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フルマラソン【自分の限界を超えてみえた景色】

フルマラソン、初挑戦しました。
友人とは走るスピードも違うため
当日は1人で頑張るつもりでいました。

でも、一緒に参加した2人の友人が
私のペースに合わせて走ってくれました。
心強かった!!

スタートしてからずっと、
友人と練習した楽しさの記憶が蘇り、
想いが溢れます。

SNSで応援してくれる友人の
メッセージも思い出し、
涙も込み上げてきました。

そして沿道の応援!
といったら、すごくて、すごくて!

車椅子に乗った高齢の方、
いろんな仮装をした方々、
小さな子、
赤ちゃんを抱えながら
応援してくれる若いお母さん。
ベランダに飾りつけをして
シャボン玉で応援してくれた方。

同じランナーでありながら、
折り返しですれ違う私たちに
応援してくれる方々!!

頼もしいなって、手を振りました。

こんなに応援されたのは、
はじめてです!!

小学生から陸上をやったり、
バスケットをやったり、
スポーツはしてきたけど、
家族が見に来てくれたのは、
たったの1回だけでした。

今回も家族は誰一人として
応援には来ませんでしたが、
私にとってはそれが普通だったから、
なんとも思っていなかったけど、

顔も名前も知らない
誰かからの応援は、
感動の連続でした。

22km地点までは
順調に見えましたが、
その後、左下肢に
膝折れしそうな感覚と
骨盤が動かない感覚が
出現しました。

体内のミネラルが崩れて来たんだろうな。

何とか右足に負担をかけながらも
走っていました。

26kmまでの厳しめの関門を
走りながらも計算して
RUN計画をねってくれた友人。

そのおかげで
制限時間内で突破したものの…

26km地点の給水所で
立ち止まってしまったことで、
骨盤付近とふくらはぎが
つってしまい…
転倒。

友人、Dr.をはじめ、
ボランティアの方々、
ランナーの方々の
ご好意と処置で何とか
再度走ることが出来ました。

30kmではもう、骨盤が
動かなくなっていて
ふくらはぎの感覚はなく、
左足がいうことを
きいてくれません。

2回目の転倒… 

「もう結構限界だと思う。」
と言う友人の声も聞こえてきて、
涙は出てくるし、
意識も朦朧としてきていましたが、
それでもやっぱり頑張りたかった。

もう、気力しかありません。

でも、この時点で
自分は完走は無理な気がしていて、
タイムアウトになるまでは
走りたいと思っていました。

その一方で、
次倒れたら
もう走れないとも思っていました。

「これ以上、ペースが落ちたら
ゴールは無理だし、
次倒れたら
私たちも間に合わなくなる」
と、
友人に言われたような気がします。

「一緒にゴールしよう。
大丈夫、走れるよ。
塩タブレット食べる?」
という友人の声も
聞こえたように思えます。

食べ慣れない甘いもので
気持ちも悪くなっていました。

私は血圧が80台になることもあるため、
脱水が怖く、
給水所ではポカリを2杯、
お水を1杯を摂取することを
心がけていました。

5kmを目安に
早めのエネルギー補給も
していましたが、

明らかに骨盤、大腿部、膝下の動きが
連動していなく、
スムーズに動かない。

32km地点で
「もう無理だ、ごめん」と言って、
せめてあとから来るランナーの
邪魔にならない脇道に倒れ込みました。

遠くでいろんな声が聞こえる。
「友人には先に行って」と言いました。

アスファルトに寝転がりながら、
いろいろと思い出していました。

少し過換気にもなっていて、
息苦しい…
自分の涙と
顔に落ちて来る雨で、
私の顔はきっとぐちゃぐちゃだろうな。

ガタガタと震えて来たのを覚えています。

体温が奪われないように、
銀色のバリバリいう掛物を
かけられました。 

カイロも2つもらいました。
        
それでも身体はガタガタと震え、
止まりません。

屋根のある所へ移動するよう
言われましたが、
足に力が入らず、
立つことすら出来ない。

車椅子到着も
30分以上かかるということで
ボランティアの女性の方一人に
もたれかかり、
ボランティアの男性が腰を支えてくれて
ようやく立ち上がり、
移動ができました。

最終尾のリタイアした人を
回収してくれるバスに乗ることに
なったのですが、
これまたバスにも自力では乗れず。

ボランティアの男性2人に
抱えられながら、
ようやくバスに乗り込みました。

気持ち悪さ、寒気、頭痛、痺れ
たくさんカイロをいただき、
毛布もかけてもらいました。

そして
ポカリを飲むように言われましたが、
気持ち悪さから
なかなかその行動が取れず。

暫くはウトウトしていました。

そのうち友人たちは無事
ゴールしてくれただろうか?と
考えていました。

私はリタイアしたけど、
せめて友人たちには、
完走して欲しかった。
私の願いは、ただそれだけでした。

そして、
見ず知らずの私に
手を差し伸べてくれた人は
一体何人いたのだろうか?
なんて、考え始めたら、

自分が今まで、
いかに周りを見ていなかったのか?
気づくことが出来ました。

「人は1人では生きて行けない」
頭ではわかっていたけど、
実際に手を差し伸べてくれた人。
安全にレースが続けられるように
整備してくれた人。
応援し続けてくれる人。
連携して、温かい毛布を届けてくれた人。
バスを運転してくれる人。
交通規制でその道路を使えない人。
たくさんの警察官の方々、
大量の物資を運んでくれた人。

顔の見えない人達に
私はきちんと感謝できていただろうか?

結局、ドームまでバスで運ばれ、
具合が悪そうだからと、
車椅子で救護室に運ばれた。

自分がどんな顔をしていたのか?
なんてわからない。

後で友人に聞くと
もう唇は紫色になってたよって
1回目倒れた時に、
「やばい状態じゃないか?」って
思ったと言われました。

ボランティアの方々が、
私の充電が無くなってしまっていた
IPhoneの充電を手持ちの
ポータブル電源でしてくれて、
友人とようやく連絡が
取れました。

まともに歩けない私のために
友人達もその後の対応を考えてくれ、
迎えに来てくれる人を探してくれたり

泊まる場所を考えてくれたり…

その後は救急病院へ。

ボランティアの方も
働く時間は1時間以上超えているのに
ドームを出るまで付き添ってくれました。

私はこんなに大勢の人が
自分に関わってくれたこと
おそらく完走してたら
気づかなかったと思います。

自分の限界を超えて
リタイアしたからこそ、
見えた景色でした。

そう思うと、
名古屋ウィメンズマラソンに
エントリーして本当に
良かったと思います。

参加することに意味がある!

ただ一つだけ後悔があるとすれば…

大会終了後、
友人たちと温泉に行って、
お互いの頑張りを労う予定でした。

それが、私が思うように歩けず、
バラバラに行動する結果となったこと。
それだけは本当に悔やまれます。







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