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【原作】#2 置かれた場所で咲く花は 第二章 堕ちた笑み


 乗客のみなさん、機長のアルフレッド・ケンダーです。当機ロンドン行PL四五〇便は正体不明機の攻撃を受け、両エンジンの推力が停止し、このまま不時着することを余儀なくされました。皆様におかれましてはキャビンアテンダントの指示に従い、自身の身を守る行動を取るようお願いします。

衝撃に備えて。頭を下げて、姿勢を低く。
衝撃に備えて。頭を下げて、姿勢を低く。
衝撃に備えて。頭を下げて、姿勢を低く。

 緊迫のリフレイン。乗客の祈りやパニックをかき消すようにがなりたてる。しかし。その効果は機内に侵入した黒煙によって徒労に終わる。
 高高度の赤い悪夢。
 それは、彼女が覚えている最初で最後の記憶だった。人としてのものならばだが——。


「では、ブラザー。いよいよね」
「そうだな、姉御。これで俺たちは晴れてメイトになる」
「ソウルメイトよ。この同盟はこの業界に衝撃を走らせるわ」
「ホールディングスからの独立。戦国時代に突入だな」

 階下から突きあがる重低音のリズムと嬌声。クラブ『ビッチ・メンツ』のVIPルーム。スモウレスラー顔負けの体格をシルバー地のスカジャンで隠す半グレ団体、拳絆(コブシキズナ)リーダー、室口和人。そんな室口にも劣らないクジラのような巨漢の持ち主、半グレ・レディース桜紅乙女(サクラバージン)総長箕輪サリー。ご自慢のピンクの特服は、今日も低根にプレスがかけられている。

 特製の赤いソファーに座った二人は、ガラス張りのVIPルームから、見下すように、下界の喧騒を見つめている。
庶民が踊っている。

 原色のライティングとミラーボール、DJプレイのターンテーブルが客を波に乗らせる。大事な金づるだ。せいぜい楽しんでもらう。共同経営のこのクラブでは、酒やビートだけではなく違法薬物まで提供される。
両組織は同盟を組む事によって、ホールディングスからの搾取に抵抗しようと画策した。バカ高い会費という名の上納金を絞られるのはもう嫌なのだ。すでに三か月、〝支払い〟が滞っている。

 もちろん、一時的な独立である。ホールディングスは必ず報復してくるだろう。しかし、こちらもただでやられるつもりはない。倍以上の報復返しをするつもりだ。繰返し、繰り返し。やがてホールディングス側がこちらに有利な手打ちの条件を持ち掛けてくるだろうという算段だ。違法薬物や銃器の密売による資金力、その扱いに慣れたメンバーの数が彼らを強気にさせる。地元の警察もうかつに手を出せないでいる。公権力の弱腰が彼らをさらに増長させた。ホールディングスの正体を掴んで物申すという皮算用を産み出すほどに。

「それでは古今の例に倣って、五分の盃を」両組織の幹部がグラスを運ぶ。手を取り合うように。グラスの中身は年代もののウイスキー。琥珀色の海の中に氷山のような氷が一つ。名前はよく分からないが、値段はべら棒に高かったから多分本物、それなりの代物なのだろう。

 芳醇な香り、というやつなのだろうか。正直、酒の味など分かるものではない。おそらく、二人とも安酒、発泡酒や缶チューハイで十分なのだろう。仲間とバカ騒ぎできればそれでいいのだ。

 二つの巨躯が互いの杯をぶつけ一気に飲み干す様は、それなりに迫力はあったが、どことなく滑稽でもあった。しかし人の目にどう映ろうが、強力な反社同盟が正式に成立することになる。
警報機のベルが鳴った。

 ベルから一泊遅れてスプリンクラーが作動する。客はパニックになりながらも、店員の指示に素直に従い店の外に出た。おそらくけが人は出ていないだろう。店員教育の賜物だ。違法な商売を手掛けている関係から、突発なトラブルにも対応できるよう心掛けているのだ。

 それはいい。

「めでたい席になんてことだ」室口は憤る。
「まあ気をとりなおして」もう一杯。箕輪は彼にグラスを差し出した。「それよりも、火はどうなった?」
 見たところ、火も煙も見えない。それに部下たちが現状報告に来ない。このような時はすぐにそうすべきなのにそうしない。
「なめてるな」と室口。
「あとで気合いを入れ直してやる」
「さすが、姉御。おれもそう思っていたところだ」同席した幹部たちは、慌てて確認のため部屋の外に出る。こういう時、どのような事が起きるか、彼らはよく知っている。

 ガラスが飛び散る音と爆音がフロアを響かせた。店の玄関に何かが突っ込んだのだ。二人は反射的に窓際へ。
 クラクションが鳴る。ヤンキーホーン。奏でられるメロディーは『ゴッドファーザー 愛のテーマ』。

