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愛に基づく正しい性教育が必要なんだ

 もっと若かった頃、年齢の近い友人の中には、

「親戚の子どもに、おばちゃん、って呼ばれるのがイヤ!」

 って人がいたなぁ、とふと思い出した。私自身、二十代でもう「おばちゃん」呼ばわりされていたし、それがイヤでもなんでもなかったので、友人のその感覚が不思議だなぁと思っていたものだ。

 現在、私は58歳。街中で、小さなお子様から「おばちゃん!」と呼ばれると、天にも昇る気分になる。

 だってさ。そのお子様のママさんを見れば、どー見積もっても「私の娘でもおかしくない年代」なのである。

 つまり私は、本来なら「おばあちゃん」と呼ばれても、一切文句を言えない立場なのだ。

 だのに、お子様たちは無邪気な笑顔を私に向けて「おばちゃん!」と呼ぶ。

 なんていい子たちなんだろう!(爆笑)

 私のことを、めちゃくちゃ若く見積もってくれるお子様たちが、可愛くて可愛くて仕方がない。いや、見積もってくれなくても、可愛いには違いないのだが。

 私自身、子育ての経験がないので、「愛情あふれる興味本位」でしか子どもを見てなかったりするんだけど、そんな中でも特に印象に残ったお子様のことを、書き残しておきたいと思う。

 某商業施設の通路ど真ん中で、ひっくり返って手足をジタバタさせて、轟くような大号泣をブチかましていた男の子がいた。4〜5歳くらいだったかな。

 欲しいおもちゃを買ってもらえなかったんだろうか。それとも、お菓子かな。とにかくもう、誰にも止められない勢いの、大号泣。

「ママは、なんでかくすの!!」

 お子様は、ママさんに涙目で訴える。

「ボクはいつも、お風呂でママに、おち○ちん見せてるやん! パパも、いつも、ボクに見せてくれるよ! でも、ママは、いつもかくしてる! なんでボクに、ママのおち○ちん見せてくれへんの!!」


 見てる私の方が涙目になった。お子様の主張は、極めて自然だし正論である。家族と「おち○ちん」を共有したいという、素晴らしい語じゃないか。

 性教育には、年齢的に、まだ早い?

 と思われてるかもしれないが、とんでもないことだと思う。

 この少年には、今すぐ、しかるべき性教育を施すべきである。うっかり誤解をしたり、変な偏見が混じってしまう前に、ピュアなこのお子様に、正しい性教育を!

 この性教育には、家族関係が「愛に基づくものなのか」それとも「世間体に基づくものなのか」という、重大な問題も孕んでいるのだ。ゆめゆめ、おろそかにしてはならない。

 新時代の子どもたちには、愛に基づく教育を惜しんではならないと思う。教育を施すことによって、大人もまた、愛に目覚めちゃったりするかもしれないしね。

 とりま今の私は、街中で子どもと目が合えば、必ず笑顔で返すようにしている。すると、ほぼ100パーセントの確率で、お子様も笑顔で返してくれる。

 彼らは、愛そのものだ。そこに存在しているだけでも、素晴らしいエネルギーを放射しまくっているのだ。残念ながら、大人にはなかなか成し得ない仕事だと思う。

 だからこそ、そんな彼らの働きを援助するのが、大人の役割なんじゃないかな。

 そう信じて、いつも、子どもたちのことを見ている。

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