「光る君へ」うろ覚えレビュー《第14話:星落ちてなお》
■乳母という職業
前回の「うろ覚えレビュー」で、あたしは、失職した藤原為時の家に仕える惟規の乳母・いとがやつれもせず丸々としているため、一体どうやって食べてんのか知りたいと書いた。そしたら、14話でいと本人からストレートな回答が返ってきて(ドラマの中でね)びっくりだ。
「私、食べへんでも太ってしまう体質でございますねん。なん言うたらええんでっしゃろか、居場所があらへんといいますか・・・」
そう。食べなくても太る人だったのです。
そしてそれが理由で為時に暇乞いをした。
それにしても、聞きたいことの答えがあっさり返ってきて、心って通じ合えるものなんだなって。
結局いとは、為時に慰留されて屋敷に留まることとなり、よかったね。
実は最近いとがなかなかウザいと思っていたが、彼女が為時に仕えるようになったのにも、夫や生まれたばかりを子を流行り病で失うという悲しい事情があったと知る(でもウザいときはウザい)。
子が亡くなったのに母乳が出る状況はつらいだろう。いとはまひろの弟・惟規を我が子のように育てた、為時一家の一員だったのだ。
ウザいけど。
とにかくいとを優しい言葉で遺留した為時、グッジョブである。
お金ないのに。
■道兼の暴言が美味しい
今回の見せ場の一つは、キレた道兼の暴言である。
「この老いぼれが。とっとと死んでまえ」
ああ。言ってもた。
モラル的には言ったらあかん言葉ですが、ドラマ的には美味しゅうございました。
藤原兼家の一家の次男・道兼(注:道綱は妾の子なので別カウント)は、もともと性格が横暴で暴力的だった。
だが、具体的に彼の汚れ役人生がスタートしたのは、まひろの母を殺した時点だろう。
いくら上級貴族でも、罪を犯してもいない下級貴族の女を殺していい道理はない。人殺しをしてしまった道兼は、それを悟った兼家に「跡継ぎの可能性」を餌にし、以降利用されたのだ。
今回、衰弱したとはいえ頭は意外とクリアな兼家は、自分亡きあとの跡目についてはっきり宣言した。
まるで餌を前にご主人様に「待て」をされ、「よし!」の一声を待つワンちゃんそっくりな状態で、跡継ぎとして自分を指名されるのを待つ道兼。
それを横目に見ながら、兼家は嫡男の道隆を後継者に指名した。
自分が選ばれることを疑わず、かすかにうなずきながら目から期待値200%のビームを発していた道兼の期待は外れた。でも、道兼が跡継ぎだなんて、無理ゲーだとドラマの視聴者を含めて誰もが知ってただろう。
不満で大爆発した道兼に対する兼家の言葉がナイフのように鋭い。
「そないな人殺しに一族の長が務まると思てんのかぁ」
しかし、道兼も父親に負けてはいない。
「帝の父の円融院はんに毒を盛って、花山院はんの女御はんとそのお子を呪詛した挙げ句に殺め奉った張本人やあらしまへんか」(殺め奉った、という言葉に笑う。リスペクトするなら殺さないで・・・)
闇が一気に暴露されていく中、なーにも知らない道隆は困惑顔。
つくづく幸せな男である。
一方、状況をある程度把握しているはずの道長は特にコメントなし。
この道長の毎度「何も言わない」というスタンス。ちょっとずるい。
意味ありげな目つきだが、いや、それどういう意味? どっちサイドよ。
悪事を知りながら手を汚さず、止めることもしないあんたも兼家と同罪だよ。道長はとっくに清廉潔白から外れた道を歩いてる。
このドラマの時点(990年)で、既に藤原道長は正三位の権中納言。
摂政である父親の引き立てにより急激な昇進をし、すでに年上の「あの」藤原実資の地位を抜き去っている。若干25歳の道長は、摂政の息子としての贔屓の引き倒しに甘んじていたわけだ。
黒い家族は黒い家族なんですよ。嫌いじゃないけど。
