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【半生を振り返る】なぜこうなってしまったのか?【幼少期編】

ギャンブル歴は約20年
18歳からパチンコをやり始め、24歳から同時に競馬にまでハマりこれまでの人生の大半をギャンブルとともに浪費してきた僕が伝えられること

今考えれば時間の無駄使いにしか思えませんが、当時の自分はそれが「生きがい」になっていたのも事実です。

なぜそんなことが「生きがい」になってしまったのか?

いまさらながら自分の半生を振り返ってみることでその原因を突きとめてみようと思います。
もし今そのような生活を余儀なく送っている人達がいたら、なんらかのメッセージになってくれたらと考えています。

今回は幼少期を振り返ってみます。

☑️幼少期の自分

両親は共働きだったので小さい頃は親戚の家に預けられていました。
僕には2歳下の弟がいますが、それぞれ別々の親戚の家に預けられていました。
理由は分かりませんが、今考えればそれぞれの負担を軽減するためだと推測できます。

•僕は父方の親戚へ
•弟は母方の親戚へ

それが原因なのかはわからないのですが、弟とはいまだに壁を感じる時があります。
別にケンカをしているとかは無いのですが単純に壁があります。
多少の居心地の悪さがあります。

僕も弟も今では結婚して家庭を持ちながら慎ましい生活を送っています。
弟もギャンブルが好きです。
僕はギャンブルを辞めれましたが、弟はいまだに仕事帰りや休日にパチンコ店に行っています。

幼少期は別々の親戚宅に預けられ違う環境で育てられたにも関わらず兄弟してパチンコ依存になってしまいました。

原因の一端は父親にあると思っています。
父親は国鉄(現JR)の職員でした。
気質は荒く、正義感の強い人です。

そんな父親の趣味がパチンコでした。
父親は土日になると趣味のパチンコに毎週行っていました。
母親は看護師だったので休みは不定期
だから、土日でも普通に勤務になる場合がありました。

平日は親戚の家で別々に過ごしていた弟とも土日は一緒になります。
そして、母親が仕事に行ってしまうと僕と弟は強制的にパチンコ店に連れていかれました。
今では考えられませんよね。

子供2人を連れてパチンコ屋に行く親子の姿

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30年前はその辺の規制がまったくと言ってよい程ありませんでしたので子供連れでも普通に店内に入れました。
なんなら拾った玉で子供がパチンコを打つことすら出来ました。

子供心にキラキラ光りながら楽しいBGMを流してくれるパチンコ台にハマっていくのに時間はかかりませんでした。

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普段は一緒にいる時間がない僕と弟がパチンコ店にいる時は楽しい時間を共有することができました。

小学生まではそんな感じで弟とは別々の家で大半の時間を過ごしていました。

そして僕は極度の人見知りになりました。

つづく



最後まで読んでいただきましてありがとうございました。 また次回も楽しみに!