【不妊治療】第2章【手探りの治療4】闇は深い・後編
闇は深い 後編
平成7年7月3日
主人に、私がこうして書き溜めたものを初めて見せた。主人は、私がこうして書き溜めていた事も知らなかったし、この先も、見せるような事は無いと思っていたが、彼ひとりが苦しんでいるのではないと言う事を分かってもらうには・・・こんな事ぐらいしか何も方法が思い浮かばない・・・。
私達は、今 人生の岐路に立たされている。
子供を持つべきか、持たないべきか・・・。顕微授精を繰り返してでも子供を作るべきなのか・・・。それでも子供が出来るならその選択は正しいのだと思う。また、子供は要らない、二人で幸せに暮らしていけるのなら、それも正しい選択だろう。
このままではいけない・・不妊治療を、本格的にはじめて・・・・『精子減少症』と言う事実を知って半年・・・私達は、今までで最も話し合ったのでは無いだろうか。
どの様に話したか、全て順を追って書く事は出来そうも無い。
彼はこの数日『別に何も考えていなかった』と言い、『廃人のようなつもりも無かった』と言った。私は、まるで腫れ物に触るような感じで彼に接してきた。そんな生活が続くのはイヤだった。だからこそ、話し合ってみようと思った。
彼は、子供のいない生活の中で、私が姉の子供たちと接するのを見るのもつらいと言った。
子供が出来ないのは、全て自分のせいだと思っているらしい。子供のいない生活を恐れている。『自分の≪病気≫を他人には話せない』と言い、『子供は?』と聞かれるたびにつらいと言った。
自分の病気を≪恥かしい事≫と思っていると話してくれた。
≪恥かしい事≫・・・私はそれを聞いて少し悲しく、情けなくなった。
≪恥かしい病気≫≪恥かしい障害≫なんてあるわけが無い。
まして自分がなりたくてなったわけでもない。
しかし、彼は『≪お前は雄じゃない!子供を産ませる事が出来ない!≫と言われたんだぞ!!』と、言って怒鳴った。『自分にしか分からない!他人には分からない!』と。・・・私は『他人』だったの???
決して、全く同じ苦しみを背負う事は出来ないけど、あなたとは違う別の苦しみを背負っているのに。私はパートナーじゃなかったの?このマラソンレースは2人で走ってきたんじゃなかったの?そんなレベルで、この半年生きてきたの??!!
彼の『病気』を指さして笑う人がいれば、その笑った人の方がよほど悲しい人だと、私は思うよ。
逆に、彼にではなく、私に障害があったとすれば、あなたはそんな私を指さして笑うの?
そんな人はいないよ・・・少なくとも私達の周りにはいない。もしいたら、言わせておけばいいじゃない。
≪恥かしい病気≫だと自らが思っている間は決して全てを乗り越えられないよ。人生の岐路に立たされても、ずっとそこに立ちすくんでいるだけ。
そんなつまらない人生なんて、私はいや。子供がいない人生より、よほど不幸じゃない!!
迷っても、苦しんでも、何かを選んで前に進まなきゃいけない。例え間違っても、立ちすくんでそのまま死んでいくよりマシじゃない!?
平成7年8月2日
もうすぐ、姉に「3人目の子供」が産まれる・・・。私は、姉が出産するM病院の産科の前で、出産の連絡を待っている・・・。今日は、朝からたくさんの産声が聞こえている。今も、数人の妊婦さんが陣痛をこらえて、一生懸命≪産まれ来る我が子≫に会うため、頑張っている。姉も、その一人だ。
義兄や、両親は「姉の長男と次男」をしばらく預かる事になるので、その準備をしに、家に戻っている。その間、私はこうして一人、産科の前の面会室で待っている。・・・・・何をしているんだろう・・・私は。
姉に『陣痛の苦しみに耐えているところを見せてやりたい』と言われた。『見たら、子供なんて欲しくなくなるよ』『そんなにまでして子供が欲しいの?って思う・・・』と。
それでも、それは子供が欲しくても出来ない私達から見れば≪幸せな苦労≫だ。
決して、うらやんではいけない。子供がいる幸せな苦労を『本当の苦労』と言うのだろうか?
子供がいる、子供が産める・・・そう言う人達に何がわかる。
今、私がいるところから見える扉の向こうは、そう言う人達だけが入れる場所なのだ。・・・それでも決してうらやんではいけない。
一生このまま・・・それならそれでいい。でも、もう、疲れた。
色々考えたり、話したり・・・人に聞かれてその度に笑ってごまかす事もある。
もう、疲れた。
久しぶりに会う人たちは、皆あたりまえのように『子供はまだ?』と聞く。休みをとって病院に行ってる事を知ると、それはもう『妊娠したんだ!』と決めつけられる。
もう、イヤだ。
いつまで、こんな思いが続くのか・・・子供のない不幸につぶされるより、周囲の人達の言動に先に潰されてしまいそうだよ。
今、こうしている瞬間にも、どうやらひとつの命が無事に誕生したらしい。私と同じように、出産の連絡を待っていた別のご家族の歓喜の声が、廊下に響く。彼らの歓喜の会話が、私に突き刺さりそうだよ・・・胸がきしむように痛い。
私も主人と同様に、限界が近いのかもしれない・・・すごく、疲れているのだろう。
もう、全ての治療をやめてしまおうかと思う。それはきっと、周りが、家族が許さないかもしれない。少しでも希望があるなら、続けろと言うかもしれない。でも、もう諦めてしまえば、それで終わるのだ・・・もう、やめたい。
平成7年8月3日
ようやく、姉の子供が産まれた。待望の女の子だった。
赤ちゃんに面会できる時間になって、ガラス越しに産まれたての新生児に会った。でも、心から喜べない自分に気が付いてしまった。
どうしても、心から、喜んであげることが出来ない。
両親は、姉の労をねぎらった・・・。『良くやったね!エライ、エライ!』『また、お祝いをあげるからね!』と。
私は、一生こんなふうに誉めてもらえる事は無いのだろうな。その光景を見ながら・・・涙が出た。
泣いてどうする、こんな事で泣いててどうする?!私は、両親にこんな喜びを与える事も出来ないのだ・・・それでもいいと心に決めたはずなのに。
姉も、一段落して面会時間も終わり、両親と義兄達は食事に行く事になった。もちろん私も・・・と思ったが、断って帰る事にした。
身内に、家族が増えるという、本来なら喜ぶべき事実は、こんなにも私を『孤独』にさせるものなのか・・・?
今だ、体外受精をすべきかどうか結論を出せずにいる。
人は一生のうちでどれほどの岐路に立たされるのだろうか?一生のうちでどれほどの選択を迫られるのだろうか?
私達は、決して≪意地やプライド≫を満たす為にだけ『子供』を作ろうとしてはいけない。
今のままの私達ではいけない。もっと強くならなければ・・・もっと強靭な精神力を身につけなければ・・・そうでなければ、何かに押し潰される前に、自分自身に潰される。今のままでは、顕微授精をする資格さえない。
「なんとなくやれば、できるかも・・」そんなあいまいな精神では、ダメだと思う。顕微授精と言えども成功率は30%~40%ほどで、それは自然妊娠と何ら変わりない。当然失敗する事もある。うまく受精しても、着床しない事もある。着床しても、うまく育たない事もある。多産の可能性だってある。その上、奇形率も「0」ではない。
その全てを受け入れる覚悟と、強さがなくては、顕微授精を選択してはならないと思う。
次回・・・第3章 諦める事も一つのゴール
ゴールは何処・・・?をお届けします。
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