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障がい者である私の贅沢

そろそろ引っ越したいなあ、と思っている自分がいる。

通っている事業所のメディア、AKARIのこの記事でも書いたけれど、私は現在グループホームに入居している。

グループホーム、といっても多分皆さんの想像されるグループホームとちょっと違くて、ほとんどマンションで一人暮らしをしている感じ。

正直、とても住み心地がいい。
見回りに来る支援員さんとも仲がいいし、それからお隣さんともおすそわけをするくらい仲が良くなった。
それに立地条件もなかなか良くて、周りにお店がたくさんあるのでとても便利。
久留米も、昔は色々トラウマがあり苦手だったけれど、今では大好きになったから久留米に住めているだけ嬉しい。
つくづく、ここに住んでいる自分に「幸せだなあ」と思う。

そんな私だけれども、先ほども書いたようにここ最近「引越ししたいなあ」と思い始めてきた。
引越ししたいなあ、と言うよりは「自立したいなあ」かもしれない。

かなり一人暮らしに近いグループホームとはいえ、福祉の力を使って住んでいる。
福祉の力=国の皆さんのお金、が使われている。
その事実がなんだか申し訳ない。
いろんな人に申し訳ない。

この幸せが、誰かの汗水流してやっと生まれたお金...つまり税金から成り立っている、そう思うと、私はこの幸せを公言してはいけないような、もっと言うと「幸せ」なんて思ったらバチが当たる、くらいに思ってしまう。

とはいえ、本当にグループホームから出るとなると、どれだけお金が飛ぶんだろうか。
考えただけで、今の自分の持っているお金からするとかなり難しい、ということが分かる。

また、私は少し贅沢をするたびにある考えがよぎる。

「私は国のお金で食べて行っているようなもんなのにこんな贅沢をしていいんだろうか...」

という思いだ。

私が障害年金をもらって生活しているからだ。
障害年金はまさしく国の皆様が血反吐を吐く思いで働いて生まれたお金だ。
私はそのお金がないと今生きていけていない。
障害年金は医療費やグループホームの居住代にしか使っていないけれども、それでも色々考えてしまう。

ファッション雑誌を買ったり、安めの洋服を買う。
私はそんな些細な贅沢しかしていない。
でも、そんな小さな贅沢にも「こんなことしてはだめだ」と思ってしまう。

もちろん、私は一生懸命働いている。
大袈裟な表現と思われるかもだけれども、血反吐を吐くような思いで事業所のプロジェクトを頑張っていた時もあった。
少しでも社会にお金を頂いた分、返したい。
恩を返したい。
そう思って必死で働いている。

そんな思いで稼いだお金だ。
でも、自由に使ってはいけないんじゃないか、と思う。

国のお金で食べて行っている。
みんなのお金で食べて行っている。
みんなのお金で生きている。
そういう縛りのような言葉が私につきまとう。
いつも。

何も引け目を感じず、お金を使ってみたい。
もう福祉の力に頼らず、ただ自分の力だけで生きていきたい。
正真正銘、自分の力で稼いだお金で美味しいものを食べたい。
何も考えずに自分のためにお金を使いたい。
いつか、いつか....そんなことをできたら...。
どんなに私は幸せなんだろうか。

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