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煙突と花

まるでこの世の終わりのようだ。
色とりどりの傘の死骸が、無造作にうち捨てられている。
ここは傘の墓場。
色のない世界で、ここだけはたくさんの色に溢れている。
最後の時を待つ死んだ傘たちは、こんなに色に溢れているはずなのにどこかくすんで見える。
傘の死骸の奥で、ごうごうと炎が燃える。
大きな炉での前で、機械作業のように傘を投げる老人がいる。
「あんたがカミナーダかい」
男の問いに老人は緩慢な動きで振り返る。
その顔は煤で汚れ、深い皺の刻まれた顔は疲れというよりどこか悲哀を感じさせた。
「好きに呼ぶがいいさ」
老人の声はひどくしわがれ、彼自身までもが炎に焼かれたかのようだった。
男はゆっくりと老人へ近づいていく。
側に寄ればそこは炉の噴き出す炎の熱で覆われており、思わず目を細める。
「ここは夢の終わる場所だ。あまり近寄るとあんたも飲み込まれるぞ。」
「そういうあんたは大丈夫なのか、ここでずっと、こうして傘を燃やしてるんだろう。」
男が問うと、カミナーダと呼ばれた老人の目に悲しみの色が増す。
「どうしてこうなってしまったのかわからないんだよ。いつからこうしているのかもね。ずっとこうだった気もするし、そうでなかった気もする。
いつだってそうだろう。この街はすっかり死んじまったんだから。」
そういうとカミナーダは傘を拾い上げ炉に投げ入れる。
炉の中の炎は新たな獲物を得て嬉しげに踊る。
半壊した建物からは、ところどころ雨がしたたり、薄暗い空が顔を覗かせている。
煙はどんどんと煙突を上り、灰色の空に吸い込まれていく。いや、灰色に空を呑み込んでいく。
二人は何を言うでもなく、灰色の空を見上げる。
「この傘、最初に作ったのは俺の妻なんだよ。
花が好きで、これ、何からできてるか知ってるかい?“キボウのタネ”だよ。」
男が言うと、カミナーダは驚いたように目を見開き、震える瞳で男を見つめる。
何か言おうと口元は動くのに、言葉は出ない。
「この傘が最初にできたとき、彼女はとても喜んで、この傘を手にして楽しげに雨の中を歩く人々を見つめていつも嬉しそうに笑っていたよ。
“キボウのタネ”は彼女の笑顔だったんだ。」
男は見上げていた視線を落とし、足下に投げ出された傘の死骸に視線を向ける。その瞳は何の感情を宿しているのか計り知ることはできない。
「いつからだろうな。ルルディが笑わなくなったのは。
……あんたは覚えているか。いつからこんな、灰色の世界になったか。
世界はさ、いつからこんなになったかって、誰もそれを覚えてない。誰もそれを知らない。俺だって、知らないさ。
誰も疑問にすら思わない。灰色の空に、色のない世界に。」
「……この傘は、“キボウのタネ”からできていたのか。そんなことも忘れてしまったのか。
こうして毎日ここで死んでしまった傘を燃やして、燃えカスになった灰は空になっていったんだな。」
カミナーダは悲しげに、しかしどこかほっとしたように朽ちた傘を拾い上げ、そっとその表を撫でた。
「なぁ、この花、彼女が好きだった花なんだ。俺に残された記憶はそんなことだけなんだよ。
頼みがあるんだ。ルルディのために、これを、捧げたいんだ」
男は右手に握りしめた花束をそっと掲げる。
男の腕の中で優しく広がるリモニウムの花。
「これが何色かさえ、もうわからないけど、もう終わりにしたいんだ。
彼女は花が好きで、笑顔が素敵で、優しい人だったんだよ。
なぁ、もう終わりにしよう。」
カミナーダはうつむいたままそっと瞼を伏せた。
男はその横に立つと、燃えさかる炉の中に花束を投げ入れる。
リモニウムの花は炎に飲み込まれ灰になり、そのまま空へと舞い上がっていく。
灰色の世界に、彼女の願いが溶けていく。
男は空を見上げる。
灰色の空からは冷たい雨が降る。うち捨てられた傘の死骸たちに降り注ぐ。
二人は何も言葉を発しない。
色のない世界に、雨の音だけが寂しげに泣いている。


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ふわり、と足下から無数の光の粒があふれ出す。
雨粒が弾けて散るのに合わせるように、光の粒がふわりふわりと湧き上がる。
色のない世界に、柔らかな光が立ち現れる。足下の無数の傘に寄り添い舞い踊る妖精のよう。
ふわりと舞い上がってはゆっくりと地面すれすれまで落ちてはまた舞い上がってと繰り返して、まるで風に揺れる黄金の草原にいるようだった。
カミナーダにもそれが見えているようで、彼は驚きのあまり呆けたように口を開けてその様子をただ見つめている。
男はゆっくりと空を見上げる。
空にはいつの間にか切り裂かれたような光の筋が差し、雨に濡れた世界を照らしていた。
「おかえり」
言葉はひと粒の光の粒と一緒に空に溶けていく。
それに続くように、光の粒は次々と空へと上っていく。
切り裂かれた灰色の空に光の粒が吸い込まれて、溢れる雨と共に降り注ぐ。
色のない世界に、きらきらと輝く雨が降る。
ごうごうと唸る炉の炎に燃える赤が宿り、朽ちかけた壁にこびりついた苔色が浮かび上がる。
「ああ、世界はこんなに色で溢れていたのか。」
カミナーダは崩れ落ちるように膝をつき、降り注ぐ雨に手をかざす。
まっすぐに空を見上げる男の口元は、ほころんでいるように見えた。

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