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「光る君へ」うろ覚えレビュー《第34話+35話:目覚め+中宮の涙》

これは正しい・正しくない、よい・悪いの話ではないうえに、「光る君へ」に限ったことでもない、大河ドラマ一般に当てはまることなんだが。
ドラマの各回についているタイトル(今回で言えば「目覚め」とか「中宮の涙」とか)は、全然頭に入らない。「光る君へ」というドラマシリーズのタイトルは、作者が考えに考え、もしくはふと神が降りたように思いついた、といった特別感ある一方で、各話のタイトルって印象が強くないものです。ただし、最初あたしは「光る君の」「光の君」など大河のタイトルもあやふやなうろ覚えだった。今はちゃんと覚えている。

■ストーリ中に起きたエピソードは実話か?

今回も2話をくっつけてのレビューとなってしまった。
どうまとめようかと考えたが、出てきたエピソードについてそれが実話かどうかを中心に考えてみようと思う。

■興福寺との争い

興福寺別当の定澄が3000人の僧を引き連れて藤原道長が代表する朝廷を脅した。道長の武人源頼親みなもとのよりちかとその配下当麻為頼たいまのためよりによる所領の争いが原因だ。興福寺は藤原氏の氏寺だというのに藤原氏のトップである道長を脅すことになったが、道長は脅しに屈することはなかった。屈していたらそんな場面はドラマに出てこないだろう。僧侶たちが朝堂院に押し寄せて来ても、検非違使を使って追いやり、定澄の4つの要求のうち3つを拒絶し、争いの中心となった興福寺の僧・蓮聖の法会への参列禁止解除のみ、それだけ単独で申文を出すよう言った。

定澄は最後に笑って1つでも要求が聞き入れられるということで満足げだ。
彼は実在の人物。今回の問題で道長とやりあったことも道長自身の記録『御堂関白記』、藤原行成の『権記』記録に残っている。

■曲水の宴考

曲水の宴とは風流なものだが、内容を知ると少しハラハラする。庭園に流れる川に沿って出席者たちが着座し、出された歌のお題に沿った歌を、水に流されてくる盃が自分の前を通過する前に詠まなければならない(異説あり)。私なら川上に座らないだろう。

和歌を短冊にしたためたあとは、眼の前に流れてきたおしどりの姿をした盃台に載せられた盃の酒を飲むのだ。これが道長が実施したイベント時のルールとして採用されていたなら、結構ドキドキしてしまう。
さっさと歌を考えなくちゃいけないし、その歌は小洒落たものじゃないとだめだろう。お酒も飲むのかぁ(あたしは下戸なのでつらい)。

大雨に降られたことで中断した宴だったが、中断中に雨宿りしながら道長をはじめとする男たちの会話は楽しげで好感が持てた。
同時に、あたしの脳裏にあったのは、水の流れに乗って酒を運んだおしどりの盃台のことである。色こそ違うが、あれはかつてうちにもあったお風呂場の黄色い鳥に似ているな、と思ったのは実話である。
が、問題はそこではない。

お風呂の鳥、自分的にはシンプルなのに傑作に描けたつもり(明石白左手画)

藤原道長、1007年に本当に自宅(土御門殿)にて曲水の宴をやったらしい。ドラマでは、今回のイベントの目的は藤原道長の娘で中宮・彰子の懐妊を祈って、ということだが、懐妊して皇子が生まれ、天皇になれば藤原家も安泰が保証されるとはいえ、彰子も一条天皇もこのプレッシャーはたまったものではないな。あからさまなプレッシャーだ。

■御嶽詣

道長は、とにかく彰子に一条天皇の皇子を生んでもらいたくて必死なのである。そのためには、金峰山も登っちゃう。つまり御嶽詣みたけもうで決行である。
これまた彰子はめちゃくちゃプレッシャー感じるよね。一条天皇だって。
ドラマに出てきた通り、過酷な登山であるが、これを行ったのは実話だ。
道長の書いた『御堂関白記』だが、これのオリジナルは雨に濡れた部分があって、どうやらそれが御嶽詣の際にも日記を持ち歩いて書き記していたからではないか、と時代考証されている倉本一宏先生もご著書に書いておられる。道長が登ったときに雨が降ったらしく、その部分の墨がにじんでいたのだそうだ。雨の中の登山は大変だったろう。

ドラマのなかで登場した、土中に産められた経筒も1691年に発見され実在する。あたしはこの経筒発見の事実に感動した。だって、何百年も眠っていた経筒を、伝えられていた通り見つけることができたのですよ。
今、この経筒はキョーハクこと京都国立博物館に所蔵されている。
ちなみに、倉本先生ご自身も御嶽(金峯山)詣を実行されているのだ。

