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一番怖い怪談について考えてみた

怪談好きの間では特に有名で、最も恐ろしい怪談として知られている

《牛の首》

という話があります。

それを聞いた者が、あまりの恐ろしさに臥せってしまう。
どんな話か尋ねても、その恐ろしさ故に内容を語ることを拒まれてしまう。
あるいは、その恐ろしさに震え上がって死んでしまう。

そんな概要だけが語られ、肝心の怪談は誰も知らない、という話です。

恐ろしさのあまり臥せったり死んだりしてしまう怖い話とは、一体何なのか?
気になったので、ちょっと真面目に考えてみました。

思いついた中で、一番しっくりきたのが

「たまたま怪談会で会した初対面の人物の語る怪談の内容が、聞き手の近況に近づいてくる話」

でした。
たとえば

  • 「昔の話なんだが……」と始まった話の舞台になる地域の名称が、故郷の身近にある地名とよく似ている

  • 先祖とよく似た名前の人物が登場し、とても悍ましい行為に関与した

  • それから起こる恐ろしい祟りによく似た話が、先祖の身に起きていた

  • 話は徐々に現在へと近づいてくるが、その祟りの累が及んだ範囲と内容が、親族内が被った不幸とよく似ている

  • 更に代が降りてく現在の話になると、今正に自分の家系に起きていることと一致する

  • この祟りはまだ続いているようだと、話が締め括られる

このような流れであれば、自分は祟られていると思い、そこから臥せってしまっても不思議ではないですし、聞き手は恐れの余りその話を語りたがらないというのも、それを話してしまえば、自分が悍ましい所業をした家系の者とバレてしまう恐れからくるもの、といった理由が想像できます。

そして、周囲は聞き手の豹変と病死を、
「あの怪談会で被った何らかの祟りではないか?」
と疑い、その噂だけが一人歩きを始めてしまえば、内容が語られることがない、概要と顛末だけの怪談が出来上がる。

というのが、《牛の首》を読んで想像した怪談の流れですが、これにわりと近い小説が存在します。

それがH.P.ラヴクラフトの怪奇小説《インスマスを覆う影》です。

ざっくり紹介すると、観光目的で立ち寄ったインスマスという港町で恐ろしい体験をした主人公は、実はインスマスを恐ろしい町に変えてしまった、呪われた一族の末裔である事に気付いてしまうお話です。
また、クトゥルフ神話と称される作品群には《インスマスを覆う影》を踏襲した作品が存在します。

自分は《牛の首》を読んで、その最も恐ろしい怪談の中身を想像してみたら、クトゥルフ神話にある一編のような話を想像してしまった訳です。
つまり、自分にとって最も恐ろしいのは、今あるアイデンティティーを悍ましい事実に侵食される事なのかもしれません。

この事から《牛の首》という話の肝は

存在しない怪談を、存在しているように見せる仕組み
存在しない怪談を、聞き手の中に生み出す仕組み

という二点ではないかと思います。

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