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noters [four] おばあちゃんのノート

同じタイトルの漫画は久保マシン(C)さんが、ご自分のアカウントにて発表されています。これはその漫画の元になったストーリーです。

高校の期末テストのために夕食後も試験勉強していたら、夜空の一部がオレンジ色に明るくなっていた。

立ち上がって窓に近寄り、まじまじと空を確認する。
まるで夕焼けがその方向の空だけに戻ってきたようだ。

「まさか」

窓をあけると、どこからか聞こえる喧噪とともに、焦げ臭い煙の匂いがした。

火事だ。

私はカーディガンに片腕を通しながらどたどた階下に駆け下りた。
看護師の母はまだ仕事から帰宅していない。
キッチンにおばあちゃんがいた。

「恵美ちゃん。どこぞへ出かけるん? もう夜遅いよ」

私はおばあちゃんに急いで告げた。

「火事だよ! おばあちゃん」

彼女はそれを聞いて息を飲んだ。

「3丁目のほうの家が燃えとるよ。ちょっと見てくるけん!」

玄関でスニーカーに足を突っ込んだ私を追いかけてきたおばあちゃんが言った。

「行ったらいかん」

「え?」

振り返って私はおばあちゃんの顔を見た。
彼女のシワだらけの顔はいつも通り優しそうなんだけど、目は笑っていなかった。

「火事なんか、見に行っちゃいかんよ」

「でも・・・別に冷やかしに行くわけじゃないけん。近所やから心配なんよ」

それは本当。

「いや、恵美。行っちゃいかん」

私のお願いだったら何でも聞いてくれて、私を叱ったことなど一度もなかったおばあちゃんなのに、その夜のおばあちゃんは、頑としてきかなかった。
どうしたの、おばあちゃん。
彼女の顔は、あまりに真剣だった。

家の外に消防車のサイレンが鳴り響く。
その夜、私は火事の現場には行かなかった。

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<数年後>

「ああ、note! 今週中にnote、なんとかせんといかんわー」
最近私はnoteを始めた。
イラストを描いている。
まだまだ下手なんだけど、続けて投稿するうちに上手くなるかと思って。
みんなに見てもらったら、頑張って少しは上手になるかと思って。
今度、noteで開催されるイラストコンテストがあるから、それに応募したいと思っている。
入賞なんて夢のまた夢だけど、参加を決めると絵を描くモチベーションも上がる。
でも心は焦っちゃって、思わずぶつぶつ言ってしまうのだ。

「恵美ちゃん」

呼ばれて振り返った。
おばあちゃんがにっこり笑って立っていた。

「なあに、おばあちゃん」

「これどうぞ」

おばあちゃんは微笑みながら私に古ぼけたノートを一冊差し出した。

「へ?」

「表紙は少し薄汚れとるけんどが、中身は新品じゃけんね。きれいよ。ちゃんと書けるよ」

「え。くれるの? どしたの?」

私が渡されたノートを持ってきょとんとしていると、横から母が笑っておばあちゃんと私の間に割り込んできた。

「恵美。あんたが、note、noteいうから、おばあちゃんは”ノート”を欲しがっていると思ったんじゃないの。ね、おばあちゃん」

最近少しボケてきたおばあちゃんは、それ以上何も言わず、にこにこして私を見つめているだけだった。

「そっか・・・。ありがとう、おばあちゃん」

私がお礼を言ったら、おばあちゃんは満足したように母に連れられて自分の部屋に戻っていった。

もらったノートを眺める。
薄汚れた、どこかデザインも古ぼけたノート。
おそらくもともとは白かったに違いない表紙は黄ばんでいて、周囲は茶色くなりごわごわしている。中を開くと、未使用には違いないけれど、ページのふちは表紙と同様茶色く変色している。
どうしたんだろう。このノート。使われないまま随分古くなったんだな。

「あ、しまった!」

バイトの時間が迫っている。

私はとりあえずもらったノートを自分の本棚に押し込み、あわてて出かけた。

そして、そのことをすっかり忘れていたのだ。

おばあちゃんが死んじゃって遺品を整理するその日まで。

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あの日の夜、私がバイトから帰宅すると、もうおばあちゃんは救急車で近くの総合病院に搬送されていた。
家の前で転倒したおばあちゃんは、両膝と腕を骨折し入院した。
みるみるうちに体力も気力も衰えたおばあちゃんは、あっという間に食が細くなり、二ヶ月後に入院したまま肺炎で亡くなった。
85歳だった。

