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愛が私を「人間」にしてくれた

 地元図書館の窓口から、聞こえてきた会話。

「せっかく親切に教えていただいたのに、すみません。」

 司書さんに、何か調べてもらったんだろうか。でもそれなら「ありがとう」であって「すみません」はなんか違うよな、と軽い違和感を覚えていたのだが、しばらくしてようやく話が見えてきた。

 図書館で親切な説明をいただいて、貸出カードを作ってもらった母が亡くなりましたので、カードをお返しいたします、ということだった。

 返しに来られた方はきっと、そのお母様の一番の介護者だったんだろうなと想像する。これまでもずっとお忙しかったろうし、今だってきっと、まだまだ落ち着かない日々を過ごしているのでは、と思う。

 だけど、親切にしてもらったから、カード返しに行かなくちゃ、と思って、わざわざ窓口まで出向かれたのだろう。人間として、なんだかすごく素敵な人だなぁ、と勝手に惚れ惚れしてしまった。

 身内が亡くなったあとって、思いの外バタバタするし、信じられないくらい疲れるということを経験して知っているので、本当に尊敬してしまう。

 母が亡くなったとき、主な友人や親族に連絡をしたのは、私だった。父は、母の人間関係にはほとんど興味がなく、母方の親族には嫌われていたので、私がやるしかなかった。

 だけど、ひととおり連絡したあとは、もう何もしなかった。私だって忙しいし、なにより途方もなく疲れていたから。どんなに疲れていても、残った家族の食餌(コラ。笑)の世話や家事はせざるをえなかったし。

 私は、素敵な人ではなかったな、素敵な人にはなれなかったな、と思う。

 いや、そうでもないか。もうひとつの記憶が、私の心を優しく撫でてくれる。

 10年前に愛猫が亡くなったとき、連絡するまでに1ヶ月以上かかったけど、お世話になった動物病院にお礼状を送ったことがある。

 その動物病院は、保護猫であった愛猫「殿さん」の健康診断をお願いしたときから、実に好印象だった。保護猫であることを告げると、おそらくは院長先生の奥様と思しき女性が、

「このコ、あなたが飼ってくださるのね? もうね、なんでも相談してくださいね。爪切りとか、初心者はむつかしいから、爪切りだけで来てくださってもいいんですからね!」

 と言ってくださり、一応事前にネットなんかで、診療費の相場を検索してたんだけど、思いのほか安くて助かったことを覚えている。

 検査で不治の病が見つかったとき、院長先生が

「高度医療を提供できる病院を紹介することはできます。でもね、殿くん(といつも先生は呼んでくださってました)はビビりでしょう? 知らないところに連れて行ってストレスを与えるより、ご自宅で看取ってあげたほうがいいんじゃないでしょうか。」

 とおっしゃってくださったおかげで、私の中でも覚悟は決まり、殿さんは自宅でゴロゴロくつろぎながら、最後は私の腕の中で亡くなったのである。

 ここまでお世話になった動物病院なので、お礼状を送るのは当然のことだと思ったし、決して大きな病院ではなかったから、カルテを処分してくださいね、という意味もあった。

 そんなある日、とても綺麗なカードが私の元に届いた。件の動物病院からだった。

「・・・様の腕の中で亡くなられたのですね。そこから虹の橋を渡ったのでしょうね。ご冥福をお祈り申し上げます。」

 郵便物は、ほぼ即捨て(笑)な私だけど、このカードだけは今でも大切に保存している。

 先の、貸出カードを返しに来られた方に思いを馳せる。

 愛するもののためならば、できるだけ人の道を外さないというか、いろいろとちゃんとしたいと思うものなのだろう。素敵な人間のベースには、まず「愛」があったのだ。

 あの方は、本当に、お母様を愛してらっしゃったんだろうな。

 我が家は非常に残念な実家だったので(苦笑)私もなかなかやさぐれていたけれど、殿さんに関してだけは、いろいろちゃんとしてたと思うので、少しは素敵な人間になれていたのかもしれない。

 殿さんが、愛が、私を「人間」にしてくれたんだろうね。

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