気になったのは、藤原伊周である。
ドラマの中の立ち位置として、もうヒールとして定着している伊周だが、まだこの人物に従う手先のような者たちが存在するんだね。
伊周ってそんなに人望あったっけ。
そして彼は、御嶽詣を行う道長の暗殺を目論むのであった。
実は、暗殺計画は本当かどうかは不明であるが、当時そういう噂があったのは事実らしい。
ドラマでは、例のでしゃばりの藤原隆家が道長を救い、兄の伊周を止めたことになっている。これはフィクションなんでしょうね。


藤原隆家に見えるかな。歯がすごいな。(エル姉左手画)

■読まれる『源氏物語』

今回宮廷の内外でさまざまな貴族たちがさまざまに『源氏物語』を読んでいる様子を見るのがとても心地よかった。
ああ、こうやって物語は噂され、広がっていったのか、と思ったものである。

藤原公任が、藤原行成が、藤原斉信が、そして女官たちが藤式部の書いた物語を読みふけっていた。特に、ひとりが声を出して読み上げるのを女官たちが聞き入っている様子が印象的だった。当時、写本を持ち一人で独占できるほどの力がない者たちは、誰かが声に出して読む物語をそばで聞き、ともに感想を述べあったのだろうか。

楽しそう(エル姉左手画)

曲水の宴の際、源俊賢が尋ねた。
「なんで光る君を源氏にしたん?」
もっともな質問ではある。
藤式部は主人公を自由な立場の人物にしたかった、との説明をした。
俊賢も父は皇子ながら臣下となった源氏の家の人間だ。

俊賢は自分の父親を物語の中に見たという。
斉信は光る君が自分だと思っていたんだそうだ。

実際に、光る君のモデルは幾人も挙げられるが、斉信もその一人だ。
そして道長も。

藤式部はは言う。
「どなたはんのお顔を思い浮かべてはっても、それはお読みになる方次第ですわ」
うまいこと言いよる。

さらに藤式部は道長に告げる。
「我が身に起きたことっちゅーのは、みーんな物語の種ですさかいに」
この言葉、脚本家の大石静先生の本音というか、実際そうなんじゃないだろうか。転んでもタダでは起きん、というやつである。
物書きにとっては、幸も不幸も種である。

藤式部が言うように、彼女と道長のまひろと三郎時代の小鳥の話は、雀の子の話となって、『源氏物語』の若紫と源氏との出会いのときのエピソードへとつながった。そして、まひろが生んだ不義の子は、物語のなかで桐壺帝と藤壺との間に生まれた東宮ということになっているが、実は源氏と藤壺の間に生まれた子へと物語の中でつながっている。

考えてる藤式部(エル姉左手画)

「おとろしいこと言うてんなぁ。おまはん、不義の子、生んだんか?」
道長が問う。
「いったん物語になってもうたら、自分の身ぃに起きたことやなんやかやも霧の彼方や。ほんまもんのことかどうかもわからへんようになってまうねん」
さらりと言う藤式部。道長、わかったんかな、藤式部の賢子が彼の娘であることを。これはフィクションだけど。

大石静先生の伏線大回収がガンガン進行しているのがわかる。
さすがである。
藤式部と道長、彰子と一条天皇の関係が物語に映し出され、あとは、道長の側室・明子女王が六条御息所ろくじょうのみやすんどころ(『源氏物語』の中で源氏を悩ませる女性)と重なっていくのかな。

『源氏物語』の壮大なストーリーと、道長と一条天皇周辺の人間関係とを結びつけ、辻褄が合っているのがわかると、パズルが合わさるようで心地よい。

■中宮・彰子

彰子には毎回困らされるあたしだ。
今回は、いきなりの一条天皇への告白。あまりにストレートで。

空気を読まない彰子の告白(エル姉左手画)

でも、一条天皇は優しい。
あたしが男なら、ちょっと引いているかもしれないところ、一条天皇は驚きながらもその言葉を受け入れるのだ。

一条天皇なのです。帽子(冠)が変。(エル姉左手画)

ネットの記事などを見ていると(あたしがレビュー書くの遅いから、書く前に他の人が書いたドラマ関係の記事が目に入ってしまう)、彰子の演技がすごかったとか、本当の気持ちがついに溢れ出た、みたいなことを書いてあった。そう見る人も多くいるのでしょうね。
だけど、あたしは引きました。
男慣れしていない女子の暴走ですな。
あんなふうにぐちゃぐちゃになって泣いて訴える彰子に対して、引いたりせずにちゃんと応える一条天皇って、できた人物だ。
もちろん、こういうやり取りはフィクション。

でも、一条天皇は彰子を認めていくし、彰子は立派に中宮の立場を全うする。それが史実である。

まだまだ言いたいことはあるが、長くなったので今回はこれにて。