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藍崎瑠々子の渡世の流儀

姓は藍崎名は瑠々子。
見鬼厄除け程度しか能のない半端ものが、異形絡みの厄介事を片付けやす。

藍崎瑠々子の渡世の流儀

「坂本、これが次の拝み屋か」

 応接室に通された客人を一瞥し、M県議会議員、嘉村豪三(かむら・ごうぞう)は秘書に問い掛けた。

「は、はい。藍崎(あいさき)様は甥っ子の話では――」

「瑠々子(るるこ)とお呼びくだせえ。拝み屋じゃあありませんぜ。まあ、祓い屋と呼ばれるよりは、的を射てるやもしれませんが」

 不興気な主人の声に、慌てて秘書が答えるのに構わず、客人は自らをそう称した。

 若い女だ。脱色されたショートの髪は、ろくに手入れされておらず、根本が黒い。濁った目の下には濃い隈が浮いている。

 ジーンズにTシャツ、藍地に青い蝶の柄の入った羽織をだらしなく着崩し、懐手のまま薄笑いを浮かべている。

 気が短いことで知られる嘉村だったが、見下すようにも、おもねるようにも見える表情を前に、怒りにも足りず嘲りにも満たない曖昧な気持ちのまま、秘書を下がらせ、客人に座るようソファを顎で指した。

「お前は本物なんだろうな? 遊びじゃないぞ。既に人死にも出ている。謝礼目当ての冷やかしなら足代くらいはくれてやる。さっさと帰るんだな」

 苛々と葉巻を吹かす、嘉村の恫喝めいた物言いを気にするでもなく、

「ちょいと失敬」

 瑠々子はシガーケースから葉巻を抜き取り、慣れない手つきで火を点けた。

「どこまでお聞きかは存じやせんが、あたしにできるのは見鬼厄除けのたぐいで。退魔祓魔なんざはなっからできやしませんよ」

「なに? お前、私を馬鹿にしてるのか?」

 ひと息喫うや派手に咳き込み、涙目で葉巻を揉み消しながら、瑠々子は手を振ってみせる。

「いやなに、見えるからこそちょっかいも掛けられる。生きるためには知恵が必要で、あたしなりの流儀は身に付けてるって話ですぜ」

「……ふん、まあいい。懸けるのはお前の命だからな。それよりお前、吸い方も知らんのに無駄にするな、勿体ない」


 撥波美(はねなみ)。

 荒れた海と険しい山に囲まれた小さな集落で、漁獲も少なく作物も育たないため近年急速に過疎化が進んでいる。嘉村の生地であるが、今は選挙地盤の一部でしかない。

 この地の小規模な網元でしかなかった嘉村の家が、戦前始めた製糸工場で財を成し、県議を経て国政を見据えるまでに成長したのは、代々祀るあるものの加護があってこそなのだという。

「この辺りの本来の呼ばれ方を知っているか。骨食(ほねばみ)だ。岩がちな荒れ地には常に野晒しの獣の骨が散乱し、狭い砂浜には何故か頻繁に腐乱した海豚や鯨の屍体が流れ着く。縁起が悪いので、祖父が撥波美と改めた」

「おやおや、とてもじゃないがご加護があるって話にゃ聞えませんぜ?」

 懐から取り出した安タバコを銜え、瑠々子はおどけた手振り口ぶりでまぜっかえす。

「そんな土地であるにもかかわらずなのか、そんな土地なればこそなのかは知らん。『ゆぐ』だか『うぶ』だかいうそれがもたらしたのは、海に沈んだ財宝や山から掘り出す鉱石の類だったそうだからな」

「へぇ。旦那のお家の話なのに、なんで聞きかじったような話し振りしなさるんで?」

 目を細め問う瑠々子に、嘉村は刹那鼻白んだ表情を見せた。

「『ゆぐ』を祀るのは代々嘉村の長子という事になっているが、父は嫌って逃げたからな。実質私が祖父を継いだ形になる」

 父祖を語る嘉村の言葉の端々に、侮蔑と羨望、それに微かな恐れのようなものを感じ取ったが、瑠々子は顔には出さず頭に留め置いた。

「そしてその継いだものを反故にしたい、そういうお話しでやすね?」

「そうだ。長い間、役にも立たん土地だったが、バイパスの誘致に成功したからな」

 一族の栄達のために絞り切り、干乾びた土地であっても、工事の最中や開通後障りがあるのは頂けない。そういう事だ。

 いよいよ本題に入ろうかという時に、応接室の扉が薄く開かれた。
 狭い隙間から、10歳ほどの少女が覗いている。

「お客さまですの? ほなみもごあいさつしますわ!」

「……お嬢様ですかい?」

「まさか。養女だ」

 てっきり少女を叱り飛ばすものだと思った瑠々子は、意外なほど平坦な嘉村の口調と応えに、僅かな違和感を抱いたが、すぐにそれは消し飛んだ。

「お客さまにはとっておきのヤドカリをプレゼントですわ!」

 肩に手のひら大のヤドカリが載っている。瑠々子は脚の多い生き物が苦手だった。


 手入れの行き届いた屋敷の庭を一歩出ると、嘉村の語った通り、岩の多い荒れ地に痩せた木が疎らに生えている。骸こそ見当たらないが、潮風に晒され立ち枯れた木が、巨大な獣の骨のようにも見える。

