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【短編】 境界の言葉

 雲と空、つないだ手と手、さよならとこんにちは――そんな、何かと何かの境界からこぼれ落ちた言葉をいくつも拾いあつめて、僕は博物館をつくった。

「このお店は……」と、三十代ぐらいの上品な女性が、展示物を見渡しながら僕に尋ねる。「いったい何のお店なんですか?」
 博物館は静かな住宅地の中にあるので、よく画廊か何かと間違える客がいるのだ。
 僕は笑顔で答える。
「申し訳ありません。ここは博物館なんです」
「博物館? じゃあこれは何ですか?」
「それは、おととしの秋にみつけた《ドングリとリスの境界からこぼれ落ちた言葉》ですね」
「ドングリと、リス?」
「ええ。もみじ狩りへ行ったときに森の中で拾った言葉なんです。読み方や意味は不明ですが」
「そうですか」と女性は言いながら、展示された言葉をじっと眺める。自分の言葉を探すように。あるいは困惑しながら。「世の中にはいろんな言葉があるんですね。初めて見る言葉なのに、どこかなつかしいような……」

 ある老人は、きまって火曜日になると博物館へやってくる。
「《一万円札と売春婦の境界からこぼれ落ちた言葉》か。くだらんな」と老人は大抵の言葉にケチをつける。「どうせ意味など無いのだろう?」
「いいえ、意味を知ることが出来ないだけです」と僕は老人に説明する。「ある研究によると、古い時代の人類は、そのような境界の言葉を自在に使いこなしていたそうですよ。もちろん、文献などは残っておりませんが」
「ふん。言葉というのはな、それぞれが別々に分かれているから意味があるんだ。あんたの集めてる曖昧な言葉なんて、そもそも言葉とは呼べんのさ……。なになに?……《火曜日と老人の境界からこぼれ落ちた言葉》だと? これはワシのことか?」

 あるとき、ふいに昔の恋人が博物館にあらわれた。
「ねえ、元気だった?」と彼女は、少し疲れたような顔をして言った。「あなた、また変なこと始めたのね」
「別に変じゃないさ。君こそ元気だったかい?」
 彼女は何も答えず、展示物を興味なく眺めた。
「あなた、まだ詩は書いてるの?」
「いいや。詩なんて書いたことないよ」
 彼女は軽く溜め息をついた。
「《流れ星と人さし指の境界》か……。なんだか取って付けたような組合わせね」
「組合わせはどうでもいいのさ。そこに言葉をみつけることが大切なんだよ」
 彼女は、僕を見て微笑した。
「あなたって何も変わらないのね。そんな言葉、どこにも存在しないのよ」

(2009/06作)

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