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やってみようとは

 8月某日、木村先生のワークショップがありました。
 その数日前ブランコでの怪我があり、ブランコがある位置が大人にとって安心できない場所にあるのでは?という話がありました。
 話を受けた私も「不安な人がいるのなら」と、大人の安心できる場所への移動を提案しました。

 その夜、これでよかったのか?という自問自答が始まりました。なんでかははっきりわからないけど、大切なことを忘れているような感覚。いや、忘れているというより「忙しい」という言葉の陰に隠した感覚…?


 ワークショップ当日、案の定木村先生にその心は見抜かれてしまいました。
 色々とお話しを伺う中で、先日行われたという系列園でのワークショップの写真を見せていただきました。そこには初めてのワークショップでの不安とそれを取り除くための工夫、そして子どもはもちろん大人のワクワクしている様子が感じられました。
 その写真を見た時に、ハッとしました。



 4月新年度を迎え、園長先生をはじめ数名の職員の異動があり新体制となりました。当時、職員間でも「大丈夫なのか?」という不安が渦巻いていましたが、私は逆に「大丈夫だろう。」と冷静に考えることが出来ました。4年間積み重ねてきた経験と感覚そして信頼関係があれば、職員が変っても私たちがやっていくことは今までと何ら変わらないという思いがあったからです。
 しかし蓋を開けてみると、「大変」「忙しい」ということばを盾に『やってみよう』ということから逃げていた自分がいました。いいや、今考えると『やってみよう』という言葉の意味を勘違いしていたのだと思います。

 この『やってみよう』とすぐに思えることは、あけの保育園の”強み”だと思っていました。とにかくやってみる。やってみてから考える。そしてそのやってみたいという思いを認め合える。それが自然と出来ている保育園が自慢でもありました。でも、相手のやってみたいという思いを尊重するあまり、自分の気持ちを隠していくことが多くなりました。それがだんだんと苦しくなっている自分に気付かないふりをしていました。



 木村先生から「土作り」の提案がされました。『ブランコから落ちたらどうしよう』という不安。でも、『子どもの成長のためにブランコが必要だ』という思い。不安を取り除くために、もし落ちたとしてもケガを最小限に抑えることが出来るよう土を柔らかくするということでした。

 それを聞いたときに大切な気持ちを思い出しました。「忙しい」「大変」という言葉の陰に隠していたのは、試行錯誤・工夫をすることや「どうしたらみんな心地よくいられるか」という視点の変化だったのです。
 「やってみよう」という気持ち自体はなくなったわけではありません。しかしいつの間にか「やってみよう」ということばは、子どものため・大人のための挑戦ではなく、大人のためだけの都合のいい意味へと変っていってしまったのかもしれません。
 ブランコが危ないから、撤去する?保育士が安心できる場所へ移動する?じゃあ安心できる場所とは?大人が張り付く?張り付いたからってケガを止められる?そんな消去法での「やってみよう」が日々の中にとても多くなっていたのです。


 系列園の写真は、出来上がったステージの上に立ちとてもいい笑顔で喜ぶ職員が映っていました。「子どもたちはどう遊ぶんだろう」「子どもたちは喜んでくれるかな?」「環境を通してのこの先の成長が楽しみ」そんなことが思い浮かぶようなワクワクした様子が見てとれました。
 その写真は、最近そんな心の余裕があっただろうか…と自分を振り返るきっかけとなりました。


 やってみようを叶えるためにも、多方向からの視点や感覚を大切にし、日々試行錯誤していきたいと改めて感じたワークショップでした。


次回は、10月3日(火)です。