「なるほど、骨食とはよく言ったもので」

「こんどはカブトムシをプレゼントですわ!」

 雪駄履きで足元の悪さに気を配っていた瑠々子の背中に、ほなみは何処からか捕まえてきたカブトムシをたからせた。

「お嬢ちゃん」

「ほなみですわ!」

「ほなみさん。あたしゃ脚の多いのが苦手だって、お屋敷で言ったばかりですよねぇ?」

「ヤドカリよりカブトムシのほうが4本も少ないですわ!」

「……勉強になりやす」

 背中のカブトムシを刺激しないよう、さらに気を付けぎこちなく瑠々子の後を、サンダル履きで袖なしワンピース姿のほなみがついて歩く。

 露出した肩やスカートからのぞく脚は健康的な小麦色。常日頃、外を遊び歩いているのだろう。


「養女ですかい?」

「ああ。祖父のころは、『ゆぐ』の元に赤い捧げものを遣っても、外に話す者など居はしなかったそうだがな。いま残っておる住人も、怯え縮まって口外などせんだろうが、老人ばかりであれも喜ばんだろう」

「はぁ」

 夕飯のメニューでも話す様な嘉村の口ぶりに、瑠々子の表情が刷毛で掃いたように消える。

「かつての忌み地だとはいえ、失踪者が多いのも怪しまれるし、人を用意する業者も信頼できん。今のご時世、どこからどうやって話が漏れるか分からんからな。その点、正式に書類を揃えた養子なら問題ない。あれの元へ遣ったあとの書類は、代々のかかりつけ医が滞りなく出してくれるからな」

「ご苦労な話で。でも、捧げものにするだけの間柄、わざわざ親子の縁まで結ばなくとも……」

 歯切れの悪い瑠々子の口ぶりに、ひとり合点した嘉村は下卑た笑みを浮かべる。

「ああ、勘違いするなよ。私に幼女趣味などない。こんなまだるっこしい手を使わずとも、女のほうから幾らでも寄ってくる。私はそんな些事には興味はない」

 瑠々子にずいっと顔を寄せ、嘉村は実に楽し気な口調で続ける。

「藍崎(あいさき)、あの娘の取って付けたような立ち居振る舞い、滑稽だっただろう?」

「まぁ……おしゃまで可愛いもんだとは思いやしたが」

「たとえ一時でもあれ、良家の暮らしを手に入れてからの転落。その絶望に歪む表情は、もっと見物だぞ。そのための養子は、あれの他に11人いる」

「良いご趣味なこって」

 瑠々子が込めたあからさまな皮肉の響きも、嘉村には届いた様子もない。


「ぎゃわん! 転びましたわ!」

 雪駄やサンダルで歩くには少々険しすぎる山道。派手に転んだほなみの膝は擦りむけ、血が滲んでいる。

「やれやれ。案内はここらで結構ですよ。ひとりで帰れますかい?」

 腰のポーチに入れておいた絆創膏で応急処置を施し、瑠々子は水を向けてみた。嘉村の依頼は前任者である拝み屋が失敗し拗らせた『ゆぐ』との契約解除。ほなみの同行の意図は説明されるまでもなく明白だったが、捧げものを供すること自体は本筋ではない。

「イヤですわ! いちど任されたおしごとは、最後までやりとげますの!」

「……さいで」

 ほなみの手を引き歩くうち、程なく朽ちかけた白木の鳥居が見えてきた。その先には、何年も取りかえていないであろうしめ縄を渡された、洞窟が控えている。

「いつもは入っちゃいけないって言われてますの。このチャンスはのがせませんわ!」

 なるほど、帰されるのを嫌がるわけだが――

「ま、なるようにしかなりませんわな」

 懐手でうそ寒げにひとりごちる瑠々子を後目に、ほなみはずんずん奥へと進む。


 洞窟は自然にできた物にしては床面壁面ともに滑らかで、登ってきた山道より歩きやすいくらいだった。強力な懐中電灯で照らす先は、緩く下り続けている。

「きっと海に続いてるんですわ!」

 じわりと湿る岩壁と微かに漂う潮の香りに、ほなみが歓声をあげた。

 行き止まりだ。足元は切り立った崖になっており、はるか下から波の音が響く。開けた天井は、懐中電灯の光が届かないほど高い。

 波が穿った巨大な地下空洞らしい。潮が満ちれば水没する空間だろう。

 呼び掛けるまでもなく、遠い足元の波間から異様な気配が伝わる。
 懐中電灯の光が届かない水底に、巨大な存在がたゆたっている。

「お控えなすって。あっし姓は藍崎名は瑠々子と申す見鬼を生業とするもので。粗忽者ゆえ、前後間違いましたる節はご容赦願います。縁あって、当主嘉村豪三の名代申し付かりました。先だっては未熟の駆け出し者の使いの無礼、平に平に御寛恕願いたく罷り越しました」

