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今こそ、生活を良くする絶好の機会。

 コロナによる外出自粛期間。

 仕事がいつものようにできなかったり、外でくつろぐ時間を取れなかったりと、自分にとってマイナスなことも多く見つかるけれど、そんな中にもプラスのことは存在しているなあと思う。

 それは、「この時期は生活の質を上げる良い機会になる」ということ。

 この気づきをくれたのは、星野源さん。 

 私はよく、自分で淹れたドリップコーヒーを片手に本を読む。その日も星野源さんのエッセイ「そして生活はつづく」をソファに深く腰かけながら読んでいたのだが、そこには次のような文章が載っていた。

 私は世界が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんか見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。でも、そこで生活を置いてきぼりにすることはもう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。楽しそうに仕事をする裏側で、もう一人の自分はずっとあの小学生の頃のつまらない人間のままだったのである。そりゃあ、見た目と中身に差が出るのは当たり前だ。
 そんなわけで生活をおもしろがりたい。しかし、ただ無理矢理生活に向き合うだけじゃすぐに飽きて同じ失敗をしかねない。むやみに頑張るのではなく、毎日の地味な部分をしっかりと見つめつつ、その中におもしろさを見出すことができれば、楽しい上にちゃんと生活をすることができるはずだ。そしたらあの「とてつもない虚無感」もなくなるかもしれないし、感じたことを素直に表すのも上手になるかもしれない。

 「生活の質を上げる」というのは、なにも「家に良いものを取り揃える」ということではない。ご飯を食べたり、掃除をしたり。そういった日常の時間を、今までより「丁寧に」するということなのだ。

 私も星野さんと同様に、日常生活というものを後回しにしてしまう傾向がある。家をきれいにしたり、料理を自分で作ったり、そういった当たり前のことを「ま、いっか」と見て見ぬ振りをしていた。「だって、やらなくてもそんなに変わらないでしょ」と。

 ゴキブリや虫が出るのはさすがに嫌だったので、その恐怖感から掃除はしていたけれど、それにだって丁寧さは存在していない。「虫が出なければいい」のだ。掃除機だって丸くかけてしまう。

 仕事で家を出る日であれば、起きて家にいるのは朝夕それぞれ数時間。

 その中で、料理、洗濯、掃除といった家事を行うのであれば、いくら1人暮らしといっても時間はそんなに余らない。今まできちんとやってこなかったから技術がないわけで。

 パパッとできる人は、これを今までこなしてきた経験なのかと、尊敬する気持ちが生まれてくる。

 慣れていない分、私が丁寧に家事をするには時間がかかる。だからこそ面倒にもなる。その面倒臭さに耐えられず、仕事をしたり、本を読んだり、ネットをうろついたり。「だらだらするのも良いよね」で終わらせてしまう。

 しかし、だ。今は自粛期間というのもあって、家にいる時間が長くなった。今までと生活リズムが変わるからこそ、変えられることもあるのではないか。

 「丁寧に生きる」のに必要なのは、あとは自分を動かすだけ。そして、”気持ち”は”行動”から作られる。

 まずは、何かを手軽にやり始める。すると、それに対するやる気が雪だるま式に大きくなり、いつの間にかできるようになっていく。

 パッとやり始めてしまえば、あとは勝手に続いていく。

 この自粛期間が終わる頃、私が今思い描く「丁寧に生きる」生活を自然に行っている状態になりたい。基準が上がった状態で、コロナが少し落ち着いた、また新たな生活を迎えたい。

 この文章を書き終えて、まずはコーヒー豆を挽くところからはじめよう。Youtubeで観た美味しいコーヒーの淹れ方を参考に、理想に近いコーヒーを自分の手で作れるようになるのだ。

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