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家族のキーパーソンであった実感

父は入院して10日で逝ってしまった。
早かった。
父らしいと言えば、父らしい。

「ピンピンコロリで逝きたいよ」と
常日頃から言っていたから。
でも、本当はどうだったのかな?
10日間で自分の人生振り返ることは
できたのだろうか?

きっともっと、いろんなこと
思い出したかったんじゃないかな?
なんて、時々考える。

延命した方が良かったかな…と。
少しだけ自分の決断に後悔がよぎる。

面会に毎日行ったが、
日に日に酸素の量が増えて
話すのもしんどそうだった。

入院して7日目。
偶然が重なって
父の病状説明に同席できた。

酸素6Lまで増やしてる。
貧血も進んでる。
食事は相変わらずあまり
取れていない様子。
ヘモグロビン値が8g/dl切ったら
輸血対象というのは、
私の中には知識としてあった。

正直、良くない。
急変もありうる。

ここで、母、宗教を持ち出す。
「私たちエホバの証人なんで、輸血は…」
私、口を挟む
「 いや、いや、 父はエホバの証人では
ないから、輸血するかしないかは、
本人の意思を優先してください」と。

担当医に伝えた。

こういう流れか…(私の心の声)

今、私がここにいるのは、
こうやって、
歪んだ家族の調整をするキーパーソン。
現在のところ特に負担は感じていない。

これまでずっーと宗教に対しての
モヤモヤがあった。
そして、やっぱり私は、
宗教という組織に所属しない
と決意している。
宗教抜きでいろいろ考えられる。

私はフラットでいたい。
信じるものがあったとしても、
自分で自分を枠にはめるのではなく、
自由な視点と、自由な発想で
生きていたい。

看護師と言う立場で
家族の事情、本人の事情、
病院と先生の事情など、
全体の状況は把握出来る。

病院は食事の時間が決まっていて、
それ以外は食べられない。
捕食のために、何かを作ろう!

これまで、自分の病気を機に
栄養を勉強して、
自分で体験して
実感してきた事がいきてくる。

父は入院前にコロナにかかり、
一度回復したが、すぐに肺炎を起こし
入院した。
入院に至るまでも、ほとんど食べられず。

聴診器で呼吸音を確認しても
右の肺の空気の入りが悪いし、
雑音も聴かれる。
酸素も92~93%しか取れない。

夜間熱があがり、
朝になって下がるを繰り返す。
肺炎時の熱型。

点滴をしてもらうよう
受診してもらったが、
しつこい風邪でしょうと言われたと
抗生剤と咳止め、解熱剤を
もらって帰ってくる。

そう、医者に言われたら、
ほとんどの人が様子をみる。
医者がそういっているのだからと。

私の観察を軽く見た母。
私あまり信用されていなかった
のだと思う。
強いものに巻かれるタイプの母。

なぜ?
自分の体にもっと責任を持たないのか?
いつもと明らかに違うのに、
父にも危機感がない。

そんな感情で苛立ちを感じ、
別のクリニックに行くよう母に伝えるが、
なんだか、信用されてない空気を感じる。
というより、
母は、人から
自分が大袈裟だと言われるのが
嫌だったのだと思う。

人の目をものすごく気にする人だから。

2日置いて、別のクリニックへ
ようやく連れていき、
そこでは、問診を丁寧にしてもらい、
入院施設がある病院に紹介されて
入院となる。

母に「あなたの言った通りだった」
と言われたが、
私はあまり気分は良くなかった。

私は母を支配しようとしたか?
承認欲求を満たそうとしていたのか?
一瞬、そんなことも頭をよぎったが、
なにか、違う。

ただ、父の状態をキチンと
診断して欲しい。
という想いだけだった。

入院後、
家族がバラバラであることが露呈する。

まぁ、みんな疲弊していたし、
入院したことで安心感もあったのだとは
思うけど…
状況説明しても、あまりピンと
来ていない様子だった。

入院して酸素をつけて、
点滴加療がはじまった父。
それでもやっぱり食べられない。

父が少しでも口にできるもの
市販のものでなく、
身体が欲する栄養素を含んだ
出汁ゼリーやしじみ汁など、
少量ずつこっそり差し入れ。

その後も良くならず
ステロイドの大量療法をして
ステロイドの副作用で、
少しは食べられて、
元気に振る舞えるが、
あくまで副作用。

私の家族は元気になって良かったと
喜ぶが…

私は看護師の視点で
ステロイドが大量に入ることで、
いろいろな副作用が心配になる。

夜眠れているだろうか?
夜、暴れてないだろうか?
と…

夜勤をしていた頃、
散々そんな光景を見てきたから、
家族に見えない部分が見える。

今後は白血球が下がってくる。
感染しやすくなるため、
差し入れは出来なくなる。

今のうち、何とか少しでも栄養を
とって欲しい。

鉄分と言えば、レバーだが、
臭みをとる自信がない。

ヘム鉄と非ヘム鉄があるが、
ヘム鉄の方が吸収が早い。
さらに鉄分の吸収を良くするために
酢、クエン酸はいいと言われているが、
呼吸状態が悪い人には
むせる可能性があるため、
工夫が必要。