「私の愛車だ」箕輪が叫ぶ。
 店に飛び込んできたのは、ショッキングピンクのスクーターだった。

『ビッチ・メンツ』のダンスフロアで、ピンクのフェイク・ベスパが踊っている。車体を地面ぎりぎりまで傾けて、アクセルターン。ヤンキーホーンの音色とフロアを照らす薄暗い原色の照明との組合せは、明らかなミスマッチである。

 バカにしやがって。気の合う二人はそう思った。見たところ、カチコミに来たのはスクーター一台。連合を組んだことでメンバーが三桁を超える組織に、正面から報復するにはあまりにも数が少ない。たった一人——。

 誰だ、お前は?
 報復を待っていたのは事実だが、こんなに早く、そして——
 こんなヤツとは。

 小柄な女だ。身長150ぐらい、痩せぎすの身体。年の頃は成人に満たないだろう。女子高生のように見える。

 だが、間違いなく刺客だ。鉄砲玉。

 スクーター用の半キャップのヘルメットに布マスク、白い特服を着ている。箕輪と同じデザインのものだが、それはどこから手に入れた?

 特服の胸のポケット部分に、ネームプレート替わりに刺繍が。そして所々に血痕が滲んでいる。マリからはぎ取ったな。箕輪は歯噛みする。愛車の整備を含む身の回りの世話を彼女に命じていたのだ。
「ぶっ殺せ」箕輪は叫ぶ。マリを殺ったな。よくも……。この後一晩中舐めさせるつもりだったのに。

「俺たちのキズナを見せてやれ」そして晒すんだ。室口は懐から拳銃を取り出し、撃った。グリップにスカジャンと同じ龍をあしらったグリップに、ゴールドメッキの特注品。ホールディングスめ。目にもの見せてやる。

 スクーターはさらにホールを周回する。鍵穴にドライバーのような棒状のものが刺さっていた。これでそして、相も変わらずのゴッドファーザー愛のテーマ。

 女が無造作に捨てるようにスクーターから降りた。倒れた後輪が数回転床を擦って止まった。半キャップとマスクを放り投げる。

 女は笑っていた。見下すように、見定めるように。お前たちの価値はどのくらい?

 スカジャンと特服を羽織ったメンバーたちが、怒号とともに襲い掛かる。手にはバッドやメリケンサックなどの普段抗争に使う物騒な武器。なぶり殺しにしてやる。この店には二チーム合わせて、30人は護衛についている。

 ターンテーブルから音が消え、スプリンクラーが再度作動。先程の事もふまえて、どうやら女の仕業らしい。保守システムをハッキングでもしたのか。一瞬、戸惑うメンバーたち。

〝雨〟が止むと同時に、銃が唸る。女が撃ったのだ。額に穴が開いて倒れるメンバー。

 仲間が撃たれた。

 相手が銃を持っていると分かったので、自分たちもそれを取り出したが、ある事に気付く。女を囲んでいるので、発砲すれば流れ弾が味方に当たる。そうした躊躇が彼らの命取りになった。

 女は特服の下に隠し持っていたのか、メートル越えのバカでかいハンマーを担ぎ出した。〝タメ〟を感じさせなく振り下ろされるそれは、仲間の頭に打ち下ろされる。

 鈍く弾ける頭蓋、飛び散る脳髄と血潮。

 離れていれば銃で撃ち、そうでなければハンマーを使う。

 女は笑っているが、無表情だった。瞳の光は無機質的で、何の感情も感じ取る事が出来ない。ただリズミカルに撲殺と銃殺が繰り広げられている。次第に恐怖がメンバー内に伝染し、自然と後ずさりを始めた。

「どうした? このままではお前たちの居場所がなくなるぞ」
 女が初めて口を開いた。

「学校、社会、家族……。あらゆるものからドロップアウトしてきたお前たちの逃げ場所がなくなるぞ。いいのか? もう〝ここ〟しかないんだろう?」

 口調は淡々としたものだが、歪んだ笑顔だ。話している間にも、殺戮は続いている。それでもなんとか勇気を絞り出したメンバーの一人が、羽交い絞めにしようと背後から襲い掛かる。室口クラスの屈強な男に抱きつかれた。女は拳銃を離し、前を向いたまま親指を男の目に突っ込んだ。そのまま片手を振るように男を床に叩き落とした。もう一方の手に握られたハンマーで追撃をすると、身体の外に出てはいけない量の体液を壁や床にまき散らかして、死んだ。

