【小説】 なんとかなる(仮)第2話
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私は、商店街の外れに一軒家を買って、そこに住むことにした。
ここは冷蔵庫の中の世界であるという自覚はあったし、冷蔵庫の外の世界には、私の本来の生活や仕事があることも分かっていた。
しかしこの世界の貨幣価値で見ると私はとんでもない金持ちだということが分かったので、しばらく住んでみるのも悪くないと思ったのだ。
この家だって、たった五十円で買えたのだから。
「どうせなら豪邸でも買えばよかったのに、なんでこんなボロ家なんかを選んだの?」
娘の疑問はもっともだが、私は最低限のものが揃っていれば別に構わないと思った。
それに豪邸やピカピカした家には住んだことがないので、多少ボロい家の方が落ち着くのだ。
「つまり貧乏性ってことね。あたしも、居候させてもらうんだから文句は言えないけど」
娘はそう言いながら、例の宣誓書を額縁に入れて壁に飾った。
私は、そのボロ家を住める状態にするために大掃除をしていたのだが、部屋の隅に子供がぽつんと座っているのが気になった。
「いわゆる子供付き物件でしょ」と娘は言った。「初めから子供が付いてるから、わざわざ子作りする必要がないってわけ」
家の契約書をよく見ると、確かに子供が一人付いてくると書いてあった。
しかも、後になって返却が出来ないことも。
「今度から、契約書を隅々まで見ておくことね。ここでは、書類に書かれたことが絶対なんだから」
私はため息をつき、君の名は何だと子供に聞いた。
すると子供はもじもじしながら、自分にはまだ名前がない、好きな名前を付けていいと言った。
それで私はうーんと考えるポーズを取ってみたのだが、それっぽいポーズを取っただけではいいアイデアは浮かばなかった。
「別に名前なんてなくていいんじゃない?」と娘は、子供の頭をなでながら言った。「あたしもまだ名乗ってないし、お兄さんが誰なのかも知らない。それでも何とかなってるでしょ?」
子供は、別にそれでもいいと言って、頭に乗っていた娘の手をふりほどいた。
いずれにしても、子供は返却出来ないわけだから、名前があろうとなかろうと世話をしなければならないわけだ。
「子供を欲しがってる人に売るっていう手もあるけど」と娘は、再び子供の頭をいじりながら言った。「でもお兄さんはお金持ちだから、これ以上お金が増えても仕方ないわね」
子供は、しつこく頭を触ってくる娘の腹に拳をくらわせると、裸足で庭に飛び出した。
私は靴ぐらい履けよと子供に声をかけたが、子供は靴なんか持っていないと返してきた。
家の契約書を再び見返すと、その子供は、最低限の衣服以外に財産を持っていないということが書いてあった。
この世界では、靴は〈最低限〉には含まれないということらしい。
私がそんなことを考えていると、娘は殴られた腹を手で抑えながら悪態をついた。
「あいつの名前は今日からクソガキにするわ。せっかく可愛がってやろうと思ったのに、恩を仇で返すなんて」
私はくすくす笑いながら、まだ何の恩もかけてないじゃないかと娘に言った。
そして家の契約書をひっくり返して、裏面にこう書いた。
名前と子供に関する宣言
私と娘と子供は、まだお互いに名前で呼び合わないことを宣言する。
だから娘は、怒りにまかせて子供のことをクソガキと呼んではいけないし、むやみに子供の頭を触ってはいけない。
そして子供は物件の付属物ではなく、普通の子供として保護する。
子供は靴を持っていないようだから、明日にでも靴を買ってやらなければならない。
二〇一九年 七月十五日……
「お兄さんって、何でも文章にしないと気が済まないのね」
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