見出し画像

平和憲法を疑う

出会いは図書館のログ落とし処分だった。
学生時代から私は荒巻義雄氏の〈国家機械〉という概念に触れており、日本国憲法が「平和憲法」などという左翼論壇の演出ではなく、あくまでアメリカ合衆国の中で、新たに占領された準州の憲法なのだという現実を意識していた。
もちろん敗戦による押しつけだから払拭せよというつもりもないが、戦力不保持の規定について、準州なので州兵隊を持たないし、対外戦争は連邦軍の仕事であることを明文化したに過ぎないと理解している。

いまだにそこが等閑なまま、改憲の是非について善悪論を振りかざす場違いな論者が世に居座るが、もう20年近くになるのが本書との出会いであった。

『平和憲法を疑う』勝田吉太郎
講談社 1981年

今でこそごく一般の人たちの間で、多くの条文で改正が必要で、条文として書き足すべき内容も多いことが理解されている。しかしさらに遡ること本書が刊行された40年近く前では、平和憲法を疑うという触れ込みがどれほど衝撃的だったのだろうか。
時まさに昭和だった。

昨年お亡くなりになった著者の勝田吉太郎氏は、京都大学法学部教授だったが、あの時代にあって法学部に在籍しながら事実にフォーカスし続けた姿勢には平服するばかりだ。
本書は、近頃左翼工作によって演出された物語に対して、約40年前から投げかけられた論破である。

参考として目次をご覧いただきたい

目次*平和憲法を疑う
第一部 憲法を疑う
第二部 国家の崩壊
第三部 奴隷の平和と危険な自由
第四部 人間・国家・神
   ──戦後イデオロギーの解剖

入手可 相場安
『平和憲法を疑う』勝田吉太郎
講談社 1981年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?