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つれづれ雑記*美味しくなかったお茶、の話*

 お若い方々は驚かれるかもしれない。
(このフレーズ、前にも使った気がする)
 かつて、お茶(お茶っ葉ではなく液体状の完成品のこと)というのは買うものではなかった。
 日本の飲食店ではお茶やお水はただで出してもらえることがほとんどだし、何より40年くらい前まで、お茶は店頭で売られてはいなかった。もちろん自動販売機にも並んでいなかった。

 お茶は茶葉を買ってきて、家で湯を沸かして煎れる、あるいは淹れるものだった。
 外で、お金を払ってお茶(紅茶は除く)を飲むというのは、よほど特別なことだったのだ。
 
 現在、自販機やコンビニの棚を眺めると、烏龍茶、麦茶、緑茶、紅茶、ほうじ茶、ジャスミン茶、などなど、ペットボトル、あるいは缶入りのお茶がずらりと並んでいる。
 今では何も珍しくない光景だが、改めて見ると、少し不思議な気がする。
 
 お茶はツバキ属ツバキ科の低木、チャノキの葉もしくは茎を水か湯で抽出したものだ。
 紅茶、緑茶、烏龍茶と種類は分かれているが、これらは皆、製造法が少し違うだけで、本来はみな同じもの。

 烏龍茶は今でこそ、当たり前の顔で市民権を得ているが私が子どもの頃はメジャーではなかった。
 中国茶、とかチャイニーズ・ティーとか言われて、ちょっとお高い中国料理店で、日本茶の煎茶?というのかな、あれを淹れるような小さな器に何らかの決まった手順?作法?で淹れられて供されるものだった。今のように冷たくしてガブガブと飲むものではなかったと思われる。

 そういえば、飲み物、殊にお茶やコーヒーとか、を冷たくして飲む、というのは日本に独特の習慣で、他所ではあまり見ないと思うがどうだろう。どなたか詳しい方がおられたら教えていただきたいと思う。
 
 私の記事を以前から読んでいただいている方々はご存知だと思うが、私は中学生のとき、父の仕事の関係でシンガポールに住んでいた。
 日本にいるとき、夏には麦茶を家で煮出して、冷やして飲んでいた。シンガポールでは当時、麦茶が手に入らなかったので、その代替品、というのもちょっと厚かましいが、鉄観音茶という烏龍茶を煮出して冷やして飲んでいた。なかなか美味しかった。(当たり前だ)
 帰国してからしばらくして、缶入りの冷たい烏龍茶が普通に出回るようになって驚いたものだ。
 
 ところで、チャノキの葉を原料にしたお茶ではないが、お茶、と呼ばれるものがある。
 麦茶、ハブ茶、ドクダミ茶、ルイボス茶、
タンポポ茶、and more。
 これらは茶外茶、と呼ばれるらしい。

 茶外茶の中には、何か特別な漢方薬的な薬効、さらにはその独特の風味や美容的な効能、などを売りにするものもある。それらの中のどれだけのものにどれだけの効果があるのかは私にはわからないが。

 それで思い出したのだが、私がかつて飲んだ『茶外茶』の中に、ちょっととんでもないものがあった。

 小学5年生のとき、学校からキャンプに行った。季節は初夏だったと思う。
 とあるキャンプ場に2泊3日。テントにひとグループ5、6人づつで宿泊した。
 水筒に入れて家から持っていったお茶は翌朝には捨てるように言われた。悪くなったお茶を飲んで、お腹を壊さないようにとの配慮だったのだろう。
 個人の水筒はクラスごとに集められ、きれいに洗われて、先生方が大きなやかんで沸かしてくれたお茶が少し冷まして入れられた。
 
 このお茶が、すっごく美味しくなかった、というか、はっきり言うとものすごく不味かった。
 どんな味だったか、実ははっきりとは記憶にない。とにかく、美味しくなかったのだ。
 ただの湯冷まし、とも違う。(まだその方がましかも)
 具体的に何の味、というのではなく、青臭い、というか、そう、強いて言えば、空き地とか原っぱの味、とでもいうのだろうか。

 それでも、喉が渇けば背に腹は変えられない。私も他のみんなも文句を言いながらも、この草っ原フレーバーのお茶をちびちび飲んでいた。慣れとは恐ろしいもので、帰る頃には結構普通に飲めるようになっていた。(決して美味しいとは思えなかったが)
 
 このお茶(と言っていいものならば)は、クマザサの葉を洗って水と一緒に沸かしたものだった、ようだ。
 クマザサの葉には抗菌、殺菌作用があるそうで、当時の先生方はそれを狙ったのだろうか。
 後に、クマザサ茶と言うものがちゃんとあり、それはきちんと手順を踏んで作れば美味しいものらしいと知ったのだけど、あのときのお茶は絶対そんないいものじゃなかった。
 それとも、子どもの未熟な舌には少々早過ぎた?のだろうか。

 笹の葉を見ると今も、あの空き地の味を思い出す。

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