あなたの自己評価の基準は何ですか?
高校で生徒たちと話していると、彼らは「自分の可能性をはたして感じているのか?」と思うことがよくあります。
私が勤務する高校では、卒業後は大学か専門学校に進学する生徒がほとんどです。そのため、主に2年生から「進路をどうするか?」というテーマについて考えてもらう時間が増えていきます。
しかし、「将来自分はこうなりたいです!」とはっきり決まっている生徒はクラスでほんの2、3人。
ほとんどの生徒は「将来仕事がなくならそうだから…」「親に大学は出ておきなさいと言われているから…」「なんとなくこの分野かなと思って…」というように、「自分がどうしたいか」を決めない状態でいるのがほとんどです。
そういった返答をされるたびに「なんだかなあ…」ともやもやするのですが、そんなときは「彼らの満たしていない欲求はなんだろう?」と考えるようにしています。
これは、高校の「現代社会」でも学ぶ「マズローの5段階欲求」を元にしています。
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マズローって何?という方は下記のサイトを。わかりやすいです。
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将来の進路を決めるというのは、いわゆる自己実現のフェーズになるので、上の理論で考えるのであれば、4つの欲求をある程度満たしておく必要があるわけです。
しかし、それは中々難しい。
これは私の感覚なのですが、日本では「今まで行ってきたこと=あなた自身の存在価値」という価値観があるように思えるからです。
新卒の就職試験とかはまさしくそうですよね。「今まで何をやって、どう考えてきたか」を文章のみで判断されて、面接するかどうかを決められます。
そうなると、「過去に私は何もしてきていない」と感じる人からすれば、「自分はダメだなあ…」と感じてもおかしくありません。
下記の表を見てください。
上記は、内閣府が発表している2019年版「子ども・若者白書」に掲載されていた表で、日本人の「自分に満足していない気持ち」がよく表れています。
そして、個人的に面白いなと思ったのは以下の表です。
これによると、
・自分は能力があって、”できる人”だから満足する
・自分は”できない人”だから、自分に満足していない
という「能力=自分と捉える」というのは、日本独自の考え方なんだなと思わされます。
学生であれば成績、社会人であれば仕事の業績。そういった結果で判断されるのは万国共通なのでしょうが、「評価軸の少なさ / 基準の高さ」が日本の特徴としてあるのではないでしょうか。
私たちはもっと「自分はできる」と思っていいのかもしれない
私は昔、オーストラリアにワーキングホリデービザで1年間滞在していたことがあるのですが、そこでそう感じたことがあります。
ランニングをするイベントに行った後に、現地の人も交えてよく飲みに行っていたのですが、そこで1度言われたのが「日本人はもっと英語を話せるって言いなさい」ということ。
君はなんで普通に英語を喋れるのに、英語を喋れるって言わないの?と不思議そうな顔を私に向けていました。
「いや、中学英語までしか分からないし、TOEICも350点だったし、現地の人が話している英語はあんまり聞き取れないし…」と思ったものでしたが、彼らからすれば「ゆっくり会話して意思疎通できるんだったら問題ないじゃん」ってことなんですよね。
「実は俺も日本語しゃべれるんだぜ」と現地の人にドヤ顔で「こんにちは」と言われることも何度かありました。他は知らないけど1語喋れるんだから、日本語を喋れるといってもいいだろう、と笑っているのです。
周りの人も「そうだよね」みたいな反応をして。
私がいたシドニーは多国籍の都市だったので、そこに住んでいる人たちは、「相手の英語が上手くなくてもおかしくない」というのが当たり前だったのかもしれません。
基準を上げる、基準を下げる
私たちは知らず知らずのうちに基準を高く持ってしまいます。
当然、基準を高く持つことで能力を伸ばしていけるというのがありますが、それが自分自身を苦しめる結果につながることもまた事実です。
何の基準を高く持ち、何の基準を下げていくか。
その選択のセンスを磨くことが大切なのではないかなと思います。
私個人では、「数字で表せることは基準を高く、そうでないことは基準を低く」を心がけていきたいなと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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