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大学生活


19歳から23歳までの四年間を、僕は都内の大学の学生として過ごした。

短いようで長い四年間だった。

何もしていないようで、その瞬間ごとには、何かをしようと常にもがいていたような気がする。

僕は横浜の予備校で一年間の浪人生活を過ごした末、大学に合格した。

今思えば、大学生活に期待を膨らませ過ぎていたのかもしれない。

僕は二週間で大学に行かなくなった。

大した理由はなかった。

受験で燃え尽きてしまった部分もある。

しかし、大学は恐ろしく退屈な場所だった。

初めの二週間、僕は極めて真面目に大学生活を過ごした。

毎日早くに起き、スペイン語の教科書をバッグに詰めてキャンパスへ行った。

1限目から講義を受け、ノートを取り、
昼には友達とパンを買ってテラスで食べ、
午後は眠気と戦いながら英語や心理学や地理に関する講義を受けた。

放課後には出来たばかりの友人といくつかのサークルの新歓活動に参加し、
初対面の上級生とコンパで盛り上がり、
終電で帰った。

そんな生活を二週間続けたあと、僕はきっぱりと大学に行くのをやめてしまった。

その後の生活は、非常に規則正しいものだった。

昼過ぎに起き、自宅で遅い朝食をとると、文庫本を二冊持って家を出る。

電車には乗らず、地元の横浜をふらふらと歩き回り、カフェに入って本を読む。

夕方からはバイトに行くか、地元の友達と会って酒を飲むか、あるいは一人で酒を飲むか。

大学の同級生たちは、学校に来なくなった僕を心配して連絡をくれた。

僕は時々、大学のクラスやサークルの飲み会に顔を出したが、授業には全く行かなかった。

1学期、僕が取れたのはたったの6単位だけだった。

夏になっても僕の生活は変わらなかった。

同級生たちからは次第に連絡も来なくなった。

その頃、僕はバンドを始め、
渋谷のスタジオで先輩達と練習をした後、
飲みに行くという生活を送るようになっていた。

6単位しか取れなかったと言う僕に、先輩達は、
何とかなるよ、と励ましてくれた。

僕の叩くドラムは酷いものだった。

練習中はもちろん、本番のライブでも何度もミスを重ね、スティックを落として演奏が中断してしまうこともあった。

それでもバンドの仲間は優しく受け入れてくれ、夏が終わる頃には、何とか曲を成立させられるほどには成長した。

秋が来て、2学期が始まっても僕の生活は変わらなかった。

ある日、いつものように文庫本をポケットに入れて家を出た。

あてもなく街を歩き、喫茶店に入って本を開いた。

矢沢永吉の「成りあがり」。

僕はその本を読んで、自分の生活を心から恥じた。

このままじゃいけない、何かをしなければ。

僕は次の日から学校に通うようになった。

急にスペイン語の授業に顔を出すようになった僕を見て、同級生や先生は驚いていた。

しかし、1学期の勉強を何一つしていなかった僕には、授業の内容はさっぱりわからなかった。

結局この年、僕はスペイン語の単位を全て落とした。

一年生で取得した単位は両手で数えられるほどしかなかった。

やがて年が明け、春が来た。

僕は突然、ボクシング部に入部した。

映画「ロッキー」や小説「太陽の季節」に影響を受け、自分を変えるにはボクシングしかないと思った。

練習は体力作りのための基礎トレーニングがほとんどで、結構キツかったけれど、体を動かすことは楽しかった。

今までの自分をサンドバッグに重ね、力まかせに殴った。

ボクシング部の先輩は、そんな力まかせのパンチではダメだと僕に言った。

ある日、先輩の試合を見学に行く機会があった。

僕はそこで初めて、
人が殴られる音を聞き、
気を失って倒れる人を見た。

鼻を折られて血を流す人を見た。

次の練習の時、先輩は僕に、
「俺を殴ってみろ」と言った。

僕はグローブをはめた右手で力いっぱい先輩を殴った。

「もっと力強く殴れ!」

僕は最大限の力で殴った。

「遠慮するな!」

1分間殴り続け、僕は倒れ込んでしまった。

殴られ続けた先輩は、息一つ乱れていなかった。

練習後、先輩は僕を飯に連れて行ってくれた。

慌てなくていいからよく考えてみろ、と言ってくれた。

僕は一ヶ月間練習に通い、部を辞めることを先輩に伝えた。

ちゃんと授業出ろよ、先輩はそう笑ってくれた。

二年生になると、僕はそれまでの自分が嘘のように真面目に授業に参加した。

スペイン語の単位を何一つ取れていなかった僕は、一学年下のクラスに混ざって授業を受けさせてもらった。

わからないところを後輩に教えてもらいながら、なんとか小テストで合格点を取れるようになった。

スペイン語以外にも取らなければならない授業は山ほど残っていた。

僕は教室や食堂で、話したこともない学生に頭を下げて勉強を教えてもらい、ノートを貸してもらった。

僕の大学は、一、二年生と三、四年生で学部が大きく変わる。

二年生から三年生の間で、基礎教養を学ぶ学部から、専門分野を学ぶ学部へと移るのだ。

つまり、二年生までに一定の単位を取得していなければ三年生には上がることができない。

僕には、もはや少しの猶予も無かった。

