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かなしい こども

不適切養育=マルトリートメント
についての講座を受けました。
マルトリートメントが脳にどれほどのダメージを与えてしまうのか、本当に深刻だということがわかりました。

なんて、他人事のように言ってみたものの、
実は、自分自身がどれほど酷いことをされてきたのかを気づくことにもなり、複雑な気持ちになりました。

しかし、親からしたら、『一所懸命』という気持ち以外の何物でもないのです。
子どもの私が受けた傷の深さを考えると、殺人罪にも当たるくらい深刻な罪だと思うのですが、親自身も、社会的にも、その罪を追及することはできない。
そもそも、誰も自覚も認知もしない『虐待』なのです。
だからこうやって、誰ともなしに呟くことでしか、哀しい子ども(おそらく影響か大きかったのは物心つく前の1歳までの出来事なので、まだいたいけな赤ん坊の私)を慰めてやることが出来ないのです。

父が描いた、私の肖像画があります。
せっかく父が描いてくれたというのに、私はむすっとした顔で睨みつけています。
おそらく3歳くらいの時だと思います。
見ているだけで憎らしくなるような、可愛げのない子どもです。
嘘でも良いから、笑顔にしてくれれば良かったのに……
この絵から、二つのことがわかります。

3歳の私には、表情が無かったこと。
父が私の笑顔を期待していなかったこと。

私は、食べ物にも興味がなく、お小遣いやご褒美にも関心がありませんでした。つまりご褒美をあげると言われても、一切なびかない子どもでした。
親も、周りの大人も、愛想の無い、扱いにくい子どもと思っていたことでしょう。

笑顔も無ければ、子どもらしい要求も無い。
はつらつさに欠ける。

ますます親は、私のことを可愛く無いと思ったことでしょう。育てにくいと感じたことでしょう。
そのうち私は反抗的になり、ますます可愛げが無くなっていきました。
もうすっかり、親は私のことを面倒な存在と思うようになりました。
楽しく会話することもなければ、何かを頼もうという気も起きません。
そうやって、どんどん、心が離れていきました。

ここまで書くと、「そんなひねくれた性格なら、育てる親の方が苦労したんだろうな」と思われるでしょうが、私を育てにくい子どもにしたのは、実は乳児期の親の不適切養育だったとしたら、親は自分たちの蒔いた種によって苦労をしていたことになります。
そして、その自業自得とも言える苦労を、全て私の性格に責任転嫁していたわけです。

そもそも、生まれたばかりの子どもが無表情で無欲、無感情ということはあり得ません。
表情を表しにくい障害があるのなら、成長しても無表情です。しかし私は、表情を作ることができないわけでは無いのです。
幼児期の私は、何かを楽しいと思ったり、何かをしたいと思うことが、ほとんど無かったのです。

幼児期に病弱だったことも影響しているでしょうが、やはり、乳児期のマルトリートメントが最も影響が大きかったのではないかと思われます。

具体的に何があったのかはわかりません。
しかし、2歳の頃に、帝国ホテルのレストランで、大人しく座って食事ができた、というエピソードから、食事中の躾、振る舞い方の躾が、おおよそ幼児に行うようなものでは無かったことが想像できます。
私は、大人が会食する『つまらない』場所でも、じっと座っているようにコントロールされたロボットだったわけです。それなら、無欲、無感動、無表情になってもおかしくありません。

「こんな退屈なところ嫌だ!」
ということも、
「じっとしているのが辛いよ!」
泣くことも、
「好きな食べ物が食べたい」
と主張することも、許されなかったのでしょうから。

マルトリートメントによって、子どもの脳は変形してしまうそうです。
自分らしく、自分を表現することを悪いことと思わされてしまった子どもは、自発的に何かをする機能を押さえつけ、ただ黙って大人の言うことを聞いていれば安全と認識してしまうのでしょう。

身体的虐待で傷が残るわけでもなく、反抗的な子どもを押さえつけるのでもなく、自ら進んで支配を受け入れる子どもを育てる。
これほど残酷なことは無いと思います。


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