絶版本浪漫語り

今日は絶版本(と少し夢の話)について。
自分は昔から読書が好きなのですが、最近は「絶版」の魅力を追い求めています。
絶版本は発行・販売を中止された書籍のこと。
絶版になる理由は様々ですが、売上が芳しくなかったりその本関連で不祥事などが発生したなどが原因らしいです。

なぜ今絶版本に興味が湧いたのかというと、とある小さな夢を思いついたからです。
それは「絶版・廃版本を集めて小さな古本屋をひらくこと」。
しかしこれは実現させる夢ではありません。妄想の中で楽しむ方の夢です。
もちろん、現実でできるのならばいつかやってみたい気持ちもあります。
ただそうはいかないのが現実で、稼ぎやら生計やらをそこに持ち込んだ時点で私の「夢」ではなくなってしまう。やっぱりこういうのは考えているだけで楽しいので、私の場合はそこで完結してしまう方が良さそうですね。

妄想ではその内装とか周りの土地を考えるのがとても楽しい。
こういうささやかな夢の具体的な内容を考える時間がとても好きです。
やるなら古い日本家屋かなとか、外にはなにか中高木を植えたいとか。
植えるなら橙とかかな…
橙好きなんですよ。縁起物ですし、実がなれば活用できる。(私はおいしくて食べられる実のなる木が大好きです)
書きながら金柑もアリだなと思ったり。金柑は金冠に掛けられていてこれも縁起物。縁起物好きです。気の持ちようですが、なんとなくね。
とまあこんな感じでいつも考えてわくわくしてます。

さて、少しズレましたが絶版本の話も。
今のところ調べた中で気になっている書籍はスタニスラフ・レム「砂の惑星」、大宮司郎「古神道祝詞集」。
他にもたくさんありますした、この2冊は特に惹かれました。ぜひ一読してみたいです。

絶版とはいえ、現代のこの環境では昔よりも確実に手に入りやすくなっています。電子書籍として残すという形も出来ました。
しかし失われていく一方の本があるのも事実です。
私はそんな本を読んでみたい。
この「失われていく」という過程も絶版の魅力だと思いました。

こういうときに時間が無限に欲しくなります。残念なことに、今は昔と比べて読書の時間があまり取れていません。すでに買ってそのままの本が数冊あります。
でも、焦って読むとそれはただの作業になってしまうので、また一段落したら少しずつ読み進めていきたいと思います。
絶版ではなくて、普通の書籍も読みたい本しかありません。

本っていいですね。結局のところそれに尽きます。
少しだけ生活を豊かにしてくれる存在。忙しくても、本を読む時間が取れるくらい時間にも心にも余裕を持ちたいものです…

それではまた



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