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【小説】 なんとかなる(仮)第1話

 一年ぶりに冷蔵庫を開いたら、中に道ができていた。
 電源はつけたままなので、中に入るとひんやりしている。
 しかし、薄暗い道をしばらく進むと夏のように暑くなっていき、その道沿いに商店が並んでいるのが見えてきた。
 通りには人影がなく、店の看板やネオンだけがやけに主張してくる。
 私は、夏のような暑さや主張の強い看板にうんざりしてきたので、「ビール」と書いてある店にひとまず入ることにした。
「いらっしゃい」
 そう言ったのは、服を着た、人間ぐらいの背のあるウサギだった。
「うちはビールしかないけど、それでいいかい? ……自分じゃぜんぜん飲まないんだけどね、商売っていうのは、それでも何とかやっていけるんだから面白いよね」
 テーブルに着くと、今度はウサギじゃなく、人間の娘がやってきて缶ビールを私の前に置いた。
 缶を開けてぐびぐびとビールを喉に流し込み、ふー、と一息ついたところで、私はテーブルの上に小さな紙が置いてあるのに気付いた。
 紙を裏返してみると、「あとで店の裏で待っています」と書いてあった。

 私は三本ほど缶ビール飲んだあと店を出た。
 そして再び通りを歩いていると、後ろから肩をつかまれた。
「お兄さんのこと、見所のある男だと思ったから誘ったのよ! それなのに無視するってどういうこと?」
 さっきの店にいた娘だった。
「私は喉が渇いていただけだし、ビール代も支払った」
「だからそういうことじゃなくてさ、お兄さんなら、ウサギのいないどこか遠くへ連れ出してくれるとあたしは思ったの!」
 娘の後ろから真っ赤な顔をしたウサギがやってきた。
「お客さん! あんた、うちの娘と示し合わせてオイラを出し抜こうとしてたんですね! オイラはそういう、知らないところで自分が悪者にされるのは大嫌いなんだ!」
 私はため息をついた。
「その娘はオイラに千円も借金があるんだ。そんな大金、一生かかっても返せないだろうから、仕方なくうちで働かせてやってるのさ」
 私は、財布から千円札を出してウサギに渡した。
 するとウサギは、目を白黒させながら(ほんとうは白赤させながら)千円札とにらめっこを始めた。
 ここの貨幣価値からすると私はかなりの金持ちらしく、さっきのビール代も、一円出したら九銭以上もお釣りが来たぐらいだ。
「これで借金はチャラね。あたしはもう、このお兄さんのものになったのよ!」
 ウサギは借金の証文を懐から取り出すと、千円札と証文の匂いをくんくんと嗅ぎ比べた。そしてひとしきり嗅いだあとに、首を四十五度にかしげながら証文を娘に差しだした。
「こんな紙切れのために、あたしは自由を奪われ、時間を無駄にしてきた。でも今度は、借金を肩代わりしてくれたお兄さんから、自由や時間を奪われるのね」
 私は再びため息をついた。
 そして娘の手から証文を奪い、ペンを取り出して証文の裏にこう書いた。

 宣誓書

 私は千円をウサギに渡した。
 しかしその千円に、君たちがどんな意味を持たせようと、私は一切関知しない。
 その意味するところが、娘の借金の肩代わりであれ何であれ、私はただ千円を手放しただけだ。
 したがって、私は娘の借金をウサギから引き継ぐことはしないし、そのことによって娘の自由を制限することもない。
 二〇一九年 七月十四日……

 娘は、再び証文を手に取ってこれを読むと、やはり首を四十五度にかしげながらつぶやいた。
「じゃあ、お兄さんは千円を失った代わりに何を手に入れたの? あたしの自由や時間を好きに使えるのに、なぜそうしないの?」
 そんな紙切れで人を縛り付けるなんて馬鹿げてる、魔法や呪いじゃあるまいし、と私は言った。
「でも、あたしにとっては、お兄さんこそ魔法使いよ」

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