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【アイヌ】アトゥイ編 歴史を裏側から見ると発見がある

1789年クナシリ・メナシの戦い

根室市にはまだ行ったことはないのだが、
少し興味が出たので、調べてみた。

なお、中盤以降の記述に関しては、
見方によっては気分を害されるかもしれないので閲覧にはご注意頂きたい。

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知らない人が多いと思うが、現代判明している事を記したいと思う。
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なお、筆者は⦅和人⦆であることは前にも書いたが、
決して擁護も批判もせず、ただ中庸でいくが
読む人の価値観では、どちらかに偏って見える事があるかもしれないので予めご容赦頂きたい。

納沙布(ノサップ)


寛政元(1789)年5月より前。
つまり江戸時代中期。
松前藩から支配を受ける→厳密には、
アイヌと藩で交易を行うが、藩は武士。
商売が出来ないので商人に任せたそうだ。


交易品には、
和人側からは米・酒・鉄製品、
ガラス玉などの食糧や生活物資。

アイヌ側からは毛皮
ワシの尾羽(矢の羽に使う)などの産物。

根室地域の交易を最初に行った商人。
飛騨国増田郡湯之島村(岐阜県下呂町)の飛騨屋の武川久兵衛(たけがわきゅうべえ)という人物。
飛騨屋はもともと材木商。

松前藩に多額のお金を貸し、
松前藩はこのお金を返す代わりに、
根室などの交易の権利を飛騨屋に与えたそうだ。

しかし、根室やクナシリ地方には、
強力なアイヌの勢力があって、
飛騨屋の交易はうまくいかない。

ちょうどこの時代。
ロシア人は高価な黒テンやラッコの毛皮をもとめて、
シベリヤから アリューシャン列島・千島列島に進出。

1778年にはロシア人が クナシリアイヌのツキノエの案内で、根室のノッカマップに交易を求めて来航。


ロシア人は千島列島のアイヌとも交易を行っていて、
ツキノエは、ロシア人商人との結びつきを藩や
飛騨屋に誇示。


江戸時代の日本は、
長崎での中国・朝鮮・オランダ、
対馬での中国、琉球での中国貿易、
松前での中国・ロシア貿易の他は、
外国とは交易していない。

当時の江戸幕府は財政的にいきずまっており、
蝦夷地での交易の莫大な利益に目を付けたのが、
老中田沼意次。


幕府は蝦夷地に調査隊を派遣。

ただこの調査で、飛騨屋の経営も調査され、帳簿にも記入しないどんぶり勘定であることがわかり、交易だけでなく、現地でアイヌを使ってかなり強制的に働かせていることも明らかになる。


ナイス幕府‼️

しかし、ここから時代がうねる。


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