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足元は暗いけど、淡く遠くを照らしてくれてる

まさに灯台、のような番組だった。

この土曜・日曜にかけて8/22(火)よりNetflixで配信スタートした『LIGHTHOUSE』を視聴した。全6話、星野源さんとオードリー若林正恭さんの心と心の対話によって進んでいく。

それぞれが書き溜めた1行日記を月に1回持ち寄って、綴られてる日常や思ってること、悩んでることを打ち明けながら繰り広げるトークバラエティである。

ドカン、ドカンドッカーンのようなド派手な番組を作るイメージのあったNetflix。どちらかと言うと真逆な印象の作品だったからどうなるんだろうと、配信をソワソワしながら待ってた。

テレビプロデューサー・佐久間宣行さんの企画によって、スーパークリエイターの星野源さんとオードリー若林正恭さんが顔を合わせる。2人が下積み時代を過ごした馴染みのある中央線沿いのカフェにてそれぞれ持ち寄った1行日記を紐解いていく。その一発目の星野さんの「ストレスが一向に減らない」という1行日記がバコーンと投下されたことによって、この番組の方向性が一瞬にして理解した。

どうやら穏やかじゃないぞ。

そんな足元が暗そうな2人による番組なんだけれども、まず思ったのは「2人の言語化の高さ」。エベレスト級の言語化できるトップクリエイター同士がじっくり語らうと自分ではたどり着けない高い景色が見れるし、会話だけでこんなにも濃度の高い番組として成り立つんだと舌を巻いた。

きっと世の中であれ?と思ったことも嫌だなっておもったこともそのままにせずに向き合ってどうその中を生きていくか、受け止めて、考えて現在地点まで辿り着いたんだろうなと。

それだけ1話、1話の濃度が高くてのめり込んで、でもじっくり大事に見進めたいと思える番組だった。だから、あえて土曜・日曜の2日に分けて追いかけて行ったのだと思う。

1,2話で下積み時代や過去のことの思ったことふつふつと貯めていた淀みを吐き出して、3話で現在地点の見えいなかった、見ようとしていなかった自分を受け入れて。そして、受け入れた自分で4~6話で未来について、これからについての抽象が具体へと変化していく。

灯台のような番組だなと思った。

誰にも見つけてもらえず、認めてもらえなかった影のような闇のような暗い道を歩いていて、徐々に光が当たっていって、現在がある。現在地が果たして幸せかどうか、あの日夢見ていたものだったのだろうかと満足しないで自問自答して、正解かどうか分からないけれど自分で認めて未来を見上げてこれからも歩いていく。

6話を通して、「どう表現したらいいか分からなくて言えなかったことを代弁してくれてる」ような気がして、これから先どうしようかと語れるところまで引っ張ってってくれて暖かな気持ちになった。


特に未来について語らう時。オードリー若林さんから「こんなもんだと思ってるけど、まだこんなもんじゃない」が聞けて、星野源さんから「120歳になってもストレスは一向に減らない」とドーンとまた投下されてひと笑いした。番組でしれたふたりそれぞれの人柄は、未来でも変わらない。けれども、その自分を受け入れて、これから見たことのない景色を求めて遠くを照らしてくれるんだろうとさえ思わせてくれた。


10年先も5年先もはたまた来年のことさえも分からない。足元はくらいかもしれない。けれども、未来を照らせるように悩んでもがいていろんなことをやっていこうとさせてくれる言葉を沢山もらった。


出会えて良かったと思う番組だった。




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