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淡々と、つめたい

久しぶりに母と話しました。
近況などを話していると、私がここに書いているようなことが、本当にあったのかな?
あまりdisるのは良くないな、などと少し罪悪感もわいてくるくらいなのですが……。

最後に爆弾を落とされました。
本人にとっては、何のことはない世間話というか、近況報告だったのですが、後から考れば考えるほど、『人でなし』発言だったのです。
それをフツーに世間話として出す母に呆れました。
ガッカリしました。
そして、私が書いてきたことの方が正しかったのだと、よくわかりました。

母は根っからの『人でなし』です。
それを淡々とした暮らしの中で、周りの人に出しているのです。
しかし母自身は、一所懸命生きていて、本人にも悪気が無い。
だから責めることもできないのです。

人の心の温かさ、人を信頼すること、これまでの人生に感謝すること、自分は支えられている、支えられてきたと実感すること、
何よりも自分は1人では生きて来られなかったと気づくこと……

母にはこの感覚が無いのです。
だから、今とりあえず自分が納得できれば良い。自分が気に入ったものに囲まれて、自分の身が安泰ならそれで良い。
自分が苦しいことからは逃げてやり過ごす。
自分が安全な場所に収まって、人が苦しんでいても知らんふり。

ハッキリ暴言を吐かれたわけでも怒鳴られたわけでもないのに、こんな風に母を悪く言っていると、やはり心が痛みます。
でもそれこそが人間の心なのです。
人間の心を持ってして、人間の心を持たない人を理解しようとする。
相手は人間の心を持っていないから、腹が立ってくる。
しかし本人に悪気がないので、余計な心を寄せている私の方が悪い。
嫌なら無視すれば良いだけのこと。
しかし人間の心があるので、無視することができない。
自分の心のうちに仕舞い込んで、具合が悪くなる。

身内として母と接する人は、きっとそういうジレンマを抱えるのかもしれません。
親子なのに、生きている次元が違うんですね。
よくわかりました。

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