月曜日から金曜日まで、朝から夕方まで授業に出なければ進級に間に合わなかった。

バンドの活動も続いていた。

ある程度ドラムを叩けるようになった僕は、毎月のようにライブに参加していた。

授業の課題とバンドの練習に追われ、月日はあっという間に流れていった。

僕はなんとか、進級することができた。

僕はサークルの同級生の女の子と付き合い始めた。

大人しくて、真面目な子だった。

二人で夜のキャンパスに忍び込んでイチャついていると、通りがかったチンピラたちに絡まれた。

僕は震えながら立ち上がった。

ボクシング部の先輩を殴り続けた日を思い出した。

試合で殴られて倒れる選手の姿も思い出した。

チンピラたちは、僕らを冷やかしただけで去って行った。

夏には二人で湘南に行った。

彼女の買ったアイスが溶け、僕のサンダルの上に垂れた。

炎天下の下、二人で酒を飲みながら歩いていたら、段々と妙なテンションになっていった。

稲村ヶ崎で夕陽を見ようと思っていたのに、二人とも疲れ切ってしまって、そんな気力は残っていなかった。

帰りの電車で、僕らは溶けたアイスのように眠った。

秋のライブで、僕は初めてボーカルを担当した。

ライブハウスは、アルコールと音楽と熱気で満たされていた。

僕は自分の出番が来るまでに酒を飲み過ぎてしまい、泥酔しながら熱唱した。

ほとんど歌詞もうろ覚えだったが、聴いている方もみんな泥酔していたので問題はなかった。

冬にはゲレンデに3回行った。

高校の友達と、先輩と、彼女と。

スノーボードは、僕の数少ない得意なスポーツだ。

白い斜面は太陽をキラキラと反射し、仰向けに倒れ込んだ僕を柔らかい雪が抱きしめた。

濃密な一年間だった。

春が来るよりも早く、コロナウィルスは世界を覆った。

新学期の開始は二度も延長され、結局、全面オンラインによる授業がスタートした。

街から人が消え、夜の灯りが消えた。

ライブ活動も行うことができなくなった。

僕はこの期間を、小説や映画、音楽を吸収する時間に充てた。

毎日部屋にこもり、ノートパソコンから流れる教授の声を聞きながら本を読んだ。

飲み会に使っていたお金が浮いたので、スーパーに行き、様々な種類のアルコールを買い込んだ。

夜には音楽をかけ、一人でカクテルを作って飲んだ。

彼女とだけは会っていたが、徐々にすれ違うことが増えていった。

夏が終わる頃、僕らは別れた。

僕はカクテルを作ることをやめてしまい、市販の缶チューハイで手っ取り早く酔うことを選ぶようになった。

オンラインの授業にはあまり身が入らず、久しぶりに多くの単位を落としてしまった。

モテる友達に連れられて、名前も知らない女の子たちと遊んだりもした。

初めは楽しかったけれど、無理をしている自分に気がついた。

何となく、こういうのは僕には向いていないな、と思ってやめてしまった。

やがて就職活動が本格化すると、そちらに没頭し、気がつくと年が明けていた。

春が来る少し前、僕は4つ上の女性と出会った。

僕が出会った中で、一番お酒を飲む人だった。

後から知ったのだが、彼女は東京にいる姉にたまたま会いに来ていただけであり、普段は大阪に住んでいた。

僕は大学が休みになる度に、大阪に飛び、彼女に会いに行った。

会えない夜は電話をした。

彼女のくれる言葉だけが、心の拠り所になっていった。

なっていってしまった。

知らず知らずのうちに、僕は彼女への依存を強めてしまっていた。

それはいわゆる、束縛や愛憎といった言葉で表される依存ではなかった。

事実、彼女と数ヶ月会わなくても僕は普通に生活を送ることができていた。

そうではなくて、僕の心のある一部分が彼女のくれる言葉によって形作られていたということだった。

だから僕は、知らず知らずのうちに彼女の存在を無くしては完全な一人の人になり得なくなってしまっていた。

歳の差も、距離の差も、僕の依存をより強固なものにするための仕掛けになった。

強いアルコールを飲むときにチェイサーの水が必要であるように、僕には彼女が必要になっていた。

ある夜、彼女は僕の前から去った。

僕の謝罪の言葉を、彼女は黙って聞いていた。

彼女の謝罪の言葉を、僕は聞きたくなかった。

聞く資格などなかった。

道頓堀の水面に、惨めな男の影が浮かんでいた。

心に空いた穴を、僕はアルコールで満たそうとした。

穴の空いた心の器から漏れ出た酒は、僕の瞳から溢れた。

僕は横浜に帰ると、物置に使っていた自宅の一室を借り、書斎に改造して、その部屋に閉じこもった。

その部屋で寝泊まりをし、食事をし、一日中、
卒業論文を書いた。

卒業論文を書き終えた朝、窓を開けると、
秋が終わり、冬が訪れていた。


僕は、一冊の卒業論文と、
数ページ分の思い出を抱え、
この青春を卒業する。

あらゆることを経験したつもりになっていたけれど、
僕は四年前と何も変わってはいない。

手元に残ったものよりも、
何かをしようともがいていた自分の姿の方が、
この四年間をよく表しているように思える。

やり残したことは、もうない。

ただ少し、寂しいだけ。

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