やっぱりゼリー状が食べやすいか?
なんて思考をめぐらす。

栄養に詳しい友人や、
健康志向の友人にも
知恵を貰ってみる。

こうやって友人たちとの繋がりが
実感出来るのも
ありがたいなって思う。

バラバラだった家族も、
私が手繰り寄せている感覚がある。

面会はコロナの煽りで
1日1家族2人までで、15分。
私以外は、父の状況が
悪くなるなんて思っていないんだと思う。

私は他の家族が行くなら、
面会に行くのは控えようと
思っていたから、
みんなに面会希望を毎日聞くが、
みんな会いに行こうとはしない。

私はそれでもいいと思っていた。
私は父ともっと話がしたかったから、
父の本音とかも聞きたかったから、
仕事の調整をしてまで
毎日、面会にいった。

過去の私は、
温かい家族というものを
作りたかったんだろうなと、
その時、気づいた。

でも、
家族には恵まれない星の下に
生まれたから、
温かい家族を持つことを諦めていた。
だから、逃げてばかりいた。

今は逃げずに、
どうしたら、皆を引き込めるか?
を考えている。

私はずっと、宗教が家族を
バラバラにしたと思っていた。
いつも私の前には宗教が立ちはだかり、
その後ろに大事な家族がいる
そんな感覚だった。

家族だけど、家族じゃない。
一見どこにでもいる家族のように
装っていることが、
なんだかとても辛かった。

宗教を信仰する、しないは個人の自由。
でも、それを家族みんなが強制的に
信仰するのは、違うと思ってた。

エホバの証人は信者同士を
「兄弟」「姉妹」と呼び合う
今なら、人類皆家族の感覚は
「ワンネス」という考え方から
わかるようになった。

でも、
私は好んで宗教で結ばれる家族には
入りたくないと思っていた。
私はそういう家族ではなくて、
自分の家族が欲しかっただけ。

そう思っていることに気がついたら、
家族みんなもそうだった
のではないか?って思うようになった。

私の家族、それぞれが
そう思って、外に家族を
求めていたのかな?って思えた。

父が入院までして、
自分の命すり減らして
それに気づかせてくれた。

家族の再結成をするチャンスを
くれたんだと、
そう今は、思える。

その後…
あっけなく父は逝ってしまった。
何も語ることなく、
もっと話がしたかった。

父が感じていた感情を知りたかった。
父は優しい人だけど、
時々、支配欲がでる。
当然か…

この支配欲はなぜ出てくるのか?
きっと不足感や認められない寂しさから
来ているんだろうなと思う。

支配欲が強い人は寂しい人。
支配をして、自分の仲間を作りたいだけ。

最近は次女とそんな話もできるように
なってきた。
宗教の壁はまだあるけれど、
私が宗教への疑問を投げかけられる
ようになった。

でも、次女は言う。
「母とおばぁちゃんの間に入るのは嫌」と
そりゃ、そうだ。
そんなことはさせるつもりはないと
次女に言う。

そして付け足す。
「おばぁちゃんのやっていることも
あなたがやっていることも
否定はしない。
それで心が救われているなら、
それでいいと思う。
でも、おばぁちゃんは、
どう見ても心穏やかではないし、
心が救われているとは思えない。
いつもないものに視点がいって、
満たされていない。
他人に満たしてもらおうとしているから、
余計に満たされない方に視点がいく。」

これはあくまで、
私が思っていること。という前提で、
私が矛盾を感じていることは
話していこうとは思って
次女に伝えたかった。

私は昔から変わった人って
言われてきている。
人とは違った視点で物事を見ているけど、物事にはそういう視点も大事だと思う。

私たちが育った時代は
普通であることがベストだった。
だから、変わった視点を持っていると
無闇矢鱈に口を開かないように怒られた。

でも、これだけ長い年月、
ずーっとおかしいと思っていることは
いくら上から抑圧されたとしても
変わらない。

きっと、私の感覚は間違っていないと
確信できる。

私の視点を聞いて、
次女の視野を広げるには
役に立つと思うから…
否定されているとは思わずに、
聞いて欲しかった。

そしたらきっと、
あなた(次女)も求めている家族に
なれると思うから。




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