一の台(豊臣秀次室)の辞世 戦国百人一首53
豊臣秀吉の甥で、彼の養子になった豊臣秀次の側室(もしくは正室とも考えられている)が「一の台」(1562-1595)である。
公卿・菊亭晴季(きくていはるすえ)の娘だ。
夫の豊臣秀次が謀反の疑いで切腹した後、一の台も多くの者と共に斬首された。
そして、その時の心境がそのまま彼女の辞世の歌となった。
つまゆへに くもらぬ空に 雨ふりて 白川くさの 露ときえけり
妻であるがゆえに、雲やぬ空から雨が降ってきたような、突然思いがけないこととなり、白川の草の露がすぐに消えてしまうよ