真実 産後うつから思うこと

カウンセリングがわりに通っているセッションで真実を見るように と言われる

セラピストの方曰く、
「あの人にこんなこと言われた。あの人はひどい」ではなく、
「あの人にこう言われたのが、私は悲しかった」

出来事に対して「わたし」がどう感じたか
「なぜ」そのように感じたのかが真実なのだそう。


私にとっての真実って一体なんだろう。

考えれば考えるほどよくわからなくてイライラしてくる。それでも感じてみようと試みると、だんだんある事が思い起こされてきて涙が出てきた。

出産前に実母にかなり強烈な言葉をかけられたのをきっかけに母子関係に悩み、産後悪夢が続いたり鬱と診断され2年ほど昼夜問わず苦しんでいた。

ヨガや自分と向き合うことを始め、こどもが大きくなるにつれて希死念慮はなくなり、不眠も解消したものの、深層心理の寂しさ、虚しさというのは10代の頃から続いている。
そりゃそうだ。出産を機に明らかになっただけで、実母との母子関係はこどもの頃から何十年も続いてきた訳だし、自分の成り立ちと養育者である実母との関係は切っても切り離せるはずもない。

だから少し疲れが出ると、すぐに悪夢をみる。
夢の中のわたしはだいたい傷つけられているのを別の目線から見下ろしていて、どうかやめてほしい と心を痛めている。

出産予定日の数日前に「あんた達を堕ろしてたら、今頃こんな暮らししなくてよかったのに」「夫(わたしの父親)の血がきもちわるい」と真顔で母親に言われ、嫌すぎて、身体がその場を拒絶して血圧が200近くまではねあがり、産婦人科にタクシーで駆け込んだ。

ふつう、臨月の娘に向かってそんなこと言わないよね。
この人は一体何のつもりでこんなこと言うんだろう。
なんでお母さんはこんななんだろう。。。

傷つけたくなくて、父親には言えなかった。ただすぐに家を出たかった。ウィークリーマンションを借りるか自分の家に帰りたかったけど、産院を変えることもできないから、結局行くあてもなく実家にそのまま世話になることに。 

当の本人、母親は「あんたはなんでもまともに受け止めるから悪い」「聞き流せ」と。
(母には「これだけ世話してやってるんだから、罵らせろ」みたいなところが昔からある)
しばらく経つと言ったことも忘れたのか、なにもなかったことに。

悲しかった。
そんなふうに言われたことが悲しかった。
あたたかな両親のサポートに恵まれている家庭がうらわましく、ねたましかった。
なんで私のお母さんはこんなんなんやろうって、これまでを思い返してなんべんも泣いた。


産後1ヶ月検診を待たず、自分の家に帰った。自分ひとりでやってやる!と意気込んだものの、夫は出張ばかりで週の半分はもの言わぬ赤ちゃんと日の当たらないアパートでふたりきり。
息がつまる。誰かと話がしたくて狂いそうだった。

眠れなくなり、眠っても悪夢に悩まされ、うつになり、めまいで倒れた。

少しでも楽になりたくて、受診したメンタルクリニックの医師に「あなたは(産んだから)動物としては母親になったけど、人間として母親になるのは難しいかもしれませんね」
「悪夢を見るということは、心の中に迫害されている自分がいるということ。治すのはむずかしい」と言われ、絶望した。

愛されて育ってないから、むすこを愛することができないんだ。ちゃんと育てることができないんだ。
こんなお母さんでごめんね、とかわいい盛りのむすこがにこにこ笑う顔を見ては泣きくれた。

うつは悪化し、また実家の世話になることに。
結局助けに応じてくれるのは実母しかいない。それも悲しかった。

自分と息子が生きながらえるには、文句を浴びせられながらも服従して、実母の手を借りるしか方法がないのだ。

もうこれ以上傷つきたくなくて
わたしは感じることを放棄した

母がYESといえばYES
NOといえばNO

機嫌が悪くなりそうであれば先回りして細心の注意を払い、怒りや爆発、暴言の被害を極限まで小さくしようと画策する。

赤ちゃんや自分へ向けるはずの意識を
実母に全集中して疲れ果てていた。
自分の心とむすこの命をまもるために必死だった。

あの頃、すべての意識を自分の睡眠と健康を守るために使えたらどうだったのだろう。
自信がなくて母の手を借りた。
断るのが怖くて里帰りを選んだ。
暴言をハハハとやりすごしながら、傷ついていないふりをして世話になるのが悲しかった。

本当は夫と私、じぶん達のちからでやりたかった。
でも私は自分の心と体力に自信がなかった。
もう二度と歩けないんじゃないかっていうくらい腰が痛くて体にちからが入らなかった。

何から何まではできなくても、自分たちのできる限りでやりたかった。
お金を使いまくってでも、サービスや他人の助けを借りてでも。
でもあの頃のわたしは、たすけて と言うちからもなかった。

わたしがわるいんだ。
わたしが間違ってるんだ。
お母さんは強いし正しいんだ。


いろいろ言われたことも悲しかったけど、
わたしは自分たちのちからでできなかったことも
自分の体力や気力に自信が持てなかったことも同じくらい悲しかったんだな。

傷つかないように感情を殺していたけど、
否定され続けるのは嫌だった。

それが、わたしの真実だ。

お母さんが思う通りに動けないから文句を言われたり、否定されるけど、だからといってわたしがまちがってるわけじゃないよ。

文句を言うのはお母さんの問題。
わたしの人生だから、自分でやり方を選んでいいんだよ。

暴言を聞きたくなかったら、NOって言っていいんだよ。NOって言っても、誰もわたしを傷つけない。

こどもの頃は親がいないと生きていけないから、ずっと親の顔色を伺って服従してきたけど、今はもうそんな必要はない。

もう人の顔色を伺わなくていいし、話を合わせなくていいし、嫌なときはNOって言っていいんだよ。

それで誰かに嫌われることになるなら、仕方ない。
誰のせいでもないし、わたしが悪いわけじゃない。
自分を責めないでね。それならそれでいいんだよ。

誰かに気に入られないといけない必要はない。
自分のきもちをいちばん大切にしてあげたらいいんだよ。


大丈夫、むすこのこともちゃんと愛せてる。
あんなに苦しかったけど、天真爛漫に育って5歳になる。
びっくりするくらいかわいいし、くるくる笑うし、愛おしい。


しっかりやすんでね。たくさん寝てね。
心配しなくて大丈夫だよ。






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