①被虐待児ということを受け入れて、不動の超人になるまでのワタシ【1】

小学生にして「艱難(カンナン)汝を玉にす」と言う言葉を支えに生きてきました。

 母親から褒めてもらった記憶はまったくありません。

幼稚園入園前に親の欺瞞を見抜いてしまっていました。

隣の家の1~2才児が遊びにきたとき、なにかオイタをしたのを3才くらいのワタシは、その子を火のついた渦巻きの電熱器の上に「オイタをするとアッチッチするよ」と座らせる真似をしていたのです。

いつもワタシが母親からされていたように。

ところが幼いワタシは、その子を支えそこなって、電熱器の上にペタンと座らせてしまったのです。

すぐに助けたけれど

その子は火が着いたように泣き叫び、ほんとに火がついたわけですから

とんでお家に帰って行きました。

その晩、隣から呼び出しがあり母親が隣家に向かいました。

帰宅した母親が父親に、笑いながら、パンツに渦巻き状に‘’焦げ‘’ついているねんと、さもおかしそうに報告していました。

ワタシはてっきり怒られると思っていたのに、まったく怒られず

 母親は「子供のしたことやのに、えらい剣幕や、家のほうが偉いのに」と、父親に愚痴っていました。

幼いワタシはどうして悪いことしたワタシを怒らないで笑うのか、まったく理解できませんでした。

幼子でも善悪の判断に、目覚めていたと思います。

母親はいつも自分がワタシにしていたことについてふれませんでした。

その時、幼児ながら強烈な不信感を母親に感じその不信感は年を重ねるごとに、
さらに広がっていきます。

40すぎまでかかった虐待の記憶とトラウマと自己否定感からの脱却


 親はマンモス企業のサラリーマン父と勤めを辞めた専業主婦母で
どちらも戦争中は疎開した小学生であったようです。

あと一年終戦が遅ければ学徒動員されていたそうです。

ワタシが小学校から帰宅しランドセルを置くと、

息つく暇無く、勉強を始めないと殴られる家でした。

いっさい戦争中の話は聞かされておらず聞いても「思い出したくもない」という母親から推察すると

悲惨な戦争体験から、人格形成に不具合をもたらし、経済的焦燥感から我が子の虐待にストレスを発散するという機能不全家族の状態であったと思います。
 

社宅には同年代の子どもは近所にはいなく、

男の子グループに入れてもらい味噌っかすとして探偵ごっこに明け暮れていた幼稚園入園前のワタシでした。

そのお兄ちゃんたちや、ゆいいつ遊んでくれる小学校高学年のお姉ちゃんとの関係も

すべて母親に潰され、その家に行かないように命令されました。

ひたすら家でドリルをやらされていました。
幼稚園にあがると毎日のドリルのせいか、知能テストは幼稚園で二番でした。一番の男の子には小学校入学後も一番をとられワタシは万年二番で母親に叱られるのです。
一番でないとダメなのです。99点とっても、ほめられませんでした。

ランドセルを置いてテレビでも見ようものなら、

鬼の形相で母親が追いかけてきて背中を平手で殴ります。

ギャーと泣き叫ぶほど痛くて痛くて、

平屋の和室が柱を中心に
輪になる部屋を

必死に逃げ回りますが、小学校低学年ではすぐつかまって

背中が赤く手形つくほど何回も殴られました。

あるときなど父親も私を捕まえることに加勢し、恐怖の鬼ごっこがはじまり何度も殴られました。

この人たちは、楽しんでいる。そんなふうに思いました。

ひょっとしたら親たちも疎開先でそんな目にあってきたのかもしれません。

虐待から急性腎炎で3ヶ月入院する

とにかく、母親は、ワタシが病気になると、看病どころか機嫌か悪くなり、暴言を吐く親でした。

 鬼っ子、役立たず、働かざる者
食うべからず!
マヌケの
大足!

いつもいつも罵られました。大きくなっても夢にでてくるほどです。

いつもお腹を空かしている私を、欠食児童みたいやなと笑う母親

異常です。
この虐待の数々だけで一冊本が書けるくらいですが、はしょります。

とにかくこの家から逃げなくてはならないと小学生のころか、心にきめており、

テレビで孤児院の放送を見て、そこに逃げ込むかを考えたけど、

『家無き子』をみて、孤児院でのイジメの描写を見て、今と変わらないとあきらめたのです。

入院したきっかけは熱が下がらず初めて病院に連れて行かれ。

その時、先生に叱られている母親を見ました。
 
栄養失調とか、扁桃腺炎とか腎炎で入院とか聞こえたように思います。

それから母親はワタシにチョコ味のビタミン剤を、飲ませるようになります。

ビタミン剤はオヤツのようでとても好きでした。

入院先で中学生にセクハラに合う

小2のワタシは無邪気に隣の病室に机をくぐって忍び込みます。

小さいころのお兄ちゃんグループの探偵ごっこを、期待していました。

お兄ちゃんは、ワタシをトイレに連れ込み、パンツを下ろし、ワタシにオシッコを、かけました。

わーオシッコ汚いとワーワー言うと
オシッコちゃうわ
殺すぞと
ワタシのクビに手を当てて宙吊りにしたのです。

 苦しくてギャーギャーいうワタシをさらに高く持ち上げて、しゃべったら殺すと言われてガタガタ震えて病室に帰りました。誰にも言っていません。

まだまだひどい目にあったり親の冷たい仕打ちにもあうのですが、

入院中は欠食しないで三食食べておやつまで食べれて満足でした。

入院中も本になるくらいのできごとが、やまもりあるのだけど、はしょります。

うちの親から2500万円詐欺った元夫

 
 家出を繰り返し自分で稼げるようになったワタシが

すでに結婚離婚を繰り返し再婚相手として一応連れてきた男とは、

ワタシと、二人で会社を立ち上げて、社員40人ほどの規模にしてから親に紹介しました。

そしたらすでに定年後の父親が自分を会社に入れろと言い出し、私は親たちとつきあいたくないので嫌がっていたのに。

その元夫と父親はなんだか勝手に決めて、施工部の責任者として会社に入ることになりました。

元夫は親の財産目当てです。
退職金の2500万円を

父親が出資として貸していたようです。

私は親と会話しないので知りませんでした。

かいつまんで言うと、元夫には愛人がいました。
それは会社の事務員で社員全員知っていて父親も母親も知っていたのにワタシには黙っていたのです。

実は会社は火の車なのに社長の元夫は遊びまくり。後から聞くと女が5人もいたそうです。

ある日元夫は出奔し、会社にいくとデスクもないからっぽ状態。
負債は何億もあり、いつの間にか保証人になっていた父親は自己破産し、
持ち家は競売に、ワタシも住んでいた家を追い出され途方にくれる日々を迎えます。

母親が失敗した店舗を引き継ぎ

再婚して障害児の母になります。
つづきはまた。


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