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息をするように本を読む92〜浅田次郎「蒼穹の昴」全4巻〜

 浅田次郎さんの作品は、ずっと前に友人に勧められて「シェエラザード」を読んだことがある。

 そのとき、一緒に勧められたある作品があったのだが、4巻もあると言うし、まだ読めていない本が山積していたこともあって手を出さなかった。

 それから、数年。

 いつも面白い記事を書いておられる千世さんが、この作品を紹介されていた。

 これはやはり読まねばなるまいな。そんなことを思っていた矢先、ふと入った書店でその本の第1巻と目があった。
 運命だ、と直感した私は迷わず購入した。
 そして、この決断は間違っていなかった。
 1巻目で見事に心を鷲掴みにされてしまった私は、初巻を読んだ翌日には書店に走り、最初に読んだ初巻を含めた全4巻を買い込んだ。

 その作品のタイトルは「蒼穹の昴」という。

 舞台は中国。大清国末期の悲劇の皇帝、光緒帝の時代。
 あの、稀代の烈女、有名な西太后の時代と言ったほうがわかりやすいだろうか。
 
 私は総じて、歴史ロマンが大好きで。
(あくまで物語として好きなので、特別に詳しいわけではありません、念のため)
 しかし、中国の歴史物は今まで憧れこそすれ、なかなかにハードルが高かった。
 とにかく、スケールが大きい。
 民族の数が多すぎ、時代によってはそれが入り乱れて支配者被支配者が入れ替わり、非常に複雑だ。

 そして何より、地名人名がネックになる。
 当たり前だが、全て漢字。
 いや、日本の地名人名もそうだろうと言われるかもしれないが、またそれとは違うのだ。
 
 人名で言えば、男女がわからない。同じ人物を身分や立場から、違う名前、呼称で呼ぶから、わけがわからなくなる。読み方がわからないので、イメージがしにくい。
 地名で言えば、国土が広過ぎるため、知らない地名が多くて位置関係がわからない。北京だの天津だの上海だの、有名どころはわかってもちょっと外れるとどこの話をしているのかわからない。
 
 最初、友人に勧められたときに二の足を踏んだのは、巻数が多いことに加えて、そういう事情もあったのだ。

 でも、今回は絶対に読む。
 そう固く心に決めて、私は、手元に中国の地図と娘が使っていた世界史の教科書を置いて、いざ、第1巻のページを開いた。

 物語は、天津郊外の村で家族と肩を寄せ合って暮らす貧しい少年、春雲が、ある星読みの老婆に、途方もない予言を告げられるところから始まる。

 お前は、この天宮を支配する富と権力の星、昴を守護とする宿命を持って生まれた。
 ゆえに、お前は遠からず都の天子様のお側近くに仕え、この中華の財宝はことごとくお前のものになるだろう。

 今のまま、この地獄の底を這い回るような貧しい暮らしをしていても、いつか飢えて死ぬのを待つだけだ。  
 生き抜いて家族にも楽な暮らしをさせるには、このとんでもない予言を実現させるしかない。
 春雲は、今は亡き長兄の幼馴染で地主の次男坊、文秀が役人になるための試験を受けるために上京するのに付き従って都へ向かう。

 当時の清で成り上がるには、3つの道があった。
 ひとつは科挙と呼ばれる試験を受け、合格(それも出来るだけ上位で)して、中央の高級官吏になること。
 ふたつめは、軍人になって武功を立てること。
 最後は、宦官になって後宮に入り込み、雲上人の側近くに仕えること。

 官吏になる。
 そのための試験、科挙は、家柄民族に拘らず、広く優秀な人材を求めるために遥か隋唐の時代から行われている試験だ。建前では誰でも受けることは可能だが、皇帝の目の前で行われる最終試験、殿試までたどりつくまでには、とんでもない倍率の試験を幾つも突破しなければならない。それには家庭教師やその他諸々、莫大な資金がいるので、裕福な家庭の子弟でなければ難しい。

 軍人になる。
 これは科挙とはまた別の意味で難しい。金やコネももちろんだが、何より体力気力に恵まれていなければ兵士にはなれない。更には運も必要だ。いくら優秀でも戦いで死んでしまっては意味がないし、かといってずっと平和でも困る。手柄を立てるための、ちょうどいい機会にも巡り合えなければならない。

 宦官になる。
 宦官とは、簡単に言ってしまうと去勢された男性官吏のことを指す。
 古くは宮刑といって、征服された異民族や罪人に課される刑だった。その後、奴隷、奴僕として後宮で働く彼らの中で次第に階級の仕組みができ、やがては後宮の有力者たちに気に入られ、絶大な権力を持つ者が現れた。そうなると、自ら去勢して(浄身というそうだ)宦官になろうとする者も出る。
 もちろん、そこまで登りつめるのは生半可なことでない。後宮に常時仕えている2000人もの宦官のトップに立つのはほんの一握り、陰謀渦巻く後宮で運よく生き残った者だけだ。ほとんどの宦官は死ぬまでこき使われるか、あるいは瑣末な失策を問われて叩き殺される。

 この選択肢の中で、春雲が選べるのは宦官しかない。
 それがいかに過酷な道であっても。

 春雲は覚悟を決め、何もかも捨てて昴の星を目指す。
 一方、幼馴染の文秀は科挙に合格し、政治の中枢へと道を進める。

 官吏と宦官とは、朝廷の表と裏が結託して権力を独占することを防ぐため、交流することはおろか、個人的に話をすることも禁じられている。
 全く正反対の道を歩み始めたふたり。その行く末は如何に。果たして予言は実現するのか。

 これは……。
 面白い。
 むちゃくちゃ面白いじゃないか。
 どうして今まで、読まなかったのだろうと後悔した。

 メインのストーリーだけでもわくわくするのに、ここにさらに歴史的要素が加わる。
 当時の清王朝は、疲弊した国家経済、腐敗した軍と内政に加えて、アヘン戦争からの清仏戦争でイギリス、フランスにボロボロにされ、まさに満身創痍の状態だった。
 女真の英雄ヌルハチから300年にも及ぶ愛親覚羅の大帝国は、もはや崩壊の一歩手前。

 そんな中、何とかこの瀕死の国を立て直そうと奮闘する有志たち。
 未だ自らの地位を守ることに汲々としている権力者たち。
 世を憂いながらも手をこまねくことしかできない王族たち。
 西太后、李蓮英、光緒帝、李鴻章、袁世凱、などなど、実際の歴史上の人物はそれぞれにキャラが立ち、それに著者の創作による架空の人物、虚々実々が絡み、ドラマは否応なく盛り上がる。いちいち、決め台詞がカッコいいし、文章は叙情的で美しい。
 そして過去から現在にかけ、そこここに巧みに張り巡らされた伏線の網。それが見事に回収されたとき、正直、やられた、と思った。

 これはもう、…めちゃくちゃ面白い。
 (大事なことなので、もう一度書きました)
 

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 読みどころは他にもいくつもあって。
 もっともっといろいろ書きたいが、長くなり過ぎるのでこの辺にしておこう。非常に残念なのだけど。

 そして、このシリーズ、この「蒼穹の昴」の後、「珍妃の井戸」「中原の虹」「マンチュリアン・リポート」と、更に続くらしい。
 ワクワクはまだまだ止まらない。

 あー、楽しみ。

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