紙一重フィーリング 〜喫煙とサウナの間〜

どうも、早速ですが、本日はサウナのお話をさせて頂きます。
サッカーの話書きますと言いながら、二発目でまさかのサウナネタですが
いいんですよそんなことは。サウナもサッカーもサンガもSで始まりますからね。
Sで始まるもんなんてなんぼあってもいいですからねー

整う=ヤニクラ

結論先行型だが、詰まるところサウナでいう”整う”という現象は”ヤニクラ”なのだ。異論は認める。
しかしながら、私にとってはかなり似ている、もはや同一事象なのである。
※ここが本記事最大のポイントでありハイライトなので、以下は興味がある場合のみお読み下さい。クドクドと下記に記していますが、要は整うってヤニクラやんと言うことなんです。たったそれだけなんです。
あと、個人的な意見・見解ですので悪しからず。面白おかしく読んでください。

サウナブームと整うという行為

私も昨今のサウナブームにはまる老若男女と同様にサウナにハマっている。
というよりハマっていた。※ブラジルに来てからはすっかりご無沙汰なので。
約5年前の正月に兄とサウナに初めて行ったと同時に、既にサウナの虜になっていた兄よりタナカカツキ氏のサ道を与えられ、程なくしてサウナ文化へどっぷり浸かって行くことになる。
※タナカカツキ、sotからのサウナ入門は黄金ルートですね。
最初のうちは整うという感覚がわからず、ただただ
”水風呂気持ちぃぃぃーフォぅ〜”
”めっちゃ気持ち良く寝れるー”
と言うポイントでハマっていた。

実際に初めて整ったのは、ハマり出してから2,3ヶ月くらい経った時に行った
横浜のスカイスパだったと思う。※ハマだけに!よっ!てやんでぃ
”整い”童貞であった私の初体験の率直な感想は、
頭がクラクラするけどなんだか気持ちいいのかな?という感じで、
目眩のような感覚にも近く、少し不気味にも感じた。
その時はまだこれが整うだということをまだ知らなかった。
※なぜスカイスパだから整ったのかはわからないが、
今でもスカイスパはone of my favoriteだ。
高温派の私には少し物足りないがアウフグースがあればなんのその。
①アウフグース開催頻度多、②キムチチゲうまい、③小タオル使い放題の
トリプルクラウン。

あれ、、、整わない

初めての感覚を手に入れた私はサ道を読み返し、有識者の記事やコメントを webで読み漁った。
(今でこそ数々のサウ二ストが巷を賑わせているが、僕はなんてったってSOTが私の師であり永遠の憧れだ。最近のブームに対するちょっぴりアンチなコメントも好感が持てる。)
何やらあの感覚が”整う”ということらしい。
一気に不気味さが無くなって、ポジティブイメージのみに書き換えられた私の脳はここから更にサウナを求めていく。

休日だけでなく、平日の仕事終わりにまでサウナへ通う様になった。
都内から横浜、更には名古屋や地元京都のサウナまでも開拓していった。
様々なサウナに出会い、自らのサウナエクスペリエンスとサウナリテラシーも高まり、汗流しカットを行う者やピンチケ勢に冷ややかな目線を送る一端のサウニスタへと変貌していった。
そして、壁にぶち当たる。ハマり始めて約半年、整い出してから約3ヶ月。
鼻が伸び出して2ヶ月。。。。急に整わなくなったのだ。。。
整わずしても、水風呂の気持ちよさやサウナ上がりのリラックス感は味わえていたのだが、あの頭の中がリセットされるような”整い”は訪れなくなった。

整いを分析する

それから私は整いを分析し始めた。
自らが整っていた条件を思い出し、仮説を立て、実証する日々が始まった。
まずはサウナ、温度条件/湿度条件を徹底的に分析。すると高温サウナの方が自分好みだということに気づいてきた。要は通常時のスカイスパの2段目よりレスタの3段目が最強ということである。100度以上で湿度は高すぎず低すぎず。これが自分にとって最強のセッティングだということが判明した。
水風呂もシングルよりも12〜14℃の常識に範囲内で冷たいものが自分にフィットするということがわかってきた。
この温度差、緩急に導かれるように”整う”は私の元へやってくるのだ。
約1ヶ月計8回のサウナ体験をもとにこの勝利の方程式。いや、整いまでの最短距離を見出したのである。

