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「光る君へ」うろ覚えレビュー《第33話:式部誕生》

平安時代の人々の読み物といったら、書写したものがほとんどだろう。
活版印刷などなかったのだ。
陀羅尼経を印刷した百万塔陀羅尼というのが奈良時代にあったが、限られた文言を繰り返し印刷するのと違い、長編物語などは筆写するしかない。
『竹取物語』、『枕草子』、『源氏物語』を読むことが貴族のエンターテイメントだったのだ。
尊い。

■女子寮のような内裏での共同生活

前回、まひろが内裏にやってきたとき、ボーリングのピンのトップのボジションで待ち受けていた女。女官のリーダーっぽい彼女は、宮の宣旨せんじだと自分で名乗った。実在の人物である。
中宮彰子に仕えるにふさわしい教養に溢れた美女だったらしい。
ドラマではなかなかの貫禄で、まひろを「藤式部」と呼ぶことにしたと宣言した。
前回のドラマにおけるカメラワークでは、宮の宣旨が女番長みたいな存在感を醸し出していたが、実際はそこまで露骨な意地悪さは見られなかった。
まひろがかなりつらい思いをするのかと思ったが、そうでもない。
あのくらいなら、あたしも平気である。
なにせ、こっち(まひろのことです)は道長の推挙による鳴り物入りの新入社員なのだ。プレッシャーはあるが、でもまぁ、才能もある(まひろが)。
ただ、他の女官たちはゴシップが好きそうだ。

藤式部は、物語書きマシンとして局を与えられたが、昼間は女官たちが忙しく立ち働き、なんとなーく藤式部の局の様子を伺いながら通り過ぎていく。夜は夜で周囲の局で眠る他の女官たちの夜中の寝言や気配で眠れない。
まぁ、物書きは機械じゃないから、さぁ書け、今書けと言われたって書けるものでもない。やっぱり環境も仕事の質に影響する。
部屋がきれいだとOKだとか、静かだとOKだとか、そういうもんでもなかったりするからややこしい。

本当に女官たちが詰めている後宮とは33話で見るような、女子寮みたいなノリの場所だったのだろうか。
女官たちも人間なのだから、おしゃべりもすれば、笑ったり、うわさ話をしたり、寝言を言ったりするだろう。
現代人と変わらないんだな、と当たり前のようなことを考えた。

「宮の宣旨ですねん」(エル姉左手画)

■里に下がる藤式部

どうしても書けない藤式部は、道長に里に下がることを宣言する。
道長は怒ったり頭を下げたりしながら、藤式部をなんとかつぼねにとどまらせようとするが、藤式部先生は生来頑固なのである。
書けないったら書けないの!
必ず物語の続きを書くということで主張を押し通し、里に帰った。

戻った途端に、いとに大きな声の洗礼を受ける。
「追い出されたんでっしゃろ!?」
相変わらずいとは内容の繊細さにかかわらず、声のボリュームを下げられない。

それにしても、弟の惟規のぶのりの指摘通り、出仕してわずか8日で里下がりするとは。
藤式部ってそんなに早い段階で里に下がったっけ?
家を去る時の様子がなかなか感動的だっただけに、ちょっとびっくりである。成田離婚・・・。そんな言葉をふと思い出した。あ、関係ないですね。

藤式部も家に帰ればもとの「まひろ」だ。
彼女は、8日ぶりという大して懐かしくもない家の内部を見渡し、あるものを発見していた。
それに気づいた瞬間、あたしは凍りつく。
もしや、まひろがそれを手にするのではないかと思っちゃったからである。
「それ」とは、部屋の片隅に立てかけてある琵琶。

またまひろが「ばらばらーん」と、ナゾの琵琶演奏をやらかすのではないかと手に汗握ったが、彼女は弾きませんでした。
ああ、よかった。おばさん、お調子一本つけて! 祝杯だ。

■中宮、始動。

もしかしたら宇宙人なんじゃないかと思っていた。
今まであまりにも無愛想だった中宮彰子。
強情なくらい無愛想で、心をどこかに置いてきたような女性だった。

ところが、急に中宮が動き始めたのだ。
これは藤式部パワーというやつか。
みんながよそ見をしている間に、世話をしている敦康親王あつやすしんのうに茶目っ気たっぷりに甘味のものを与える彰子。
え。こんなことする人やったん?
で、それに気づいているのは大河の視聴者と藤式部だけなのだ。

たしかまひろは、ドラマの別場面で弟に
「中宮さまはうつけやないで、奥ゆかしいねん」
と言い張っていた。宇宙人ぽかったけど、彰子はうつけではないのだろう。
だが、以前の彰子は奥ゆかしいのともまた違った。
何を話しかけても「おおせのままでええですわ」としか言わず、笛の演奏を見てくれへんのかと問う天皇に「笛は見るもんやなくて聴くもんやろ」と言い返すなど、こういうのは「奥ゆかしい」じゃないでしょう。
拗ねたときのあたしと同じである。
こじらせていたのだ。

ドラマもここにきて、彰子の人間味を出そうとしているのか。
それも、これも、あれも、どれも、Whatever happens、まひろのおかげなのである。

横顔でみたら可愛かった中宮彰子(エル姉左手画)

それにしても、もう清少納言はドラマに登場しないのでしょうかね。
彼女はすでに内裏を去っているはずだ。
道長がヘッドハンティングしようとしたが、断られたという話もある。
ドラマの流れからみても、彼女が彰子のもとで働くわけがない。

■『源氏物語』も始動!