私も母も泣いて泣いて泣き尽くした。
葬式はわけがわからないうちに終了した。
まさか、そんな早くにおばあちゃんを亡くすとは思わなかったから、心は全くの準備不足だった。

それでも時間が経つと、私たちの心は次第に落ち着いてきた。
天国のおばあちゃんの冥福をちゃんと祈ることができるようになったころ、母と私はおばあちゃんの遺品整理をすることにした。

その時に私はそれらを見つけた。

おばあちゃんのタンスの中身を整理したあと、彼女が使っていた部屋の押し入れを開けると、そこにはカラーボックスがあった。
その中にそれらはあった。
おばあちゃんが持っていた本や雑誌などと一緒に、大量の古いノートが積み重ねられていたのだ。

「あ」

途端に私はあの時おばあちゃんにもらったノートのことを思い出した。
あれと似たようなノートがいっぱいだ。
おばあちゃん、こんなに沢山のノート持っていたの?
古ぼけていて、黄ばんでいて、茶色く汚れたノートたち。
30冊以上はあった。
手にとって開いてみると、どれも古いけれど未使用だった。

「なんでこんなに古いノートを持ってたんやろ」

思わずつぶやくと、母が言った。

「これはね。おばあちゃんの娘時代に家が文房具屋だった頃、火事に遭って、焼け残ったノートなんよ」

おばあちゃんのお父さん、つまり私のひいおじいちゃんの代に文房具屋をやっていたことがあったという。そこそこ繁盛していて、お店も大きくしようかとしていたとき、放火のせいで自宅を兼ねた店舗が半焼した。
家族は全員無事だったけれど、家も店もメチャクチャになった。
ほとんどの商品も焼けたり消火活動により水浸しになってしまった。
これらの30冊のノートは、その残りだったらしい。

「近所から沢山の野次馬が火事の現場にやってきて、おばあちゃん一家が必死で守ったきれいなままで焼け残った商品を、みんながあからさまに盗ってていってしまったんだって。でもおばあちゃんたちは、目の前で家が焼けている時に、堂々と商品を盗んでいく近所の人たちのこと、どうしようもなかったって」

若かったころのおばあちゃんは、鎮火したあと、火に燻され、水を被りながら現場に残されていたノートをできる限り集めた。
それからというもの、おばあちゃんは、商品としての価値もなく売り物にならなくなったそれらのノートを一人でずっと使い続けていたのだった。

「そういえば、おばあちゃんの残したレシピのノートや家計簿にしていた帳面とか・・・」

母は頷いた。

「そうだよね。いつもおばあちゃん、ボロボロのノートに書いていたよねぇ」

そっか。
そうだったのか。
何年か前のあの夜、私に火事の現場へ行くなといったおばあちゃん。
そんな経験をしていたからなんだ。

おばあちゃん、かつては大事な商品だったのにもう売り物にならなくなった可愛い可愛い、そして可哀想なノートたちを自分で使ってたんだ。

私は母にお願いしておばあちゃんの未使用ノート全てをもらった。
全部で34冊。
それらは、罫線があったりなかったり、表紙の色の違いはあったけれど、どれも同じように古ぼけて、表紙や中のページが傷んでいた。
だけど、私のお気に入りのバッグに入れやすい大きさで、広げて鼻を近づけるとおばあちゃんの部屋の匂いがした。

本棚からあのときおばあちゃんにもらったノートを抜き出して、全部で35冊になったノートを自分の机の上に置いてみた。

大事に使っていこう。
スケッチをしたり、気になる言葉を書き留めたり。
この35冊は私の創作ノートになる。
いろいろなアイデアやスケッチをおばあちゃんのノートにため込んで、そしてnoteに発表していきたいな。

35冊をしっかり使い切ったら、私はちゃんとしたイラストを描ける人になっているだろうか。

おばあちゃん。
やっぱりおばあちゃんが正しかった。
私が必要だったのは、おばあちゃんの差し出してくれたノートだったんだ。

今日もノートを開くと、おばあちゃんの匂いがする。


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絵:久保マシン(C)


この作品を元に久保マシン(C)さんがアレンジしたマンガはコチラ。

ぜひ併せてお楽しみください!



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