”整い”が”整い”で無くなった日

そこから私はレスタへ足繁く通う様になる(100℃もないが3段目は良い)
なかなか整う頻度は以前より上がってきたが、整わないという日も訪れる。。。
結局行き着いた結論は、サウナに行きすぎることで体がサウナの高温、水風呂の低温の温度差に順応してしまうことで、そこからくる整うという快感を感じなくなってしまったのだろう。
よくよく考えればわかることである。分析してみたー!なんて言わずともわかる。
整うを求めすぎたことで、逆に遠い存在へとなっていたのだ。恋と同じですね。
その頃にはもうサウナに通って一年近くが経とうとし、周りの友人知人へセルフでサウナ促進キャンペーンを進めていた。
そんな中、会社の後輩が是非サウナに行きたい、弟子入りしたいと懇願して来たので仕事帰りに一緒にサウナへ行くことに。

私プレゼンツでサウナ3セットを後輩と終えた。彼も初整いを経験できたようで。
なんだかハマりそうな予感がしていて、プレゼンテーターの私としても一仕事終えたと思い、レストランでビールを飲んでいたところ。
おもむろに後輩が一言。。。
後輩)整うってヤニクラみたいっすねー
私)!!!!!!。。。。こいつ、、的を得てやがる。。。
この瞬間、いや、この一言で、整いが整いで無くなったのだ。

ヤニクラ=整う

確かにヤニクラは、一定の期間をタバコから距離を置かないと発生しない。
ここは整う現象と同じである。※サウナ入りすぎると体が慣れて整わない。
最初に整った時に感じた不気味さも、ヤニクラに通じる。。
ヤニクラが生じた時に今まで快感を得たことがないし、ネガティブなフィーリングが押し寄せてくる。これがあの不気味さの正体なのか。
ではなぜヤニクラは気持ち良いと感じず、整うは気持ち良いと感じるのか。
それは、シチュエーションの差だろう。
サウナに関しては整え(ヤニクラ)を求めて、挑むものであり。身も心も裸の状態でその時を迎える。
タバコに関してはヤニクラ(整い)を求めて、挑んでおらず。どちらかというとヤニクラは起こって欲しく無い事象。求めていないものなのである。加えて、身も心もストレスフル状態で迎える傾向にあり、同じ感覚だったとしても、
待ち受けるこちらの姿勢と期待がサウナと喫煙では真逆に存在している。
もう極論を言えば、1週間禁煙して、全裸でタバコを吸えば整えるのだ。
ヤニクラを心待ちにする姿勢と期待。そして裸という開放感(リラックス)を持ってタバコを吸えば、サウナで整うことと同じなのである。
なんだかそう思うと、整うことへの興味が一気に薄れてきた。
それと同時に、この後輩、一度のサウナでそれを見抜くとは、、、できる!

それからのサウナと私

それ以来、整うに拘らずサウナとうまく付き合える様になった。
整う事に拘らず、雰囲気や時間の流れ、快眠さを通して癒しを与えてくれるサウナの魅力に立ち帰れたのだろう。
昨今、整うという言葉が市民権を得たり、サウナで入ることで仕事の効率化が図れるなんて言われている。
サウナで企画を作る、アイデアを出すなんてこともするようだし、どこのサウナも混み合っている。
しかしながら、ただ何も考えずにぼーっとリラックスする。
そしてまた忙しい日常へと帰る、現代を生きる人々への束の間のオアシスであるということが本来の本質であり、それを忘れてはフィンランドへ足を向けて寝ることはできないだろう。
よし、帰国した際は開店直後のルーマプラザに行こう。
サウナ→水風呂から屋上でのチルアウト。あ、屋上は喫煙可だ。。。。

やはり、整うと喫煙は切っても切れない関係のようだ。

Tchau!


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