、変化にある以上、自治体DXは変化と不可分だ。固定的な計画に縛られ、状況の変化に柔軟に対応できない組織や姿勢はDXに見合ったものではない。状況の変化に敏感となり、大胆に意思決定を行い、変化を受け入れる機運が求められる。さらに、変化にいち早く対応する生産性の高さが必要となる。臨機応変さを支える意識と生産性が自治体DXのもう一つのゴールだろう。

今自治体は大きな岐路に立たされている。人口減少社会を乗り越え、デジタル社会という新たな可能性を自分のものとしなければならない。”デジタル田園都市”と言われる価値観では、デジタルによって地域は新な優位性を持ちうるとさえ考えられている。目指すゴールは容易ではない。しかし、決して悲観するものでもない。変化の時代に生きるとは、新しい時代を切り開くチャンスを与えられているのだから。全ての自治体職員にDXマインドセットを持ち、積極的にDXへの取組を進めていただきたい。

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