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「光る君へ」うろ覚えレビュー《第26話:いけにえの姫》

東京都知事選挙のために大河ドラマが放映されなかったので残念がる大河ファンも多いという。そうなのか。
あたしはそうでもない。
この記事が投稿されたのが前回の放映から一週間以上経っていることからも察してください。

■まずは状況確認

史実と歴史ドラマとの違いに目くじらを立てるのは野暮だ。
ドラマはドラマとして楽しみ、一喜一憂すればよろしい。
史実や見解と相違するドラマの内容についてあげつらうことは、誰かの冗談を理解せずに本気で怒ってるみたいで虚しい。
史実とドラマの境界線をいい塩梅で味わうのが面白いじゃないですか。
だから、ここで
「今のところドラマではこういう設定・状況なんだね」
っていうのを一度確認しておきたい。

①一条天皇は出家した中宮定子に首ったけ。天皇は政をおろそかにしてしまった。
→朝廷がけがれ、日本は天変地異に苦しめられた
→つまり中宮定子は、「傾国の后」である。

②だれかが世の中を建て直さなければならない。それは左大臣・藤原道長の仕事だ。
→それなら陰陽師に相談だ。安倍サンタマリア晴明は、出家してしまった中宮に代わる后にするために、道長の娘・藤原彰子の入内を勧める。

③道長は定子に首ったけの一条天皇のところへ自分の娘を入内させるのは反対。妻の倫子も反対。
→でも、左大臣だし、正義感あるし、「世のため」に苦渋の決断で彰子の入内を決断(陰陽師にも姉にもプッシュされた)。倫子も最終的には「帝と内裏を清めるために彰子を入内」することをOK。

*倫子のこの言葉には「あでやかな後宮を作りましょう」が続く。
これはとても重要な伏線で、これがのちの紫式部が活躍する彰子サロンとなる。あの倫子の文学教室の先生だった良識ある赤染衛門先生も活躍するよ!

④一条天皇はもともと聡明な天皇だから自分の行動で世に混乱を招いたことを反省。
→混乱を鎮めようとする左大臣・藤原道長の努力に報いるために、渋々彰子の入内をOKする。

⑤道長による彰子入内作戦は進行。だが中宮定子の2人目の子の懐妊が大きな問題だ。
→道長は定子に対して父・兼家が行ったことがあるような呪詛などの手段を使いたくない、と善人的なところを主張。

だが。

道長「定子の懐妊に彰子の入内をぶつけるで」


道長の言葉。意地悪な顔になってきたな。

史実の道長は、実際に定子に対して意地悪を行っていたわけだが、それは当然私利私欲・道長一家の栄華を構築するための策である。
ドラマではあくまで「世の中のため」にというていで入内させる。
道長が「本当はいい人」なんだけど、朝廷や世の中のために「非情なことだってやり遂げる人」っていう設定らしい。

以上、状況・設定の確認でした。

■いと先生に学ぼう


さて、まひろと宣孝の関係が早くも壊れてきた。
これに関しては、あたしは乳母の”いと”と同意見である。
いとは自分勝手なところもあるが、人間的なところではわりと正しい。
それはどういうことか、みてみよう。

結婚当初の藤原宣孝は若い嫁のまひろにぞっこんで、土産やプレゼントを忘れずに妻を可愛がる。まひろだってまんざらではないように見えた。膝枕のお昼寝もアリだろう。

だが、まひろが書いた歌を宣孝が他の女に見せたことから雲行きが怪しくなってきた。正直に自分で言ってしまう宣孝も宣孝だが、それが彼の性格だ。そしてまひろを怒らせてしまった。

でもね、男のそういう行動は正解ではないかもしれないが、悪でもないと思う。
少なくとも宣孝が自分で言っていたように、
「賢いおなごと結婚したことを自慢したいねん」
という気持ち、ちょっとわかるもん。
夫が妻の才能に嫉妬するのではなく、受け入れ、自分のことのように自慢しちゃうのはかわいいではないか。
まひろにとっても隠し事をされるよりいいかな、と思うのだが。

