息をするように本を読む100〜100回目の読書感想文〜
私が最初の投稿をしたのは2020年の11月。
長年使っていたガラケーからスマホに替えた記念にと、娘らから勧められてnoteなる未知の世界に何もわからぬままに足(指?)を踏み入れてから、はや3年。
半世紀近く昔、中学時代を過ごしたシンガポールの思い出話の記事「遥かなる星の国」が始まりだった。
続けて始めた、この「息をするように本を読む」も今回で100回目になった。そんなに書いていたっけ、と自分でもびっくりする。
100回ではあるのだけれど、紹介した本の冊数は正確には100冊ではない。
特定の本の話をしていない回も何回かあるし、シリーズ物の話をしたことも結構あって、ひとつの記事で1冊とは限らないからだ。
それでもとりあえず、シリーズ物は何冊であっても1冊として数えてみると全部で93冊だった。
どんなジャンルが多いか、ざっと見返してみる。(見なくても結果は歴然だとは思うが)
ジャンル分けをすると言ってもひとつの作品にいろんな要素があることのほうが多いので、1種類のジャンルで括るのは難しい。ザックリ、ということになるのだけれど。
まず、ミステリーが23と断トツ。
そして、時代(歴史)小説が19、海外物が18、ファンタジーが11、ノンフィクションが7、文豪物(?)が4、児童書が3…、と続く。
青春物や学園物もないわけではないが、だいたいがミステリーと絡んだ作品になっていて純粋なそれというのは少ない。そして、切ない恋愛や細やかな女性心理を描いたラブストーリーとなると、まず皆無だ。
以前知人に、本棚だけ見ると女性のものとは思えんね、と言われたことがあるが、まあ、確かにそうではあるかもしれない。
ところで意外に思われるかもしれないが、私は小学生や中学生の頃、読書感想文を書くのが苦手だった。
なぜ、枚数が指定されているのか。どうしてただ、面白かった、何度も読みたい、ではダメなのか。それ以外に何か必要?
そんなことを撫然と考えていた小賢しい子どもだった。
物語の、どこに感動したとか、誰に共感したとか、どんなふうにわくわくしたとか、そんなことを説明するのが、何だか、面倒くさい、気恥ずかしい、うーん、とにかく好きでなかった。
でも、とにかく提出しなくちゃならないからとりあえず書いてみた自分の文章は、いかにも上っ面だけの中身のないものだと自分でもわかる。毎回、本当に憂鬱だった。
いわゆる普通の作文で遠足や社会科見学について書くのは全く苦手ではなく、むしろ好きだった。なのでやはり、物語に触れたときの自分の気持ちの動き、その経緯理由をどうやって表現したらいいのかがわからなかったのだろう。
それからn十年が過ぎ、まさか、自分が読書感想文を月に2回も書いて、しかもそれをひと様の目につくところへ投稿している、なんてびっくりだ。(過去の自分が一番驚いているだろう)
子どもの頃に物語を読んでも感想文が書けなかったのは、何も感じていなかったからではない。
ただ、その感じたこと思ったことを、経験も語彙も全然足りなくて、言葉で表すことができない自分がもどかしかった。
本当は、言いたかった、話したかった、のかもしれない。でも、出来ないからどんどん心の中に溜まっていった。
もしかすると、それが今頃になって溢れ出しているのかもしれない。
もしかすると、人の心やその動きを言葉で説明することが、多少ともできるようになったのかもしれない。
もしかすると、自分の気持ちを言葉にすることを恥ずかしいと思わなくなったのかもしれない。
もしかすると、ただ単に厚かましくなっただけかもしれない。
要は、好きなことを好きなように書いている、それだけなのだけど。
何より、書く場所があり読んでくれる人がいるということはとても幸せなことだと思う。
ここで取り上げた本は、ずいぶん前に読んだもの、そして、そのままずっと読み続けているもの、少し前に読んで印象に残っているもの、最近読んだもの、実にさまざまだ。
noteの記事で紹介されていて、それが縁で読んだ作品もある。
本の世界はまだまだ広い。
一生のうちで全部読み切ることなど到底、できないだろうけど。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
この世に存在する全ての物語とそれにかかわる人々に、心からの愛と感謝を込めて。
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3年とひと口に言っても長いです。
ここまで続けてこられたのは、ひとえに拙文をお読みくださり、さらには♡やコメントをくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。