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【短編】 キリン条約

 キリンの中に住むという単純な発想でした。
 まず、入り口のドアを探すのに3年かかりましたが、それさえ見つかれば全てがうまくいくという確信が私にはありました。
 もちろんドアと言っても動物の体の一部ですから、私たちが普通に想像するようなドアではなく、それは膝をすりむいたあとに出来るかさぶたのような、およそつまらない物にしか見えません。しかしそのかさぶたを剥がすと、ちょうど体育館ほどの空間が内部に広がっていました。初めてドアを開いたときは当のキリンも動揺していましたが、秘密を知られてしまった以上もうどうにもならないことを悟ったのか、30分もするといつもの無関心なキリンに戻ってしまいました。
 最初に見つけた空間は、いわば建物の玄関部分にあたる場所で、奥のほうにエレベーターのようなものがありました。操作の仕方は私たちがよく知っているエレベーターと同じで、ボタンを押すと希望する場所に移動することができます。よく調べるとキリンの体内には全部で千戸以上の部屋あり、3千人ほどの人々が住めることが分かりました。

 キリンというのは土地や国を気ままに移動する動物なのでその点が厄介なのですが、いざ居住者の募集をかけると世界中から人々が集まってきて、あっという間に部屋が埋まってしまいました。基本的にタダで住めることや、動物の内部に住むことへの興味などが人々を惹きつける理由になったのでしょう。
 私たちはこれをキリンマンションと名づけましたが、法律上は建物ではなく、国際法により保護しなければならない野生動物として扱われています。さらにこの内部には大勢の人々が住んでいるため、一つの国と同じ権利が認められることになりました。そのことを定めたものが、あの有名なキリン条約です。

 私たちが今直面している問題は、現在進行している世界大戦によって発生した戦場から動けなくなってしまったことです。私たちもキリンの妊娠には気づいていたのですが、運の悪いことに戦場の真ん中で産気づいてしまったのです。そんな場所に迷い込んだのが悪かったのですが、誰にもキリンの行動をコントロールすることはできません。
 もちろん私たちは、キリン条約によって武力攻撃を受けないことになっています。しかし、ふいに襲ってくる流れ弾から守られているわけではありません。ですが、キリンが自らこの場所を選んだのですから、それもまた運命なのでしょう。

 キリンの赤ん坊は、産まれて数時間もすると一人で歩き出しました。母親キリンの首は砲弾で吹き飛ばされていましたが、それでもなお地面に立ったまま、赤ん坊を優しく見守っていました。
 私たちは現在も停戦を呼びかけていますが、砲弾の嵐は止む気配がありません。せめて赤ん坊だけでも助けられればいいのですが、私たちは、その小さな希望さえ失いかけています。

(2015/07作)

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