怒られた宣孝はまひろに近づきがたくなる。
別の女と清水詣でに行ったのもバレた。

だけど本当は宣孝はまひろが好きで可愛いのだ。
彼は自分流にまひろのことをかわいがっているのだ。
久々に会ったまひろに甘えて来るよう促す。
だが、まひろは宣孝に甘えたことはない、と返答。
ま・ひ・ろぉー、そういうとこなんよね。

案の定、宣孝は
「お前さんのそないなかわいげのないとこに左大臣はんも嫌気がさしたんちゃうか」
といらんことを言った。
自分がかなり年上の夫であることを自覚している宣孝は、きっとまひろと周明やそして一番の強敵・藤原道長との関係について意識せずにはいられなかったし、だからこそ口をすべらせてしまったのだ。

おそらくまひろ自身もそのことに少し気づいていて、結構図星を突かれたのだろう。

で、まひろは宣孝に灰を投げつけてしまった。
そして宣孝はまひろと距離を置くようになったのである。

まひろは
「悪いのはあっちやん」
といつも相手を責めるんだが、そういうところなんよ。
彼女に非はないのかもしれないが、おもろない。

劇中で乳母の”いと”が言う。
「殿さま(宣孝)に逃げ場を」
と。

年の功なのか、いと先生のおっしゃることは正しい。
(ただし、いと先生ご自身の福丸との関係はどうなのか疑問だ)
宣孝のようなタイプの男にはある程度のバッファーが必要だ。
引いたり緩めたりのほどほどの手綱さばきが求められるのですね、先生。
いと先生のありがたいお言葉を我々も教訓にしたいものである。

だが、まひろも頭は良い。
26話の中ではすごく「正しい」と思われることを行った。
それは、宣孝以外の一家みんなで行く「石山寺詣で」である。
新しい風に当たればなにかいいことがあるかも。それって結構正しい。
気分転換が必要なのだ。
あたしなんかしょっちゅう気分転換してる。その間に仕事だ。
嫌なことをさっぱり忘れることができれば。(いや、仕事は好きですよ、でも締め切りが)

だが、まーた道長がからんできそうである。
なんで石山寺におるんよ?
これはそういうドラマなのですね、仏さま、大石静さま。

■おおせのままにいけになとなる姫

道長の娘・藤原彰子にイラついてます。
父親の道長でさえああなのだ。こっちもイラッときた。
これじゃ、結婚相手となる一条天皇だってイライラするんじゃないか。
定子とは外見も性格も全然違うタイプだ。

そもそも「いわはるまんまに」(訳:おおせのままに)って言葉、けんがありませんかね。「従順」とか「素直」ではないだろう。
もしも、あなたが誰かに
「こういう風にしたほうがいいよ」「これ、やってもらっていい?」
みたいにお願いしたとして、いちいち全てのことに
「おっしゃるとおりに」
なんて言われて、「ああ、素直な人だな」なんて思うだろうか。
こめかみあたりがピリつくだろう。

いけにえ姫

ネットの記事を見ていたら(ええ、見てますとも)、
「おおせのままに」は物言いたげでなにか考えがあるとか、
ある考えを押し殺しているとか、覚悟があるとかいろいろ彼女の内面をおもんばかって考察している。

そうなの? 
そう思わせて、本人は何も考えてないとか、ない?(明石 白はしょっちゅう)
人の気持をちょっと逆撫でするようなあの目つきと言葉。
政略結婚の生贄のように父親の道長に利用された藤原彰子は、史実においては、定子の死後に彼女の皇子を養育したような優しい人物だったようだが、ドラマの中では悪いが今のところ彼女にそれほど同情できない。


将来は10円玉に描かれるような立派な建物を作る人も登場してる

7月後半のうろ覚えレビューが予定通りできなかったらごめんなさい。
でも、止まることはあってもレビューは辞めません。