■星落ちて
あたしは最初自分の耳を疑った。
何だこれは。
何光年か先の星から宇宙人が交信して地球人に選挙活動してるのか。
「道綱、道綱、道綱。聞こえてはりますか」
すごい。道綱の母は偉大である。
病床にある兼家が眠ってるっちゅーのに、上記を語りかける。
兼家の潜在意識に働きかけているのか。
睡眠学習なのか。
はたまた聞き流しラーニングか。
「道綱、道綱、道綱。聞こえてはりますか。道隆はんに道綱のことをお忘れにならはりまへんよう、あんじょう言うといておくんなはれ」
見ている側が身を捩りたくなるほど道綱の母は必死で、見苦しい。傍に座っている道綱本人さえ母を止めようとしてるやんか。
「嫌なものを見させられるなぁ」
と多くの視聴者が思ったであろう。
だがその場面が、病身の兼家によって一変した。
ゆっくりを目を開けた兼家が、和歌を口ずさむ。
その歌は、道綱の母が自分の元へとやって来ない兼家のことを嘆き、自著の「蜻蛉日記」に載せた和歌(「百人一首」では53番の歌)。
「あれはええかんじやった。輝かしい日々やったなぁ」
微笑みながら、兼家がそう言ったのだ。
場が一変した。
もう。
あたしはこれにやられました。
歌とともに忙しくまた華々しく活躍していた頃を回想した兼家。
本当は道綱の母の寂しい思いもちゃんと知っていたし、最後にそれに応えようとしたのだ。
兼家の言葉によって、醜態の場面はいきなり感動の場面へと変化した。
まさか妙に押しの強い道綱の母と、政治家センスゼロの道綱が同席する場面が、心に響くことになるなんて。
その兼家は990年7月2日に死没。62歳だった。
その死の直前、兼家が最後に月を見るシーンもよい。
あたしはここでも「一変」を目の当たりにする。
寝巻きのまま寝所から庭へと裸足で降り立った兼家は夜空を見上げる。
穏やかな表情で月を見て、かすかに微笑む兼家。
やることはやった、という充実感なのだろうか。
御仏の元へと旅立つことを穏やかに受け入れようとしているのか。
ところが、空を見上げていた兼家の顔にみるみる死相が浮かび上がってくるではないか。
赤黒く妖しく光る月。兼家の顔。
ああ、この人はもう死ぬのだと分かるほどの顔。
脚本と演出と演技の妙。
月を見上げ立っているだけなのに、言葉もないままみるみるうちに死相が浮き上がってくる変わり具合は見事だった。
翌朝、死んだ兼家は道長によって発見される。
今までの「光る君へ」における登場人物の中で一番人間としての深みを感じさせてくれた人物、それが藤原兼家である。
■アンチ生産中の清少納言
このドラマはまひろ、つまり紫式部が主人公のドラマですからね。
だから意図的に桔梗、のちの清少納言が紫式部より浅い人物に描かれているのも当然か。
あとになって『紫式部日記』に思いっきり悪口を書かれている清少納言だしね。
「誰ですねん、あの汚い子」
「なんや物好きな」
「あのような姫があては一番きらいですねん」
「夫を捨てようと思いますわ」
「息子も夫におっつけますねん」
そして、
「下の下でっしゃろ」
である。
桔梗姉さんは何でもはっきり言うタイプなのだ。
あたしは清少納言びいきなんだが、これを見ていて誰が清少納言のファンになるのか心配だ。どうやって推し活を進めるべきか。
藤原兼家を描写する深みのある表現と比べ、桔梗の人物像のペラッペラなこと。知識はあるが深くは考えず高慢ちきな、少女漫画における主人公のライバル的造形。
でも制作者側からすれば、まひろと桔梗のキャラが被ってしまってはいけないし、まひろを主人公にするには桔梗をこう表現するのがわかりやすいか。
定子も登場したし、これからの清少納言に期待したいが、ちょっと嫌な予感はしている。