美しきかな人生
ちーちゃんと出会ったのは、当時人気だったレゲエクラブだった。
あの夜たまたま、お兄さんとその友達で夜遊びに繰り出していたのだと後で聞いた。年の近かった私たちはうっすらと仲良くなり、気がつけば彼女の実家へ転がり込むほど、距離が近くなっていた。
その頃無職だったわたしは、時間だけはむさぼるほどあった。暇をもてあましては、ちーちゃんの実家で家族と一緒に食卓を囲むこともしょっちゅうだった。
その家で一番好きだったメニューは、シンプルなうどんだ。
鍋いっぱいの熱湯に、平たいうどんをダイナミックに放り込む。茹で上がった熱々のうどんに、つゆと細く切ったネギを手早く絡める。熱々のまま、すぐにいただく。ただそれだけなのに、とてつもなくおいしかった。
「めんつゆは、ヤマモリが一番おいしいねん」
そういいながら、ちーちゃんがスーパーのカゴにめんつゆを入れるのを何度も見た。 それ以来、わたしのめんつゆは今もヤマモリだ。
ちーちゃんの両親と彼女、わたしの4人であっという間に毎回たいらげた。 お兄さんは一人暮らしを始めたばかりで、もう家にはいなかったけれど、時々一緒に遊んだりもした。
ちーちゃんのお兄さんとお父さんは、びっくりするほど容姿がそっくりだった。無口で静かで、ほんの少しだけお地蔵さんに似ていた。 対して、ちーちゃんとお母さんはなかなかに激しい言葉を放つ、完全に女系の血族だった。
最初の頃は、女性2人がお父さんを罵る食卓に心底驚き、少し怯えていた。 でもこれがこの家のスタンダードだと気づくのに、それほど時間はかからなかった。 自分の家族とは全く違うお茶の間事情を、あれほど生身で味わったのは、後にも先にもこの時だけだ。
両親に離婚の危機が何度もあったこと、ふたりとも奄美大島の小さな島の出身だということ。島の女は悪気なく、ただ気が強いことも、ちーちゃんとの時間を通して、わたしはゆっくりと体に染みませていった。
家には家の事情がある。形がある。空間がある。
たとえ外からみて不自然に感じたとしても、その形になるには理由が必ずあることを、からだの細胞レベルで理解した時間だった。
ちーちゃんから教えてもらったことはそれだけではない。
オアシスという兄弟のミュージシャンがいること。 WWDというモードの専門紙がイケていること。 ケイト・モスとジョニーデップのカップルが最高にクレイジーであること。 ヘルムート・ラングというデザイナーがいること。
その世界はとてもセンスがよく、とても心地がよく、彼女のセンスにひそかに憧れていた。
しかし残念ながら、それを素直にいえるほど、わたしは成熟していなかった。 血気盛んで、自分の都合どおりにいかないと当たり散らしていた20代のわたしを見限るように、彼女はどんどん距離をとっていった。
ある日、暇だったわたしはちーちゃんに電話をした。 別の友達との約束があるとかなんとかで、歯切れ悪く話す彼女に、私は言い捨てた。
「ふうん。じゃ、もういい」
それが話をした最後だった。
ずっとずっと忘れていたのに、なんでこんなことを思い出したのだろう。
ふっと顔を上げると大きな夕日が、電車の車内を真っ赤に染めあげていることに気づいた。
ああ、だからか。
だからいま、たくさん遊んだ帰り道のような気分になっているのか。
その夕日が、わたしの心の底に沈んでいた箱を照らす。
その蓋が、いま柔らかにうっすらと開いていく。
あれを友情と呼ぶには、あまりにも稚拙すぎる。
しかし後悔はない。
そう決めないと、あっという間に全てが後悔一色で塗りつぶされてしまう。
あの金色の時間を、そんなくだらない色にするわけにはいかない。
ちーちゃんとのあの時間を、そんな色にすることを、わたしはわたしに絶対に許さない。
精一杯に自分をやった。それでいい。
やせ我慢でもなんでもいいからさ
ああ、よく生きたな。
そんなラベルをつけるのだ、わたしよ。
真っ赤な夕日が車内を照らす。
眩しくて思わず目を閉じた。
ああ、それでも楽しかったな。
思いっきり遊んだな。
たくさんたくさん、もらったな。
ちーちゃんがいま、幸せでありますように。
わたしは真っ赤に染まった電車を降り、足早に家路へと向かった。
。・。・。・
※この短編は、からだ部のために書き下ろしたものです
【からだ部】「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。
からだ部・こころ担当としてnoteで執筆中の【赤の少女と白い虎】を連載しています。読みやすいので、よかったらのぞいてみてください。
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