「おい? チャンスだぞ」

 女は壁際に立っているからだ。しかも自分の銃は床に落としている。使えよ。銃器を使わないと仲間のカタキは取れないぞ。

 女の煽りにメンバーは我に返った。ありったけの弾をぶち込んでやる。怒りに任せてメンバーは撃つ。

 跳躍。女が2メートルほど飛び上がった。ホールの照明に手が届くほどだ。特服の内ポケットから何が取り出してホールに放り込んだ。

 メンバーの隣に女が現れた。反射的に発砲する。弾は女をすり抜けて仲間に当たる。
 ホログラフだ。コンビニの商品を映し出す台座を改良してばら撒いたのだ。
 だが、敵の攻撃は続いている。再び絞り出すようなうめき。仲間が次々と倒れていく。

『ビッチ・メンツ』に集まった拳絆と桜紅乙女のメンバーは、ほぼ全員戦闘不能といっていいだろう。残りは頭二つと幹部数名——。

 床に倒れたスクーターを起こし、女はキー代わりのドライバーを回す。スロットをふかし、エレベーターに向かった。

「クソったれが」室口は怒鳴りつけながら発砲する。今ここに生き残っているのは、ボディガードを兼ねた幹部を含め、数名のみ。たったこれだけ。両組織、武闘派で名を馳せた数十名のブラザーが、一時間も経たずに壊滅だ。

 ホールディングスめ。ここまでやるとは。しかも、得体の知れないガキ女一人によって。ヤツらが本気になったら、俺たちはどうなるんだ?

「腹を括りな」と箕輪が言った。こうなったら、全面戦争は避けられない。ホールディングスの制裁が何だというのだ。今さら、後には引けない。それにだ——。たった一つだけ、あのガキは真実を言った。

「私たちにはここしかないんだ。血がつながっていなくても、私たちはファミリー。ここが無くなったら。どこに行けばいい? 脂ぎった薄汚い大人に頭を下げて、おべんちゃらこいて、媚を売る生き方をするのか? 私は嫌だぞ」
「俺もだ。姉御、残りのメンバーもそうだ」うなずく生き残り。

 そうだ。やるしかない。命乞いをして生き延びたとしても心が空っぽのまま残りの人生を過ごす事になる。そんなの我慢できるか。
 勝機はある。あのガキはエレベーターに乗った。つまり、どこから襲ってくるか分かるという事。今までは不意打ちをくらって、後れを取った。今度は違う。例え戦闘能力がこっちより上でも、真正面から銃で撃たれればひとたまりもないだろう。

 室口、箕輪をはじめ、残りのメンバーはエレベーターの扉に銃を構えて、待った、無言の数十秒だが、永遠に続く長い時間のように思えた。
 扉が開いた。

 スクーターがVIPルームに向かって飛び出してくる。ありったけの弾丸をスクーターに浴びせるメンバー。

 スクーターに女は乗っていなかった。撃たれて落ちたわけでもない。
 女はボーリングのように下手投げでスクーターを転がしたのだ。ここで改めて、この女のポテンシャルに恐怖する事になるが、それは一瞬のはざまで済んだ。
 スクーターに仕掛けられた爆薬が、ガソリンに引火して大きな爆風を呼んだ。室口や箕輪もその圧に巻き込まれ、床に叩きつけられた。スクーターの破片が頭部や心臓にささり即死したものもいる。脳震盪と爆音による耳鳴りで、誰が生きているのか、死んだのか考える余裕はその場にいたメンバーにはなかった。

 ふらふらと反射的に室口が起き上がる。女が目の前にいる。おぼろげな意識の中でそう認識したのが、人として見た最後の画像だった。

 女は、キー代わり? に差していたマイナスドライバーを、室口の目に刺す。そして眼窩をなぞるようにえぐり出した。ウッと一声小さくつぶやくと、室口はもう言葉を発する事がなかった。片方が終わればもう片方へ。床に落ちた眼球を踏みつぶし、次のターゲットへ向かう。
 これは殺戮ではなく、作業——。彼女にとってルーチンワークに過ぎないのだ。

 馬乗りになり執拗に工具で目をえぐる異常な女の行為。わずかながらに残った生存本能が、うつぶせに倒れた箕輪を動かす。生き残ったのは私一人のようだ。どうしてこうなった? ただ私は気の合う仲間といつまでも一緒にいたかっただけなのに。

 助けて。助けて。

 起き上がれず、這いつくばって、ただ遠くへ。少しでも女の側から距離を置きたい。逃げるんだ。ダッシュだ。パシリのように体を動かせ……。残念ながら運動不足の肥満体を動かすには体力はすでに切れている。なめくじのようにはい回る箕輪。ふと顔を上げると、固まってもう動けなくなった。

 目の前に、女がかがんで視線を合わせている——。

 笑っている。相変わらず人を見下した笑みだった。

 女の名はパティ・マーリン。ホールディングスのエージェント。通称〝スマイル〟。まさにその名のごとく。





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