藤式部の書く物語が、一条天皇を不快にさせた。
「朕を難じてるやろ」
だが、同時に天皇は物語に惹かれた。
何しろ自分の職場の裏の人間関係みたいなところをえぐるように描く物語だ。もしも、自分を含め物語の登場人物のなかに思い当たる者がいるなら、どのように描かれるのか、気にはなるだろう。
現代の我々が『源氏物語』を読む以上に、リアリスティックな内容にドキドキしながら読んだはずだ。
しかも、その物語は一条天皇のために書かれたものなのだ。
なんて贅沢。

「朕のみが読むんは惜しいわ。皆に読ませたいねん」
という一条天皇。
しかも、中宮彰子も33話ではまれにみる饒舌ぶりで、天皇が読むなら読みたい、と言うし。

『源氏物語』の効果が出始める。
一条天皇が心を動かされ、中宮も心惹かれ、これから藤壺は少しずつ活気を帯びてくる。これこそ、藤原道長の狙いどおりだ。

つ・ま・り。藤式部の書いた物語は、ひとまずの成功を収めた。
褒美として道長は藤式部に幼い頃の自分たちを描いた扇を彼女にプレゼント。まひろには何よりの褒美だったようだ。
扇の中の二人の顔は似てないけどね。平安時代だからね、やっぱね。
あんな顔よね。

33話の一番の中心はここだろう。
『源氏物語』が始動した、そういう回だったのだ。

■武力の影

ま、軌道に乗ってきた『源氏物語』プロジェクトこそ33話の中心なのだが、あたしがドラマの本質をちょっと脇に置いてでも今回一番エキサイトしたのは最後の最後のシーンである。

おそらく他の視聴者のみなさんもそうなのでは?

興福寺別当の定澄じょうちょうとかいう、ややこしそうなのが道長に直談判にやってきた。かなりうっとおしい存在感。

朝廷が興福寺のいい分を聞いて、要求を陣の定めに取り上げるのでなければ、3000の兵で囲んで火をつける、というのだ。
僧のくせに、神も仏もない言いようである。
どういう論理で火つけが許されるのか。地獄堕ちは回避できるのか。

これは、日本史用語的には「強訴ごうそ」という脅しの手法である。
東大寺とか興福寺とかの僧兵たちがこういうのをやってた。
要は、武力で朝廷をコントロールしようという考えだ。
あたしのイメージではもうちょっとあとの時代だったが、道長の時代にもあったのか。

ドラマはこれで何を描こうとしているのか。
その邪悪な寺院の別当は、不穏な雰囲気の暗い部屋で道長を脅す。
会談のセッティングからして邪悪な感じ。
明るいおひさまの下ではこのような話にはならないのですね。

道長は33話の中ですでに、平維衡たいらのこれひらという武力の輩に、伊勢守を任せてはならない、などと言っていた平和主義者だった。
その彼に(朝廷に)興福寺が強訴をかましたのだ。

定澄はなかなかの圧を道長にかけるが道長も負けてない。
「火、つけまっせ」
という別当に大して道長は
「やってみんかい」
と言ったのだ。

やだぁもぅ、どうなるかちょっと楽しみですね。
多分火事なんてことにはならないと思うけど。

ところで、「まさか」と思って今回なぜか執拗に登場した名前だけの平維衡を一応チェックしてみたら、やっぱり維衡とは、あの平将門の乱を鎮圧した平貞盛の息子のことだったらしい。
のちの平清盛へ続く伊勢平氏メンバーである。

なぜ33話でこうも平維衡のことを執拗に取り上げたのかはナゾであるが、維衡を取り立てようとした藤原顕家との対立を描きたいのか、道長の平和主義を主張するためだったのだろうか。

藤原隆家が言っていた。
「これからは朝廷にも武力をという道を選ぶのんもまぁ肝要となるやもしれへんで」

興福寺の強訴、平維衡の台頭、刀伊の入寇における藤原隆家の活躍(←これはこれから起きるやつ)など、といった武力の影がチラついてきましたね。


興福寺別当の定澄。頭が光っているそうです。悪そうな顔。(エル姉左手画)