「お、お? るる子なに言ってますの?」

 唐突に仁義を切る瑠々子に驚くほなみ。
 じわじわとそれが崖を這い上がる気配がする。

 思った通りだ。この大きさこの神気では、なまじの術など効くものではない。できれば対面せずに済ませたいが、そううまく事が運ぶものか。

 元来気まぐれで与えられた加護。取り止めるのも向こうの気分次第。こちらからどうこう指図するのが筋違いというもの。前任者は最初から間違っていたのだ。

 赤い捧げもの――生贄を捧げる際、嘉村は必ず同行し、犠牲者の最期の表情を楽しんでいたという。絶望。懇願。激怒。哄笑。諦念。狂気。慟哭。その嘉村が今回屋敷に籠っているのは、成功する目が限りなく低いからに他ならない。契約の破棄どころか、怒りを鎮めることさえ難しい。養女であるほなみだけではなく、瑠々子の身さえも生贄のお代わりのつもりだろう。

 万々が一成功すれば御の字。失敗しても次を手配するのみ。初対面時の口ぶりで、瑠々子もそこまでは見抜いている。

 足りない頭で考えろ。この地に定着するものなら、嘉村の父の代の不在で大きな騒ぎ障りになっているはず。少ないながらも地域の住人は健勝で、死に絶えるようなこともない。ならば、この地は回遊する大きな縄張りの一部でしかなく、赤い捧げものはあくまで賜りものを拝領する際の対価ではないのか。

「ざっくばらんにお頼申します。今日この日を持ちまして、当主嘉村、御主様とのご縁を終わらせたく存じます。平に平に御願い申し上げ奉ります。以後、万事万端、宜しくお頼申します」

 びしゃりと。ひと抱えもある滑るものが崖の淵に掛かり、腐った潮の臭いが立ち込めた。

 2本、3本。次々と現れるそれは触手でしかなく、咄嗟にほなみを背に庇うだけで身をすくめた瑠々子に、覆いかぶさるように『ゆぐ』はその身を晒した。

 粘液に覆われた蒼白いナメクジのような身体。

 何本もの触手の中心には、細かい歯がびっしりと生え揃った、丸い口が開いている。

「でっけーウミウシですわ!!」

 瑠々子の背後から、ほなみの歓声が上がる。

『ゆぐ』はしばし、ふたりを探るように粘液を滴らせる触手を揺らめかせていたが、巻き戻すように崖を滑り降り、姿を消した。

「すっごいですわ! でもよく見たら、ウミウシともゴカイとも違いましたわ! ……るる子、どうしましたの?」

「……情けない話ですが、腰が抜けやして……」


 行きの倍ほど時間を掛けて洞窟を出るやいなや、瑠々子のスマホに着信があった。

『お前……何をした! 失敗したな!? 地下から、奴が、『ゆぐ』が!!』

 取り乱した嘉村の声。背後では悲鳴や物の壊れる音が響き、ずいぶんと騒がしい。

「いえいえ。ちゃんと契約は反故にして頂きやしたぜ? 今後『ゆぐ』が|撥波美に居付くことも、捧げものを求めることはありやせん。ただ、あちらさんがこれまでの不始末の落とし前を求められるってのは、あたしのしのぎの埒外の話。退魔祓魔は手に余るって言ったでしょう。御身を護るご依頼まで受けちゃあいやせん」

『きッ……貴様! 藍崎(あいさき)ぃイイイ!!』

「あぁ、言いそびれてましたがね、あたしの名はあいさきじゃなくらんざきってぇ読むんですよ?」

 絶叫のあと、反応のなくなった通話を切り、瑠々子は秘書の坂本に掛け直した。

『あ……藍崎様、い……今、屋敷に化物が――』

「ですか。こっちの仕事は終わりましたんで、残金の振り込みはお願いしやす。あ、ほなみさんも無事です。お屋敷へはお送りしますんで、あとは良しなに」

 なおも言い募る秘書に構わず、瑠々子は通話を切り上げた。
 瑠々子に肩を貸すほなみは、未だ興奮冷めやらぬ様子で頬を染めている。

 正式な書類が揃っているという話だ。悪いようにはしないだろう。
 ただ、それでも12人は多すぎる。それはそれで騒ぎになりそうだが、そっちは瑠々子の仕事とは関わりの無いこと。

「ま、こんだけ肝が据わってりゃ、たいがいのことはへいちゃらでしょうがね」

「なんですの?」

 何ひとつ状況を理解していないほなみが物問い顔を向ける。

「ああ、ひとつ言い忘れてやしたほなみさん。あたしは脚の無いのも苦手なんでさぁ」

                   了

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