ジャーナリズムとは、変身すること

                        藤原章生

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コンゴ民主共和国で、藤原章生撮影


 「いいね、あちこち行けて。我々が名前も知らない村まで行けるんだから」。

 毎日新聞のラテンアメリカ特派員をしていたとき、コロンビア詰めの外交官からこう言われた。外務省職員の場合、省が決める「危険地域」に足を踏み入れることができない。だから、首都からなかなか出られないという話だった。確かに、気候も人も寒々とした官僚都市ボゴタだけでを見ても、この国のすべてはわからない。わかったつもりでも、欠乏感がある。でも、危険地を歩いたからといって、何かがわかるというわけでもない。 

 朝夢を何かの前兆と考え、そのつど夢判断をする北部の民族。ヤヘと呼ばれる薬草の混濁液で酩酊しながら未来を占うアマゾンの族長たち。なぜか百歳を越す老人の多い太平洋岸の長寿村・・。コロンビアと言っても、この多様さを前にすると「つかみ所のない魔境」という結論しか出てこない。

  所詮は旅行者の域を出ないのだ。都会であれ、やはり外交官のように、腰をすえてこそ見えてくるものもあるはずだ。

  では、地域や分野を越えて動き回る記者は、なぜ必要なのか。国立情報学研究所の高野明彦教授が「グーグルの台頭」に触れ、こう語っていた。

 「みんなが欲しがる情報がいい情報というグーグル的世界では、すべてが薄まり平板化していく。学問のフロンティアを探るには学者を、状況、事件の意味を察知させるには記者を。人類には、誰ひとり目を向けないものを捕らえるセンサーが必要なのだ」

  そう。記者はセンサーなのだ。その感受性で、人々が当たり前とみなす物事の中から、本質をつかみ取り、まだ見ぬ人々に届ける。でも、私はアフリカを回る中で、あるとき、どうしたらアフリカ人の賢さや優雅さ、謙虚さを日本に伝えられるのか、途方に暮れたことがある。その絶望感から、拙著「絵はがきにされた少年」のある章では「『アフリカを救え』と叫ぶ前に、まず自分の目で見よ」と記している。でも、これは記者業の限界を自ら露呈してしまっていることと同じだ。目にしない人には、どうしたってわからないと。

  絵、写真、文章と、自分が見たものを人に伝える方法はいろいろある。だが、大事なのは自分が変わっていくことだーー。写真家の故星野道夫氏は、人の話を引く形でこう書き残している。これを私なりに読めば、自分自身が変わり、表現の限界を少しでも高みに上げていくこと。つまり、センサーをより鋭敏にしていくということだ。

  そう考えれば、私がアフリカで感じた絶望は、やはり、早計だったのだ。自分が変わることで、感受性をより研ぎ澄ましていくことで、伝えきれなかったことも伝えられる日が来るかもしれないのだ。

 (「外交フォーラム」2006年10月号収録原稿を若干改稿)