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反省文を書き続けている

全て私が悪い

この洗脳は、とてもとても根強いです。
これが洗脳だと気付かなかったときは、
自分が息をするだけで、申し訳ないという気持ちにまでなっていました。

昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の収録現場で、主演の小栗旬さんが、源頼朝役の大泉洋さんに、頼朝が非常に冷徹な人間として描かれていることをネタに『全部大泉のせい』とマスクに書いて笑いを取っていました。
大泉さんは、娘さんにまで、「パパが悪い」と言われたとか……
大泉さんが善人でユーモアのわかる人とみんなが思っているからこそ、のネタだなと思いました。それを見極めている小栗さんの『イジリ』もステキだなと。

自分自身で「私が悪い」と思っている人は、こんなユーモアでさえ、まともに受けてしまうのです。
お笑いネタとか、友人同士のイジリとか、本来なら楽しむべきところでも、自分の落ち度を責められていると感じて、深く落ち込んでしまう。

『全部akbalのせい』

と言われたら、途端に暗い顔になって引きつり笑いをしてしまうかもしれません。

言った相手は、ユーモアの応酬を楽しもうと思っていたのに、そんな反応をされたら怖いですよね。
でも、頭の中が真っ白になってしまうから、気の利いた返しなど見つからないのです。

もっとドライに、ユーモラスに生きたい!

そう思っていても、心が付いていけない。
そういう返しができなかった自分すらも、反省文のネタにしているのです。

ここまで分析して書いていたら、何だか気持ちが軽くなりました。

私が真剣に向き合うべきは何か?
軽く受け流すべきは何か?

そんなことを仕分けしようとしても分かりません。
問題なのは、私は幼い頃からの習い性で、常に反省文を書いているということです。
反省文が仕上がらないウチに、また別の反省文を書かなくてはいけなくて、書き上がっていない反省文が山積みになっています。

私は下を向いて文を書くことに必死なので、みんなが楽しんでいる時に、その輪に入ることもしない。入る余裕もない。
そこで、流れもわからずに
『全部akbalのせい』などと言われてしまうから、
また反省文に向かってしまう。

ここ数日のnoteに書いてきたこととともに、
自分の間違いがだんだんと分かってきました。

今は反省文を書いている場合じゃない!
先をどうするか、考えて動くとき!
「あちゃー、すみませーん!」
と笑って受け流して、次に進むしかない!
反省文は3行で十分!

申し訳ありません。
二度としないように
気をつけます。

殴り書きでも、心がこもっていなくてもいい!
大事なのは、次にどう進んでいくのか、ということなんですよね!

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